第9話
IMCという曰くつきの組織については、近衛機動隊においては有名だ。
政府の魔動機研究機関が、民衆主導機関の代表的存在であるマギテックギルドとバイロン学園に取って代わり、個人の工房があちこちで居を構えるようになった頃、資金の無駄遣いとして解体の危機に瀕していた。
その時、ダラス・ラルヴィダインという警察あがりの代議員が、魔動機術に対する犯罪抑止・対抗手段として、
その程度の歴史であれば常識の範囲内だが、一般に公開されていない情報のひとつに、こんなものがある。
近衛機動隊のトップである総司令官ロウンゴル・ヴォルビンは、代議員時代からIMC課長ダラス・ラルヴィダインと対立関係にあったのだ。
だからといって近衛隊の全員がIMCを嫌うわけではないだろうが、得てして上官の気分というものは一般将兵、特に兵士には伝わりやすい。
「IMCに、お前のようなリカントがいたとはな」
見事な金髪に白銀の胸当てを煌めかせた隊長らしき男が居丈高に言い放った。
リカントへの差別や偏見は嫌と言うほど見てきたため何とも思わないが、まさかファルクに提供するはずだった情報がこんな形になって途絶えてしまうとは思いもよらなかった。
「俺がリカントだろうがエルフだろうが関係はない」
かつて俺に仕事を持ちかけてきた
喉を鋭利な刃物で一気に斬られたのだろう。大きな裂傷がばっくりと口を開け、赤黒いどろどろとした血液が床にぶちまけられている。
以前に会った時とは変わり果てた姿となっていたが、右腕には蜘蛛のようなマークが彫られているアームレットが着けられている。
即死している。生存の可能性は皆無だ。
これはまずい、非常にまずかった。
魔剣の持ち主が誰なのかわからないままだ。情報を辿るための糸が途切れてしまう。
だが、持ち物から何かわかったりはしないだろうか。例えばメモや手記だとか。
「待て」
所持品を検めようと遺体に近付くと、氷のような声と共に、行く手を阻まれる。
指揮官らしき男が背にあった大剣を抜き放つと、周囲の兵士たちもこぞって各々の武器をこちらに向けてきた。
「現場を荒らさないでもらおう」
あからさまにこちらを見下す命令口調に、苛立ちが募った。
俺には権力や縄張りなどどうでもいい。ただ、情報を持ち帰りたいだけだというのに。
「ここは我々に任せておけ。君たちは魔動機が専門だろう?」
金髪の男は傲然と言い放ち、周囲の兵士たちはめいめいに武器を構える。
まさか問答無用で武力衝突するつもりではないだろうが、こちらの出方次第ではそうとも言い切れないところだ。
この指揮官、真面目そうではあるが、話し合いの姿勢が見えない。融通がきかないタイプだ。
となると、順を追って一から説明するよりも、結論から話し、いくらか気を引く方がいい。
「その、魔動機に関する事で、ここに来たんだ。調べさせてもらいたい」
「そこの男は、魔動機に関係などない」
男はぴしゃりと断じる。剣は未だ手に持ったままだ。
「なぜそう言い切れる?」
「我々の調べたところ――どうせ君たちも知っているのだろうが――そこの男は〈
知らなかった、とは言えないが、まあ八割がたは知っていた。
代議員と繋がりがあるというのはファルクの読み通りだったようだ。
「いま調査中の事件が、そこにいる被害者と関係がある」
「そうか」指揮官らしき男はそう言った。
「信じられんな」
「それじゃあ」にべもない言葉に鼻白んだジフは応えた。
「魔動機に関係しない事は全て見逃せ、とでも言いたいのか」
「もちろんだ。適材適所という言葉があるだろう?少なくともここは我々に任せてもらおう」
「管理外だからといって、火事を見過ごす火消しはいない。それに、俺は邪魔をするつもりもない」
「却下する。はっきり言って、君は邪魔だ。情報が欲しくば、後で調書をとって提出したまえ」
したまえ、だと?
指揮官の男はこれ見よがしに威圧的な言葉を使ってくる。
こいつは今、虚栄心の塊だ。何を言っても通用しないだろう。
力ずく、も通用しない。指揮官も自信満々といった風情があるが、足取りや武器の構えにしっかりした体幹を感じる。口だけの男ではないだろうし、もしこの男を押しのけたとしても周囲を取り囲む兵士はどうにもならない。
仕方がない。近衛隊を探っているであろうファルクと合流し、どうすればいいか聞き出さなければ。
そう思考するも、ジフはまったくもって自信などなかった。
相手がなにを考えているかを読むという事に関してはカネ、及びカネをつかむ機会がいかに大事かということをシスターによって叩き込まれた関係上、少しばかり心得がある。
だが、自身の考えを理路整然と、相手に受け入れられるように伝える弁舌の技術については、からきしであった。
だがなんとかしなければならない。こいつらとここで事を構えてよいものか。
ジフはIMCを取り巻く組織的背景があまり分かっていない。勘所がつかめずにいた。
ループするかのように高速で思いを巡らせていた思考は、爆発にも似た破壊音で唐突に破られた。
ほぼ同時に、いくつもの悲鳴が上がり、重武装をしていた複数人の兵士が吹き飛ぶ。
瓦礫や砂粒がジフの全身を打つ。土煙が舞い、視界が遮られる。
あまりにも突然の出来事だったが、ジフは既に思考を切り替えていた。
おっさんをやった奴か、その仲間か。だが何故、危険を冒してここに来た?
俺はともかく、ここには精鋭部隊である近衛隊が集結している。もしや、この戦力差をどうにかできるほどの自信があるという事か?
「なんだ、なにが起きたんだ。おい、副官、いるか!状況報告!」
切迫した声でだが、寝ぼけているような対応だった。
いま、詳細を知る必要性をジフは感じていない。
敵が来ている。今はそれだけでいい。
異質な、足音らしき音が聞こえる。歩調はゆっくりだが、確実に近づいてきているのがわかる。
土煙と、違和感がジフを包み込む。視界が遮られてはいるものの、音は誤魔化せない。この程度の事で不意打ちを食うほどに寝ぼけてはいない自覚があった。
問題は違和感の方だ。足音と言うには、あまりにも鈍重ではあるまいか。まるで巨大な貨物を下ろしたかのような響き方をする……。
煙から巨体が姿を現す。
やはりそれは異様だった。
トロールの如きその体躯は2mを越えているほど高く、大きく、分厚い。
頭から足先までを、ところどころに傷の目立つ真紅の
剣や殴打武器、盾などは持っていないようだが、その両手はコの字を描くような金属板で覆われたナックルガードが握られている。
武器は格闘武器のようだが、鈍重な身のこなしと出で立ちから、ジフのような
拳闘士とは武器や防具に頼らず、己の肉体・五感を以て敵を制圧する。
だが、眼前に立つ闖入者はそれとは全く異なる。
整理しきれない思考とは裏腹に、ジフは戦闘態勢を取り、静かに構えていた。
分からないことは、いま、分からなくてもいい。そう割り切っていた。
ジフは元から近衛隊にすがろうなどとは考えておらず、近衛隊の怒鳴るような誰何にも全く期待していなかった。
「お前たちに告げる」
真紅の大男が言った。
低く、それでいて堂々とした張りのある声だった。
「これ以上犠牲者を出したくないのなら、
汚染。
その一言が、場を凍り付かせた。
こいつが精神汚染事件の、犯人だというのか?
糸が途切れたとばかり思っていたが、そういうことならこいつを見逃すことは絶対に出来ない。
それどころか、一気に真実まで辿り着けるかもしれない。
「総員、構え!」
近衛隊の兵士達が、裂帛の号令を受けて一斉に武器を構える。
ガン、大剣、戦槍……いずれも、生物であれば滅することが出来る武装だ。
兵士達も一応全身を金属鎧で固めている。堅牢さでは巨漢のそれとは比べ物にならないだろうが、機敏さでは巨漢を上回っていることが容易に想像できる。
それに、最初の不意打ちでいくらか負傷者が出ているとはいえ、兵士の数は二○人近くいる。
どう考えても、この大男に勝ち目はない。
ない、はずだ。
「今すぐ、投降しろ!大人しくすれば、命までは取らない。逮捕されても、君は裁判によって弁論する権利がある!」
指揮官の声がなおも響く。
必死さすら感じさせる声に、侮りは感じられない。
ジフは舌打ちをしたい気持ちでいっぱいだった。
こいつの言うことは正しい。いかな凶悪犯とはいえ、法に則って考えれば問答無用でなぎ倒すわけにはいかない。
が、現実にそぐわない。
石壁を破壊することすら可能な巨漢が、兵士の数にびくついて大人しくするとは思えない。
それと同時に、ジフはこの近衛隊指揮官に対する評価を改めていた。
法を第一に考え、感情で動かないという義心のようなものがある。おそらく、ジフに対しての厳しく冷徹な態度も、本当に職業上の必要性のみで行動した結果だろう。
「お前たちは無力だ。偽りの戦士共よ」
巨漢は侮蔑をあらわにしたような声でそう言うと、不意に小さな長方形の物質を放り投げる。
煙で見えにくいが、なにやらビンのような代物だった。
危険を感じ、咄嗟に防御・回避の構えを取る。
ビンが地面に落ち、割れる。
すると、閃光の閃きと共に、電撃のような痛みが全身を駆け巡る。
多少の痛みは感じるが、戦闘に支障があるほどではない。
と、ジフがそう思っていると、周囲からは阿鼻叫喚が聞こえてくる。
「何だ、これは……!」
「魔動鎧が動かん!故障か!?」
「銃もだ!くそっ、鎧を脱ぎ捨てろ!やられるぞ!」
「
「哀れな番犬共よ。それがお前たちの現実だ」
ジフは電撃による呻きを噛み殺し、これ以上の問答は時間の無駄だと判断する。
金属製の武具を着こんでいないことが幸いしたか、ジフにはそれほどのダメージはなかった。
右脚に力を込め、飛ぶ。
その勢いのまま、左拳を巨漢の頭部めがけて繰り出す。
硬質の感触と、金属音。
人を殴っているとは思えないほどに硬く重いそれは、頭部ではなく、右手のナックルガードだった。
あの格闘武器らしきものは、武器じゃない!
兜の下にある双眸がジフを捉えた。
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