グーとパー

「ダウン!」

 声が響き、カウントが数えられる。わたしはコーナーポストにもたれかかって、息を整える。

「10!」

 テンカウントが響き渡るが、試合終了のゴングは鳴らない。対戦相手の闘志が尽きていないからだ。

 この試合で使われているボクシンググローブにはセンサーが仕込まれており、拳を握りしめているかどうかを判別できる。ダウンした状態で10秒以上拳が開かれたとき、この試合では敗北となる。

 テンカウントが数えられても相手が立ち上がれないとき、この試合ではセコンドに治療をしてもらえる。ダウン中はラウンドのタイムもストップするので、1ラウンドの時間も延びる。インターバルが貴重なこのルールにおいて、この回復機会はありがたい。

 セコンドに治療を受けていると、対戦相手の女が立ち上がってきた。

「ま、まだ……あたしは……負けてない……!」

「……だね。あんたにもわたしにも負けられない理由がある。だから、こんなところにいる。……でも、これで終わりだッ!」

 セコンドが退出し、試合が再開されると同時にわたしは距離を詰める。

「な……ッ!こ、このッ!」

 対戦相手が右ストレートを繰り出してくる。だけど……。

「そんなヘロヘロパンチ……!」

当たるもんか!

バキグシャ!

「あぐ……ッ!」

 わたしの繰り出した左のカウンターが対戦相手の顔面に命中する。そして、ふらついた相手の頬めがけて、わたしは全力の右フックを放つ!

バギィイッ!

「あ、げぇぇええええ……」

 対戦相手はマウスピースをはみ出させ、仰向けに倒れた。

「ダウン!……1!……2!……3……」

「あ、ぐ、ぁ……あ、た……し、は、ま……だ……」

「……7!……8!……9!」

「ま、だ……ぁ……。……あぁ……」

 ピィーと電子音が鳴る。対戦相手の拳が開かれたことを示す音だ。リングの上にある円形LED照明が青一色に染まり、時間経過と共に櫛形に消灯していく。

 ピィイイイイッ!ひときわ甲高く電子音が鳴り、途切れる。青の円形照明が消えたのはそれと同時。……対戦相手が10秒間、拳を握りしめることができなかったことを示していた。

 彼女の闘志は尽きたわけではない。わたしの拳によって完膚なきまでに打ち砕かれたのだ。

 対戦相手はロープに頭を預け、うつろな目で天井を見ていた。

 消えたライトが示すように彼女のグローブからは力が抜け、痙攣する身体と流れ出す体液が彼女の負ったダメージを示している。

 今夜は彼女のようにリングに沈む運命を免れたことに感謝して、わたしは担架で運び出される対戦相手を尻目にリングを後にする。

 このリングの賞金で必要な額をまかなえるのが先か、わたしがリングで動かなくなるのが先か。……ただ、今夜は生き延びた。そして勝った。

 そして、対戦相手もこの分なら死にはしないだろう。いつか、今度は彼女に打ち倒される日が来るかもしれない。今夜の敗北が彼女がここにいる目的を打ち砕いてしまったかもしれない。それでも。

 彼女は拳をパーに開き、わたしはグーに握りしめたままリングを降りる。今夜のところはこれ以上は望まない。

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