第11話

(おい、ジフ!お前、大丈夫なのか!)


 ぼやけた視界の中で、陽光に照らされて輝く銀髪と、その下にあるダークレッドの瞳が眼前に広がる。

 それは距離的に考えると至近距離のはずだが、奇妙なほどの浮遊感と現実味のなさが合わさって、白昼夢のようにも感じる。


 思考が散逸しそうだ。様々な、とりとめもないことを考える。


 これは誰だろう?あぁ、ファルクか。

 よかった。とりあえず合流できたのか。

 歩いているうちに、どんどん血を失ってしまって、さすがにフラフラになってしまったから体力が心配だったが。


(お前……なんだこのケガは!?なにがあった?)


 耳朶が振動している気がする。大声で怒鳴るほどの声量で、何かを言っている気がする。

 だが、その意味をあまり理解できない。耳で聞こえる事よりも、自身の思考で精一杯なのだった。


 なにか、とても重大な事を言わなければならない。そんな気がする。それは一体なんだったか?


 寒くなってきた。視界もどんどん薄暗くなっていってる。このままだと意識が飛んでしまうような気がしてならない。

 なにを言おう。ケガの事よりも、とても重大なことがあったような気がする。


 そうだ、思い出してきた。聞いてくれ。

 近衛隊と一緒に、でかいやつと殴り合って――そいつが――グランドターミナル駅を――


(ジフ!おい!しっかりしろ!)



 ・ ・ ・ ・ ・ ・


 ――気づけば俺は、暗い闇の中を這いずり、歩いていた。

 行くあてがあるわけでもなく、ここがどこなのかすら不明確なまま――


(なんだ、これは?)


 ぼんやりした意識のまま、眼前の景色を見つめる。


 ああ、これは夢か。そうか、これが死ぬ前に見るという走馬灯なのか。


 ・ ・ ・ ・ ・ ・



 の中にある俺は、瓦礫や魔動機の残骸が積まれている区域を這いずるように移動している。

 たまに、なんらかの死骸らしきものや吐瀉物の干からびたものもあるが、そういったものからは目を反らし、使えそうなものがないかどうかを目を皿のようにして探し回る。


 それは、俺が生まれ育った教会を飛び出した後に初めて行った仕事だった。


 魔動機のパーツや文字通りの掘り出し物を探し求めて、来る日も来る日も地面を舐めるように見まわしている。

 朝も昼も夜も、ずっとずっと同じことを繰り返している。


 そんな地の底を体現したような生業でさえも――人は、派閥を作りたがる。


 俺と同じように泥や埃まみれの服装をした人間が三人、俺を取り囲んでいた。


 なにかをまくし立てるように叫び散らし、殴りかかってくる――



 ・ ・ ・ ・ ・ ・



 の中に俺が、うずくまって倒れている。

 身体がだるい。喉が痛い。

 手足は感覚を無くすほど疲れ切っており、腹は減って脱力感が消えない。

 夜闇の中、たった一人で倒れていると、何故だか分からないが『悔しい』という感情が溢れてくる。

 あれほど空虚な残骸探しの日々だったのに、いざとなると激情がこみ上げ来るということに、安堵すら覚える。

 こんな状況で安堵している自分におかしみを感じると共に、ふと、『ああ、これから死ぬんだ』と確信した。

 虫の知らせというやつかもしれなかった。

 自らの死期を悟っていると、そこに一人の人影が近付いてくる。

 もはや暴漢に対してなんの抵抗をする体力も理由もなくなっていた俺は、そのまま瞼を閉じた。



 ・ ・ ・ ・ ・ ・



 の中の俺が、『匂い』を感じて起き上がる。

 腹に激痛が走るが、痛みを忘れさせるほどの食欲によってかき消されていた。


 そこは、石の壁と暖かな火と木で出来た調度品――つまり、誰かの家の中だった。

 状況が飲み込めず、自分を見下ろす。

 小さなベッドの中で俺は眠っていたようだった。年季が入っているものの清潔な布にくるまっている。

 身体中のあちこちが包帯で巻かれている。


 やがて、『匂い』の元が運ばれてきた。

 運んできたのは、華奢な女性だった。くたびれたエプロンを着ており、大きな耳が頭から生えている。

 両手で盆を持っている。盆の上には皿が三つ。

 スープと、スープと、パンだった。


「私、料理はよく作るんですよ。煮込み料理だけは煮込んでいれば作れますから得意なんです」


 それを言うなら焼き料理は焼けばいいということになるんじゃないのか?

 そんな返事をする余裕もなく、ただ温かく、美味なるそれを一瞬で平らげる。


「ウチのご飯、おいしかったですか?」


 口の中にあるものが咀嚼しきれていないため、うんうんと頷いて応える。


「もう、しようのない人」


 彼女はそう言って笑った。何がおかしいのかは分からなかった。


 ・ ・ ・ ・ ・ ・


 彼女はディーナという名前らしい。

 大きな耳があるが、リカントではなく、レプラカーンという種族なのだという。


 ディーナは死にかけていた俺を自宅に運び、寝床と食事を用意してくれた上、見よう見まねながらも手当てまでしてくれていた。


 こんなに汚らしくみすぼらしい自分に。



「家の前で人がぶっ倒れてて、びっくりしました」


「そうか」


 それはそうだろうな、と思った。それと同時に、『家』という言葉に懐かしみと疎外感のようなものを抱く。

 教会を離れた今、もう遥か遠い話だ。これから先、二度とこういう『家』に帰るという事は無いのかもしれない。


「お兄さん、これからどうするの?」


 うーん、と唸る。

 元々、なにか計画をもって行動していたわけではない。これからどうするなどと考えたことはなかった。


 まあ昨日と同じく廃墟を漁ることになるのだろう。これからもずっと。


「じゃあお兄さん、よかったらウチと―――――



 ・ ・ ・ ・ ・ ・


 治療の名目とはいえ、数日ぶりにまともな寝具と共に安静に眠るという贅沢を味わったジフだったが、残念ながらそのまま安眠を享受することは出来なかった。



「いやぁお前、初仕事で中々の鉄火場だったな」


 半死半生のていで混乱の極みからようやく脱した新入り――ジフの事情をようやく聞き終えたファルクの、それが一言めだった。


 最初はジフも誤解したものだが、ジフが治療を受けたのは治療の専門家たる神官の集う神殿でなく、どこぞのホテルの一室でもなく、IMC本部の仮眠室であった。

 大怪我をしたというのに即刻本部に収容して事情聴取を行っているのである。ジフも、さすがに中々冷血だなと思わないではなかった。


 ま、本当は命に別状がないというのがわかったから、本気で心配させた報復のつもりかもな。


 ジフはそう思っていた。冷酷非道な扱いを受けている割にこう考えるあたり、まことに楽観的と思われても仕方ない彼だが、実のところそれは的を得ていた。

 全身を煤だらけの血塗れにしたジフを見たファルクは、ジフを単独行動させたことを深く後悔し、彼の治療にあたったのだ。

 ファルクは魔動機術を心得ており、【ヒーリング・バレット】の魔術を弾丸に込めて対象に打ち込むことで傷は治療できる。


 だが傷を癒せたとしても、ひとたび意識を失うほどの衝撃を食らったジフの意識が戻るか否かはジフ自身の生命力に期待するしかない。

 高位の神官がいれば話は別だが、ファルクは応急手当のできる野伏レンジャーのような技術を持ち合わせていない。急場の処置としてはそれぐらいしかやりようがなかった。


 ダークレッドの瞳が気づかわしげにジフの息遣いを見守る中、ジフは驚くべき、というべきか――半狼リカントの青年は寝息をたてはじめ、さらにはいびきすらかくようになった。


 安堵した次の瞬間に、ファルクはどうやって復讐してやろうかを思案するに至った。




 いまや事務所――もとい、IMC本部でジフはファルクに報告しながら、報告書を書いていた。それにしてもがどうしてここまで不機嫌なのだろうとは考えてはいたが、愚直にたずねるまでの勇気はなかった。

 ジフにとってはじめての事務仕事であるため、さすがに一人では完結させられなかったのがむしろ会話の潤滑剤となってくれたのかもしれない。

 色々な質疑応答とともに会話がはずみ、ファルクの機嫌がようやくフラットになってきた事をジフは声色と表情から感じ取っていた。


「正直、いきなりすぎて半分ぐらいはよく分からない状況だったんだが」

「それ、報告書に書くなよ。そういう時は、突発的な事態により云々……って書くんだ」


 ファルクは適当なようでいて、適切なアドバイスをジフにくれた。生来、彼は生真面目ではなく、むしろ享楽を友とする性である。

 それが社会経験という濁った風に晒された結果、気楽さと剛直さをはらんだファルクの性格は硬軟の使い分けを可とする器量を持ち合わせることになった。

 よい結果を生むために楽をする努力を惜しまない。これがファルクの仕事における基本原則だった。



「グランドターミナル駅を消し飛ばす、か。テロリストとしてはまあ、そこそこいいところいってるよ」

 ジフが己の文章から直感や主観などを排除するのに苦心している中、ヒマらしいファルクが言った。


「なにがだ?」


「最初に度肝を抜くようなことを言っておく。宣伝としてこれほど有効な手立てはない。なにせ今やIMCどころか近衛隊も、それどころか都市の中枢が大慌てだ」


 ジフの見聞きした内容は、既に都市の中枢に知られているらしい。思えば、アルバをはじめとする近衛隊員も同様の情報を得ているのだから、そちらからの報告の方が先だったのだろう。


「それが嘘って可能性が大きいとは考えないのか?グランドターミナル駅に細工を仕掛けるなんて、現実的だとは思えない」


「まあな。毎日数千人、あるいは万人という人が行き交うわけだから、不審者は目立つ――でもまあ、やりようはあるだろう」


「あるのか?」


「あるさ。爆発物を地下に埋めて推進させるとか、大威力の魔法を遠距離から発動するとか。俺がヒマだったら、少なくとも五、六通りはプランを思いつける自信があるね」


 いまヒマだろう、とは思ったが、あえて彼の雷を受けたくはないジフだった。



「ちなみにあたしは七、八通りは思いつける自信あるけどねー」

 明るく無遠慮な声がファルクの背後から響いた。

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