第10話

 拳を覆うナックルガードは、通常は剣などの武器に付随するパーツである。

 その名の通り、近接格闘戦において手を守ることのできるもので、いざとなれば殴ることも可能だが、主に装飾品として扱われることが多い。


 突如として現れた真紅の巨漢。それを見た誰もが、その拳を覆ったナックルガードで、剛腕を用いた単純な格闘を行うことを予期した。


 ジフとて例外ではない。

 先手を取り、頭部に一撃でも与えられれば、昏倒とまでは行かなくともある程度のダメージを与えることが出来ると考えた。

 深手でなくとも、それで相手の力量が分かると踏んでいた。


 真っすぐ跳躍して、殴る。


 たったそれだけの単純にすぎるその攻撃は、単純だからこそ迅い。

 その『迅い』はずの攻撃は、しっかりと防がれていた。


(これは、力量を測るどころじゃない)


 驚愕する間もなく、ジフは空中で静止したまま巨漢の腹部に蹴りを入れた。

 これには多少よろめいたようだが、大岩かなにかを蹴ったような感触で、蹴りの衝撃でむしろジフの方が後ろに下がる。


 兜の下にあるぎらついた双眸が再度ジフを捉える。


 殺気を寸前まで抑えた拳が迫るのを感じ、ジフは半歩右に逸れて躱し、更に後ろに一歩下がる。

 まずは左拳によるストレートをすんでのところで回避し、続く右拳による打ち下ろしは虚しく空を切り、床に叩きつけられた。

 歴戦の戦士が繰り出すウォーハンマーによる全力の一撃。それを思わせるような衝撃が床を伝う。


 守勢に回れば一気に潰される!


 そう直感したジフは半端な守りよりも、とにかく敵の攻撃を一手でも減らすために攻勢を強めることにした。

 決意と共に、今度は最小限の動きで敵手の懐に潜り込む。

 もちろん相手にとっても必殺の間合いである。ミスは出来ない。


 固めた拳を解き、『氣』を右手に集める。

 『氣』は、魔力とはまた異なる、拳闘士グラップラーのみ可能な技のひとつを可能とする。


 手のひらを突き出し『氣』を放つ。

 腹部に当たった衝撃が、掌底を通して伝わってくる。

 大岩を思わせるような感触は拳の時と変わらないが、受けた方の衝撃は違うはずだ。


〈鎧貫き〉。外傷ではなく、対象の内部に衝撃を加えることを目的とした技。

 さすがの巨漢もこたえたらしい。僅かばかりだが、苦悶の声が漏れる。


 ここで更に、左拳で追撃を加える。腹部にヒットし、〈鎧貫き〉の命中部位と寸分違わぬ箇所に攻撃し――その瞬間、とてつもない衝撃によりジフは怯んだ。

 追い打ちとばかりに鉄拳が迫る。これはさすがに躱し切れず、ボディに打ち返されてしまう。

 爆発が起きたかのような衝撃が全身を駆け巡る。くの字に身体を折り曲げて昏倒しそうになるものの、バックステップと共に体勢を立て直す。

 

 ジフはよろめき、暗くなりそうな視界で必死に目の焦点を相手に合わせる。相手が巨体なのは、見やすくて助かる。


 精神がやや混濁しているのを感じる。

 何が起きたのか一瞬分からなかったが、寸前に鎧が明滅したのを覚えている。

 あの鎧には何かの仕掛けがあるということか?


「いい戦士だが、所詮は子犬だな」


 口中に涎のようなものが溜まり、吐き出す。妙に赤かった。今はどうでもいいことだった。

 ふと気づく。空間に粒子のような光が舞っている。

 身体に電気的な痛みが走っているのは変わらない。これが先ほどのビンの中身なのだろうとジフはあたりをつける。


 背後では呻きや罵り、そしていくつもの金属音が鳴っているが、ジフもそちらを気にする余裕はない。




 近衛隊指揮官であるアルバも、余裕はなくなっていた。

 ただちに部下を掌握し、目の前の暴漢に対し立ち向かわなくてはならない。

 だというのに、魔動鎧が動いてくれない。

 アルバは全身鎧ではない分、まだ着脱が楽ではあるものの、一瞬で脱ぎ捨てることも出来ない煩わしさに苛立ちを隠せない。

 部下たちはもっと重武装をさせている。全身をすっぽりと覆い隠せる全身用の魔動鎧と、2Hトゥーハンドで運用する高威力の〈ガン〉。

 これが悪手だった。防具も武器も魔動機を用いている。

 中には〈ガン〉を援護するために近接武器を装備している者もいるが、そういう者は優先的に全身鎧フルアーマーを着用させている。

 となれば、軽装である自分よりよほど脱ぎ捨てることは困難を極める。最悪の場合、自分一人では何もできないかもしれない。

 とはいえ、部下を手伝うわけにもいかない。今は緊急事態だ。こうしている間にも、あの巨漢はリカントの青年でなくこちらを始末にかかる可能性があるのだ。


 IMCを自称するリカントが戦っているのに、未だにまごついている我が身が憎らしい。

 IMCが戦っているおかげでまだ生きているという現状も。

 敵戦力を分析する余裕すらなく、アルバは忌々しい魔動鎧を脱ぎ捨てることに集中した。

 細かい作業が煩わしすぎて、ベルトなどは千切ったり斬ったりした。

 その作業に要する時間は、数十秒といったところだろう。


 もしあのリカントがいなかったら、何回死んでいただろうか?


 呪いの如き言葉を振り払い、背中から大剣を引き抜く。

 それと同時に、何かが恐ろしく速いスピードで横を通り過ぎる。

 あのリカントの青年だった。制服のところどころが破れ、破れた口からは焦げ目が見える。

 焦げた、ということは何かが爆発でもしたという事か?

 あの巨漢はといえば、片腕を前方に突き出した体勢になっている。剛腕による拳を受けたのか。となると服が焦げたはいつだ?


 細かい状況はよく分からないが、とにかく自由の身になった今、敵と対峙する。


 真紅の全身金属鎧フルプレートアーマーに身を包んだ巨漢は、いささかも傷ついた様子が見受けられない。

 残念ながら、あのリカントの青年の拳はまったく届かなかったということだろう。

 だが、彼の戦いが全く無意味だったわけではない。

 至近距離の相手を爆発かなにかで攻撃する手段がある――のだろう。恐らく。


 思えば、最初の不意打ち。

 あれは爆発だ。単なる馬鹿力による壁の破壊ではない。明らかになにかが――恐らくはなんらかのマジックアイテムが――爆発したのだ。


 そして鎧にその爆発する何かを仕込んでいるとすれば?リカントの青年が吹き飛ばされたのは、その仕掛けによるものでは?


 疑問の点が線となってつながっていく感覚をアルバは感じていた。

 だが、だからといって勝機を見出したわけではなかった。むしろ絶望に近いものを感じている。

 ということは、自分がいま剣で攻撃したとしても、同じ轍を踏むだけ、ということになるからだ。

 おのれ、〈ガン〉による射撃の名手たる部下たちが万全であれば、こんな重戦士ひとりには好きにさせないものを。


 違う。だからこそ、こいつは最初に魔動機を無力化したのだ。


 もし自分があの時、有無を言わさず攻撃を加えていれば――


「どうした。向かってこないのか」


 余裕綽々といった風情で、真紅の巨漢がアルバに言った。

 絶望と自己嫌悪が怒涛となって押し寄せると同時に、アルバは突進した。

 風切り音すら聞こえるほどの拳撃が迫り、なんとか躱す。


 戦士としての鍛錬を積み、幾度も死線をくぐってきた経験により、肉弾戦の心得はある。

 だが、今は防具を解除している。身を守るものが何もない状態であった。


 不安に萎える己を鼓舞し、大剣を横薙ぎに振るう。左拳によるガードを潜り抜け、なんとか腹部に刀身が到達する。

 これは単なる偶然だが、そこは先ほどジフが〈鎧貫き〉を当てた箇所と一致していた。

 が、明らかに異質なほどの硬質な衝撃にたじろいだのはむしろ攻撃を当てたはずのアルバだった。


 全く効いていない、どころか――


 左拳が迫る。


 巨漢がすぐに反撃に転じることは分かりきっていた。

 だが、攻撃が通用しないこと、ジフに使用したであろう爆発の仕掛けを発動させなかったことによりアルバの思考が引っ張られる。


 撃ち抜くような鉄拳が腹を捉え、アルバは意識を手放した。




 ジフはなんとか立ち上がり、周囲の兵士達が未だに単なる鉄の拘束具と化した魔動鎧に手間取っている中、あのいけ好かない指揮官の男がやられるのを目の端に捉えた。

 間に合わなかったのか。くそっ、せめて二人がかりなら、光明はあったのかもしれないのに。

 呪詛を吐く間もなく、巨漢の男は言った。


「もう一度言うぞ、クソッタレの犬共」


 その声に勝利の余韻だとか、勝者の陶酔などは一切なかった。

 絶望というべきか――とにかく、深い闇のような感情を溶かしこんだかのような、低くどす黒いような声色だった。


「これ以上犠牲者を出したくないのなら、総裁プレジデントは中央平和公園で己の罪を明らかにせよ。そして――総裁が罪を告白しない場合、4日後にグランドターミナル駅を消し飛ばす」



 グランドターミナル駅を――消し飛ばす?


 ジフの理解が追い付かないまま、真紅の巨漢は踵を返すと、破壊された壁の向こうへと走り去っていった。

 鈍重とはいえ、やはりただものではない。あんな重武装で、走る事さえ可能な筋力があるというのか。

 追いかけるべきだ。

 理屈はともかく、ジフはそう思った。だが、本能はそれを拒否した。

 自分の脚を以てすれば、追い付けるかもしれない。尾行も可能だろう。


 だが、あれはただならぬ相手だ。ジフは斥候スカウトの専門ではない。生半可な技術しか持っていない自分の尾行では、まず看破されるだろう。


 そう考えているうちに時間は過ぎていき――脱力した。

 口の中が鉄の味と匂いで一杯だった。口中にあるどろどろとしたものを吐き捨てると、一緒に白いものも飛んでいく。歯のようだ。口の中がめちゃくちゃだ。だがまあ、その程度で済んだのならよしとすべきか。

 そう思った直後、ふらりと意識が旅立ちそうになり、慌てて立ち直る。


 思ったよりもずっと深手を負っていたらしい。アドレナリンでもっていたようだが、緊張状態でなくなったいま、すぐにでも横になってしまいたい程の疲労と痛みがじくじくと全身を蝕んでいた。



「大変なことになったな」ジフの背後から声を掛けたのは、大剣を背中に差した近衛隊指揮官だった。鎧は脱ぎ捨てられ、その下の制服は埃と血まみれ。まさにぼろぼろといってよい風体だった。

「そういえば、名乗っていなかった。アルバ・エディレットだ。近衛機動隊の第二小隊長を務めている」

 アルバと名乗る青年は、相変わらず真面目くさった態度だった。

 なんとか持ち直したらしい。口元と頭から血が流れ出ているものの、弱さを全く感じさせないほどの気丈さだった。

 なるほど、真面目もここまでいけば大したものだ。

「ジフだ。IMCの……えーと、新入りだ」ジフはアルバに対する感想を口にせず、言った。

「どおりで知らぬわけだ」

 アルバはそういうと背を向けて、部下たちの方へ歩いて行った。いくつかの指示を飛ばしたあと、負傷者の手当を手伝っている。


 お互い、無駄な世間話や愛想は無し。そういうわけか。

 俺も帰らないといけないな。ひょっとすると、グランドターミナル駅の前に俺のクビが飛ぶだろうか?

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