第3話 君と変える日常
『私が協力するにあたっての注意事項。いや、守ってもらうこと。いや、必ず守らなければならない義務がある』
「どうして、どんどん拘束度を増していく?」
『甘いこと言ったら効かないということを自己分析しながら、発言しているのよ』
「わぁ~やっぱり同一人物って便利だな」
『かなり自己評価を低くしながら考えているわよ』
「はい、お願いします。僕はサツキの劣化版なので」
『……守ってもらうこと』
何か言いたげそうにサツキは言葉を呑み込むようにして、淡々と僕に告げる。
その一、私のいうことを聞く。
その二、異論反論抗議口答えは一切認めない。答えられる範囲の質問ならよし。
その三、自分を貶めるような言葉は使わない
「ハハハ、最初の二つはともかく、最後だけは善処しますとか言えませんね」
『まぁ、それはおいおい、自信をつけていくとして』
「そもそもなんで彼女を作るという話に?」
『え、家族を安心させたいんでしょう?それなら彼女を紹介するのが一番よ。
想像してみなさい。家に彼女を招いた時の母のことを』
「うっ、確かに」
煩いぐらいの母さんの叫び声が頭のなかに響いた。
きゃぁー芽友ちゃんの彼女なんて。今日は赤飯、いやお寿司、ケーキも買ってこないと。
幻聴うるさい。
「わかりました。まぁ、それで鬼仏さんの願いが叶うなら」
『そこは問題なし』
随分自信満々だな。
「サツキは鬼仏さんの願いについて知っているのか?」
『ええ、もちろん。そしてその願いを叶えることが、鬼仏雫を彼女にすることと直結している』
そこなんだよな。なんで、それが彼女の願いを叶えることと繋がるのか。
「まぁ、考えても仕方ないから。とりあえずやってみるよ。熱しやすく冷めやすいのが我孫子芽友だから、熱いうちにうってくれ」
『そのでかい態度は気に喰わないけど、まぁ、不問にしてあげる。
それじゃ最初のミッションを支持する前に確認したいんだけど、メイが住んでいるのって、仁支川市の神新台?』
「はい、そうですけど」
『その電話も七不思議の一つの異世界へ繋がる電話?』
思わず僕の返事がワンテンポ遅れる。
「はい、まぁ」
なんか、不穏な空気がしたからだ。
『じゃあ、あるわね。おばけ』
「しつれい」
『今、切ったら一生口きかない』
僕は頭を抱えて、置きかけた受話器を再び耳にあてる。
「あの~わかってますよね。僕がそういうの苦手だって」
『うん、女の子なら喜ばれる属性だけど、男ならヘタレ以外何物でもない属性持ち』
「遠回しに僕のことをディスってますよね?」
『気のせいよ。ところで今日は何曜日?』
なんかはぐらかされたような気がしないでもないが。
「え~と」
僕はスマホを取り出して、日付を確認する。
「水曜日だな」
サツキのテンション、バク上がり。
『運命って怖い!じゃあ、今日の夜八時にそこに向かってね』
「ふざける、ないで下さい。お願いします」
『異論反論口答えは?』
「うっ、一切認めない」
『よろしい。それじゃ、頑張ってね』
「ちょっと待ってくれ。それだけ?」
『うん、それだけ』
そう言われて、電話は切られた。
「なんなんだ一体」
受話器をガチャリと置いて、電話を置く。
「あ~嫌だな」
全く気乗りしないが、もしこれを拒否したら本来の目的である鬼仏さんの願いを叶えるという目標は達成しない。
嘘なんて一発で見破られるだろうし、今度そっぽ向かれたら僕には道がなくなる。それだけは避けたかった。
「とりあえず、塩でももっていくべきか」
そんな古典的な方法しか思いつかない程、僕はてんぱっていた。
僕が住んでいるのは仁支川市。しかし家から徒歩数分のところに仁支川市と犬河町の境目がある。隣同士の家でも学校は違うし、家の一番近い大きなスーパーや駅は犬河町になる為、例えば市が発行してくれる商品券などは使えない。
そして犬河町にある、僕の家から徒歩一〇分程のところに七不思議の一つでもある『お化け屋敷』がある。
突っ込みたいところは満載だと思うが、所詮小学生の子供が考えたであろうことに『どうして市からはみ出ている』とか『お化け屋敷って七不思議でもなんでもない』という突っ込みは鞘の中に納めて頂きたい。そして納めたものは鬼を倒す少年にでも渡しいてもらいたい。
一匹として滅することは出来ないだろうけど。
話は逸れたが、お化け屋敷といっても、古びた洋館でもなければ、どこかの大富豪の別荘でもないそこは、民家が立ち並ぶ家の中にポツンとある古びた普通の一件家で、美浜台よりも古い家が多いので、その付近の家は築四〇年以上立っているのがほとんどで、お化け屋敷もそれぐらいは立っていると思われる。
古びた外観と周りには空き家なんてないのに、一向に買い手がつかないことから、お化け屋敷になったと聞いたことがある。そして次から次へと人を怖がらせようと、尾ひれがついた。
曰く、火の弾を見た。
曰く、一家心中があった。
曰く、夜な夜なうめき声が聞こえる。
曰く、とある富豪一家が強盗犯に殺された。
そんな感じで、七不思議の中でも一番安定しないというか、聞く度に話が盛られたり、改ざんされたりしている。
「まぁ、今はどうなっているのかは知らんけど」
友衣の話によると七不思議事態が廃れているので、もしかしたらきれいさっぱり忘れ去れている可能性もある。
「それなのにどうして?」
鬼仏さんの願いを叶えることが、どうしてお化け屋敷に赴くことになるのか。
夜の一九時五〇分。誰も答えてくれない僕の質問は夜風に吹き飛ばされ、路地裏で吹き溜まる一方だ。
「と、とにかく、早くいって帰ろう」
相手は僕だ。つまり僕が嫌がることはしないはず。うん、多分。
思わず立ち止まり、天を仰ぐ。
今でも自分と同一人物なんて思えないのに。
確かに信じている。でも信用はしていない。
「北斗七星って、どれだっけ」
夏の夜空を見ながら、春の星座を探すバカはおぼつかない足取りで目的地に向かう。
「ここだよな」
お化け屋敷の前に佇む僕の体は当然の如く震えている。
全ての雨戸は閉め切られて、ベージュ色の外壁も赤い屋根も黒ずみが至る所についているその佇まいは不気味以外何物でもなかった。
電話ボックスもそうだが、どうしてこういう場所というのは、夜になるとまるでホームタウンに戻ってきたかのように、ジョブチェンジして、こんなにもレベルをあげるんだろうか。
「ここで一体、何をしろっていうんだ?」
家の前で何をすべきかわからず立ち尽くしていると、
「な、なんで!」
その声と共に後方で何か落ちる音がしたので、振り返るとそこには制服に赤いパーカーを着た鬼仏さんが立っていた。
「き、鬼仏さん!」
いや、赤ずきん?
「なんじゃ。騒がしいの」
振り返ると、門のすぐそばに立っていた老婆に僕は思わず、
「魔女」
と呟いて、その場で気絶してしまった。
それからどれくらい経っただろうか、気づいた時には僕は道路の隅に横になって倒れていた。
「あ、良かったです」
そう言って、横から僕の顔を覗き込む鬼仏さんの顔を見て驚いて、
「わぁ」
反射的に顔を上げてしまったので、彼女のおでことぶつかる。
「つぅ~~~~」
今までに感じたことのない鈍い痛みに僕は悶えるが、鬼仏さんはなんともないような顔をしている。
「すいません。私、石頭で」
もはやそれは石を通り越して、コンクリート頭だ。絶対言わないけれど。
「あ、はい。そのすいません。迷惑かけてしまって」
痛みを必死にこらえて謝罪する僕に、
「全くじゃ」
門の向こうに立っていた七〇ぐらいの老婆はそう言った。
そのまま魔女役として配役出来そうなぐらいに、大きな鼻に大きな口に、どこか獲物を見る怪しい目つきに、全身黒を基調とした服。
悪くいえば不気味、良くいえばオーラが漂っていた。
「雫も彼氏にするなら、もっとまともな男にしなさい」
「お、おばあちゃん!」
恥ずかしながら叫ぶ鬼仏さんに目の前の老婆が鬼仏さんの身内だということを悟り、僕は立ち上がり、頭を下げる。
「挨拶にくるならもっと真面な時間にこんかい」
「いえ、そういうつもりでは、そもそも僕は鬼仏さんの」
「おばあちゃん!」
僕の言葉を遮るように、さっきよりも一段大きい、怒気のある声で叫ぶ鬼仏さん。初めてみる彼女の表情に『可愛いな』と思いながら見惚れていたので、返事が遅れる。
「あ、そのすいません。ご迷惑をおかけしまして。では、僕はこれで」
こんな夜に身内の女性二人しかいない場所にいたら、不審者扱いされると思い、早々に去ろうとする僕の背中に、
「待ちなさい!」
老婆はそう呼びかけた。
「茶ぐらい飲んでいけ」
「え?」
突然の誘いに僕は目を丸くする。
「それとも幽霊屋敷に入りたくないかい?」
「いいえ、そんなことは」
そう言ってチラリと鬼仏さんを見る。彼女はまるで小動物のように首を縦に振り、コクコク頷いている。
「あ、じゃあお言葉に甘えて」
「うん、雫は帰ってええぞ」
「え~~~」
絶望したような顔を浮かべる鬼仏さんの表情を見て、老婆はゲラゲラと笑う。
「もぅ、おばあちゃん」
そんな、ほほえましい光景を見ながら僕は長年幽霊屋敷認定されていた鬼仏さんのおばあちゃんの家に足を踏み入れた。
本名を菊枝さんというその老婆は鬼仏さんの母方の祖母らしくて、旦那さんが数十年前に他界して独りになったので、思い出深いこの街に戻ってきたらしい。鬼仏さん達がこの街に引っ越してきたのも、おばあちゃんがいたからというのが大きな要因らしい。
「空き家がここしかなくてな」
畳の部屋。ちゃぶ台の上で番茶を啜る魔女。シュールだ。
「本当はこんな不便なところに一人で住んで欲しくなくて、一緒に暮らそうと言っているんですけど」
「誰があんなビルみたいな建物に住むかい!」
「別にいいじゃん!三人だけなんだし、マンションだって」
「三人?」
思わず反応してしまい、慌ててその口を閉じる。
「あ、その、父と母離婚しまして、今、私母と二人暮らしなんです」
「す、すいません。なんか言いづらいことを聞いてしまって」
「いえいえ、もぅ、慣れましたし」
「まぁ、当然じゃ、相性は最悪だったからの~丁度良かったわ。あの男の手柄は雫を作ったことだけじゃ」
「お、おばあちゃん」
女性二人。しかも身内同士のガールズトークにとても居心地が悪く、愛想笑いを浮かべ、誤魔化す。
「あはは、そのそんなに相性悪かったの?」
「はい、どうして結婚したのかって、小学生の娘ながら思う程に」
思わず吹き出す。
「それ家も同じです」
しばらくの間があって彼女はニコリと笑った。
「え、そうなんですか!」
その間に首を傾げながらも、僕は答える。
「はい。この前なんて母、父の部屋を出禁になって」
そこで頭の中で何かが引っ掛かった。このやり取り、前もしたような。
「アハハ、お互い両親に関しては苦労しているということですね」
「あ、はい」
楽しく談笑する僕と鬼仏さんを見て、菊枝さんは鼻を鳴らした。
「ふん、人の家でいちゃつくんじゃないよ!」
「そ、そんなことは!」
「まぁ、いいわ。そんなに楽しい孫を見るのは久しぶりじゃし」
そう言って、菊枝さんは僕を見た。
「ぶっきらぼうな孫じゃがな。仲良くしてやってくれ」
突然頭を下げられ、僕も鬼仏さんも困惑する。
「いいえ、僕は……その」
リア充だったら、本当に鬼仏さんが大切だと思っている人なら、ここで胸を叩いて、任せてくださいと言えるのだろうが、今の僕にはまだとても言える権利がなく、
「その、善処します」
か細く消え入りそうなその声に菊枝さんは再び鼻を鳴らした。
「フン、男ならもっとはっきりしんかい」
「す、すいません」
「だけど、まぁ、あれじゃ」
菊枝さんはお茶を啜った後に、
「本音だということはイヤっちゅう程わかったわい」
その一言に僕は少し背中を押してもらった気がした。
「それで、家まで送っていった」
『そう。メイにしては中々上出来の結果ね』
次の日の放課後。僕はサツキに昨日のことを報告した。
『それで、鬼仏さんのことは何かわかった?』
「え、何かって?」
『はぁ、家に送るまでに何か話さなかったの?』
「ほとんど話してない。暖かくなったとか、星が綺麗とか、それぐらいかね」
『‥‥‥馬鹿なの、あなたは』
「何故に僕は突然ディスられている」
『折角二人っきりで話せる機会だったのに、なんで何も聞かない。高校のこととか、彼女の願い事のこととか』
「き、聞けるわけがないだろう!」
鬼仏さんにも事情がある。それは僕が土足で踏み入ってはいけないようなものかもしれないのに、そんな易々と聞けるわけがない。
『もしかして、あなた私から聞けるとか思ってないでしょうね?』
「え、教えてくれないの?」
キョトンとする僕の耳にサツキの盛大な溜息が聞こえてくる。
『教える訳がないでしょう。そんなプライベートなこと』
まさかサツキの口からそんな言葉が。
「まさか君の口からそんな言葉が」
『あのね、口に出さないから建前というのよ』
「口に出すと伝わらないこともありますよ」
『なら、聞かないとわからないこともあるんじゃなくて?』
思わず口ごもる。図星だったからだ。
『良い、あなたがずっころんだ理由は、聞こうとしないこと。
メイは元々持っていた空気が読めて、人の表情や感情の変化に敏感に察知が出来た。でも、突然それが通用しなくなったのは何故?
相手の心が複雑になっていったからよ。
人間の感情は喜怒哀楽で表現できる。でもその中にも様々な感情が詰まっている。小学低学年ならその数も多くはない。でも高学年になって自我が発達していくと、一気にその感情の数が膨大になる。
天気予報と一緒。雨、晴れ、曇り、だけならそこまで難しくないし、外れることもない。
だけど降水確率とか何時何分に雨が降って、何時何分に晴れるとかそういう複雑なものになったら、お天気アプリの数だけ違った答えが出る程、難しくなる。
良い。あなたの武器はもぅ、伝家の宝刀じゃなくて、サポートスキル程度に思っておいて。
だから、あなた達はちゃんと話をするべき。
大概なことは話せば、なんとかなるから。まずは彼女と会って、そして話すことから始めなさい』
説教じみたサツキの声に頷く僕。
「大概のことは話せばなんとかなるか」
確かにそうかもしれないが、簡単に言ってくれる。
「人とコミュニケーションをとるのがどれだけ大変か」
その困難さがわかっていて、僕はひたすら空気を読む能力を磨いてきたのだから。
『まぁ、どう聞き出すとか、どのタイミングかは任せるから、頑張って』
これだよ。
「サツキって、結構、いやかなり雑だよな」
『当り前じゃん。あなたなんだから』
ああ、くそ反論できない。
自分うぜぇ。
『というわけで、次に行こうか』
「軽すぎやしませんか。もうちょっと、こう何か」
『言ったでしょ。私はあなた。あなたは私。
つまり私が持っている答えは全てメイが持っている。ただ、それに気づいたか、気づいてないだけ』
「その差って大きいような」
『口答えは?』
「はい、すいません」
横暴すぎる。ここまで横暴なアドバイザーこの世界にいていいのか。
僕でした。
『じゃあ、次ね。体力にはソコソコ自信があるわよね』
「え?まぁ、はい」
僕にしては頑張ったからな。まぁ、無駄な努力だったが。
『じゃあ、次は』
「イヤだ」
『反論は?』
「だって、ここで否定しとかないと、山中に放り込まれるか、樹海に放り込まれるか、どこかのスパルタ超人に弟子入りさせられる可能性が」
『だから、私をなんだと思っているのよ!大丈夫、そんなに厳しいことじゃないから』
そしてサツキは僕に次のミッションの内容を話した。
その話が進むにつれて、僕の顔はまるで、見た目が旨そうなのに一口食べた瞬間に食べられる代物じゃない、そんな物を食べたような顔を浮かべた。
『その例え、私でも全くわからない』
とサツキに突っ込まれそうだが、ようは絶望したのだ。
「う~」
目覚ましが鳴り、まるでゾンビのようにそのアラームを消して、再び死ぬ。
二度寝しても、これから起こることがどれだけ辛いことでも、起きられるのが僕の数少ない良いところ。
「眠い」
一〇分後、僕はベッドから起き上がり、制服ではなく、ジャージに着替えて、そして外に出た。
「なんでこんなことに」
時刻は四時半。夜も明けきってないこんな時間に何をしているのかというと、今からマラソンをするのだ。
早すぎると思うが、遠方の学校に通っている僕は六時半の電車に乗らないといけない。つまり、早朝マラソンをするとなるとどうしてもこの時間になってしまうのだ。
「拷問だな」
そう言いながらも僕は軽くストレッチをして走り出す。
朝靄の中を決して早くはないが、かといって歩いているとはいえないペースで走っていく。
「もぅ、三日目か」
当然、いきなり健康志向に目覚めてマラソンを始めたわけじゃない。これも全てサツキからの指示だ。
『早朝マラソンをしなさい』
「僕を殺す気か。大体、そんなことをいきなり始めたら家族の全員に心配される。下手したらサナトリウム行きだ」
『でも、中学の時はやっていたじゃない』
「あの時はその」
中学入学したての頃、小学高学年から急激な身長の伸びも相まって、色々な運動部から勧誘を受けた。
しかし僕は天才どころか運動神経については中の下。下手したら下の上ぐらいだ。
その二つがどれだけの違いがあるのかはご想像にお任せするとして、ようは、運動音痴なのだ。
可愛い女の子なら許されるその属性も、男となると誰も微笑まないし、許してくれない。
「サツキがあんな性格になった理由の一端って、そこじゃないのか」
僕にとってはコンプレックスになる属性もサツキならプラスになる。
かといって、お化け嫌いはともかく、このコンプレックスはなんとか乗り切ろうとした。
部活にでも入ったら、今の自分が変えられると思って、朝、昼にランニングをしたり、筋トレをしたり頑張ったのだが、結局全ての部活からいらないもの扱いされて、僕の足掻きは無駄となった。
『大丈夫、別に体力をつけることでも持久力をつけるでもないから、純粋に出会いの数を増やすだけ』
「え、鬼仏さんも?」
『やっていると思う。こっちの彼もやっているから』
凄いな鬼仏さん。正に鬼だ。いや仏でもあるのだけど。
『というわけで、レッツトライ』
そんな可愛く言われても。
しかし、鬼仏さんがやっているということが事実なら、学校が遠いことを言い訳には出来ない。
というかどの道、僕には初めから選択しなど、なかったのだ。
「はぁ~とはいったものの」
流石にこれを一週間ずっと続けるのはつらい。タダでさえ、五日間も連続で学校行くだけでも辛いのに。
でも、なんやかんやで今日は四日目。最初の難所、三日坊主を抜けたのだ。
「凄いな人間の欲望」
鬼仏さんと会えるというだけを原動力にここまでやれるのだから。
「結構僕、本気で彼女と恋人になりたいと思っているのか」
急激に恥ずかしくなり、まるでそれを振り払うように、瞬間最大速度で走ったが、もちろんすぐに息切れして立ち止まり、膝に手をつく。
「はぁ、はぁ、はぁ、これじゃ友衣の言葉に反論できないのも無理はないな」
サツキからランニングをするように指示を受けたその日。相も変わらず、ノックもせずに部屋に入ってきた友衣はクローゼットの中から昔着ていたランニング用のジャージを出している僕を見て。
「家出」
と小首を傾げたので、明日から早朝ランニングすると返したら、
「ストーカー?」
と、とんでも変換された。
それでも反論出来なかったのはランニングの目的が、少しでも多く鬼仏さんと接触する回数を増やそうとしているからだろう。
「しかし、流石に眠い」
中学の時もランニングをしていたが、学校が近かかったので、七時に家に帰れば、それから支度して登校しても十分間に合った。
しかし今は遅くとも五時半には家に帰らないといけない。
六月も近く、この時間でも大分明るいのだが、それでも仕事も部活もしていない学生の僕には早すぎる時間。俗物まみれの物体は息を整え、再び走り出す。
坂道の街、神新台。故にどこを走ろうとも坂がつきまとう。つまりある程度体力を残しておかないと、家に帰るのもきつくなる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
高校男子のランニングペースとは思えないぐらいに、下手したら早歩きが得意な人の方が早いのではないかと思うぐらいのペースだが、初日に中学時代ランニングしていたことを慢心し、飛ばし過ぎたせいで帰りの坂道、通勤途中のサラリーマンに妖怪でもみたかのように驚かれた。
そして学校では、一日中机に張り付いていて、普段も陸の孤島なのだが、その距離が伸びて、クラスメイトの誰もがその負のオーラから遠ざかるように、僕の前を通りかかる度に距離を開けた。一人を除いて。
菊枝さんの家で出会ってから、早朝そして帰る時に鬼仏さんは僕の机の前に立って、何も言わず、ただペコリと頭を下げるようになっていた。当然、僕がその返事に返すことは未だになかった。
そんな彼女がその日の僕をみて、どこか心配するような瞳を向けられて、すごくいたたまれない気持ちになったので、明日からは学校では少しはシャンとしようと思って、次の日からは出来るだけちゃんと椅子に座った。全身は筋肉痛だが。
「少しは楽になったかな」
最初に比べたら疲れるペースは遅くなったし、すぐに息切れすることもなくなってきた気がする。多分。
それでも週末に近づくにつれて、蓄積する疲労で、昨日なんて帰りの電車で、車掌に終電で起こされてしまった。家の最寄り駅が終電で良かった。
しかし本来の目的である鬼仏さんとは一度も会っていない。
「そもそもランニングコース被るのか?」
彼女が住むマンションは駅よりで、僕の家との間には、傾斜はそれほどきつくないが、一〇〇メートルぐらいの長い坂が隔たりとなっている。
その坂を下りていたらとても時間内に家に帰ることは出来ないので、チョコレートタブレットの坂を下りて『フーコ』の前を通り過ぎ、その先にある美浜公園に向かう。
中央に池がある大きなその公園は東西に直線距離で一〇〇メートル以上はある。ほとんど遊具はないので、どっちかというと森林欲をする為の老人や犬の散歩コースになっている。
その公園の東口から入り、池の前を通り過ぎて、展示されている茅葺屋根の家の前を通り過ぎ、遊具がある一角を抜けて、西口から出る。そこを出たところにある坂を下ればマンションに行くのだが、下るわけにはいかないのでそこで引き返し、公園の外側を添うように帰っていくのが、今のマラソンコース。
「今度、大体どこを走っているのか聞いとくか」
一週間続けて会わなかったらマラソンコースを変えるべきだろう。
「会わなかったら、やっている必要ないもんな」
そういえば鬼仏さんの私服をみたことがないことに傍と気が付く。ランニングウェアなのだから、そんなに華やかなものではないのはわかっているのだが、スタイルの良い彼女ならきっと、なんでも似合うだろう。
むしろ、走りやすいように体にフイットしているのだから、余計に彼女のスタイルの良さを際立出せてくれるだろう。
「早く見てみたいな‥‥‥‥‥って、何を考えてるんだよ」
「おや、あんたは」
「ご、ごめんなさい!」
鼻の下を伸ばしながら走っていたので、声をかけられて反射的に立ち止まり謝ってしまった。
「何を言っているんだい」
公園のベンチに座る菊枝さんは訝しげな表情でこちらを見てきたので、僕は誤魔化すように愛想笑いを浮かべる。
「アハハ、あ、おはようございます」
「ああ、こんな朝早くからランニングかい?」
「は、はい。菊枝さんは散歩ですか?」
「まぁ、年寄りだからな。朝は必然的に早くなる。
しかしあんた、孫と同じ高校に通っているんだろ。大変じゃないのかい?」
「ええ、まぁ、大変ですね」
まさかお孫さんと会いたくて走っているなんて、口が裂けても言えない。
「それでも、その、体力ないんで」
「ふん、まぁ、程々にな。体を壊さんように」
「……はい、ありがとうございます」
虚をつかれたような僕の表情を見て、菊枝さんの顔が歪む。
「なんじゃい、その顔は」
「いえ、その、ストレートに人に心配されたのは久しぶりなので」
友衣はもちろん、両親も僕のことを大切に思っていることはわかる。
でも、父は無口だし母は喋りだしたらうざいし、友衣も回りくどいので、こうやって真っ直ぐに心配されることに慣れてないので、どんな顔をしたらいいのかわからない。
「ふん、孫と同じことをいうのじゃな」
「え?」
「私にそんな優しい言葉を直接言ってくれるのは、おばあちゃんだけだってな。全く、お前も孫も難儀な性格をしているの」
鬼仏さんはともかく。
「否定できませんね。未だにクラスにも馴染めてないですし」
もぅ、一学期も終わるというのに。
「クラスメイトなのじゃろ?孫と学校とは話さないのかい?」
「ああ~その、僕が話しかけると迷惑なので」
頭を掻きながらそういう僕を見て、菊枝さんの顔が再び難しい顔を浮かべる。
「迷惑?」
「ああ、その」
なんていえばいいのかわからず、僕は言葉を探すように当たりを見回しながら。
「その、僕はクラスの中でも浮いた存在なんです。わかりますかね?」
「バカにするな。それぐらいわかるわい」
僕は一言謝り、話を続けた。
「そして鬼仏さんはクラスの中でも人気者で。そんな彼女に僕が話しかけたら、彼女のクラスでの評判が悪くなってしまうので」
「お前と話すことで孫が風評被害を受けると?」
「まぁ、そんなところです」
それを聞いて、菊枝さんは呆れたような大きな息をついた。
「本当に難儀な性格をしているな」
「すいません」
「謝ることじゃないわい。孫を気遣ってのことなのじゃろ?」
「そんな、たいそれたことじゃないですけど」
「それ、本人に言ったのかい?」
「え?」
「そのこと、孫に言ったのかい?」
「いや、その、それは彼女、優しいから」
「老婆の頭を使わせるな。もっと、わかりやすくいわんかい!」
「あ、はい。その、鬼仏さんは優しいので決して嫌とは言わないと思います。でも、それは本心ではなく、彼女の良心からくることなので。僕は彼女に迷惑かけたくないので」
僕は鬼仏さんの願いを叶えたいと思っている。でも、それでも彼女を困らせたり、悲しませたりするわけにはいかない。
もぅ、二度とあんな顔をさせるわけにはいかないのだ。
俯く僕を見て、菊枝さんは徐に立ち上がった。
「それじゃあの~。お前さんも早く帰らないと学校に遅刻するぞ」
「は、はい」
立ち去る菊枝さんはしばらく歩いたところで立ち止まった。
「前、言ったこと。撤回するつもりはないからな」
「え?」
「孫のこと頼むという話じゃ」
そうとだけ言って、菊枝さんは再び歩き出した。僕は何も言えずしばらく公園で呆けていたら遅刻してしまい、また鬼仏さんに心配をかけてしまった。
情けなさすぎる。
「お願いするか」
一体僕に何が出来るのか、全くわからない。
そんなことを考えながら六時間目の授業を受けているといつの間にか終わっていたらしく、気づいた時には教室が喧噪で包まれていた。
帰ろうと思い立ち上がろうとした時に鬼仏さんがいつものように僕の前の席に立って、いつものように一礼して、去っていく。
「…………」
正直、僕に何が出来るのかはわからないが、頼まれた以上何もしないわけにはいかなかった。
「鬼仏さん!」
いつの間にか僕は立ち上がり、その背中に呼びかけていた。
さっきまでの喧噪が嘘だったみたいに教室中静まり返った。
「え、何いきなり」
「私、あの人の声初めて聴いたかも」
「なんて、名前だっけ、のぶひこくん?」
そんなクラス中の声が耳に入ってきて、僕の口はどんどん堅くなっていく。羞恥心で悶えそうだった。一体、いつから僕はこんなにも言葉を出すことに対して臆病になっていたのだろうか。小学校の頃、なんとも思っていなかったのに。
そこで、傍と気が付く。
ああ、そうか。これが当事者意識で、内輪の中にいるという奴なのだろう。
僕は今、第三者じゃなく当事者で。そしてもちろん相手の感情の全ては今、僕に向けられている。
胃が痛い。今でも逃げ出しそうになる。
それでも、重力に逆らうように、持ち上げた右手を振りながら、ぎこちない笑顔を浮かべる。
「また、明日」
その一言に鬼仏さんは一瞬目を丸くして、ニコリと笑った。
「はい、また明日です」
息をするのを忘れてしまいそうになった。それぐらいの笑顔だった。
そして、それに見惚れていたのは多分、僕だけじゃないだろう。誰もがその表情に息を呑んだ程にその笑顔はとても綺麗で、その姿を写真に収めて保存したら、絶対世紀の名作になると思った。
鬼仏さんが教室を出ていくと同時に、ようやく正常呼吸に戻る僕の周りをクラスメイトが囲んで、静寂に包まれた教室に再び喧噪が蘇る。
「グッジョブだ!え~と、のぶひこくん?」
「うん、一瞬息が止まるかと思った」
「春は近い!」
「いや、もぅ初夏だし」
次々に話しかけられて、一切対応できなかった。のぶひこって誰だよと突っ込むことすらも。
でも、別に良かった。
「少しは前に進めたのか?」
焦り過ぎは良くない。こうやって少しずつ、一歩ずつやっていけばいいのだ。
『良い言葉に聞こえるけど、わかっているよね?』
「単なる言い訳だよな」
一歩ずつ進めば良いという言葉は元来、慌てている人にかける言葉である。元来亀のようなスピードの僕にとって、自分で自分を甘やかす言葉だ。
『わかってる。でも、何もしない。出来ない。そして自分が嫌いになっていく。自信をなくす。更に何もできなくなる。まさに我孫子芽友のデフレスパイラルだね』
「仰る通りで」
流石サツキである。僕は電話の向こうの彼女に敬礼した。
そこでサツキはクスリと笑い、今まで厳しかった口調が緩んだ。
『しかし、ランニングはちゃんと続いているのは立派だよ。三日坊主どころか一日で終わると思っていた。
それでも罪悪感に苛まれてやるけど、それでも三日に一辺ぐらいになると思っていたけど、まさか毎日やるとは』
純粋なその誉め言葉に僕の顔をだらしなく緩んだ。
『で、成果は出たの?』
「え、ああ。鬼仏さんには会えません。鬼仏さんには会いましたけど」
『なに、その言葉のロジックみたいな言い訳は。そっか会えないのか。そっちは走ってないのかな?』
「ランニングコースが違うのでは?」
『そうかもしれない。流石の彼、いや彼女もあの坂を登ってきているとは思えないし』
「かといって、下りられませんよ。そっちの鬼仏さんはどこを走っているの?」
『色々』
「前から思っていたけど、サツキのアドバイスって、どこまでも雑だよな」
『これぐらいで十分だって、信じているからね』
「良い言葉に聞こえますが、ようは説明下手なだけなのでは?」
『わかりきったことを聞く程、無駄なことはないよ』
良い言葉に聞こえるが、ようは図星だな。
納得しかける言い訳を考える。僕の数少ない良いところ。
『それは良いところではないでしょう』
ごもっとも。
『まぁ、試行錯誤したら?もしかしたら走っているのは朝じゃないかも』
「学校以外は全部走れと?」
『ハハハ、そんなこと私に出来るわけがないじゃん!』
「ごもっとも」
『まぁ、考えてみたら?無駄な想像力で工夫出来ることは数少ない私たちの良いところだし』
そうとだけ言って、サツキは電話を切った。
「本当に雑だな」
まぁ、でも納得してしまうのは恐らく彼女が僕自身だからだろう。
受話器を置いて、僕は一つ溜息をついて電話ボックスの外に出た。
空は今にも下りそうな曇天模様だった。
「ねぇ、聞いていい?え~と、われまごしくん?」
「あびこです」
「ああ、そうそうびこ君?」
どうして『あ』を抜く。僕の名前を『い』抜きの文章みたいに呼ばないで欲しい。
「あびこ君って、鬼仏さんの元カレ?」
ランニングを始めて一週間が経過した頃。昼休みにクラスの自席で弁当を食べていると、今まで一度も話しかけられなかった女子にいきなり話しかけられて、突然訳の分からない質問をされた。
彼女はしゃがみこみ、両腕を机の上に置き、その上に顎をのせて正面から僕のことを下から覗き込むような姿勢で、高校生にしては幼い顔つきで、人懐っこそうなその表情を向けてくる。
僕が鬼仏さんに挨拶をした時から、時々挨拶程度はクラスメイトとするようになったのだが、こうやって直接的に異性に話しかけられたのは初めてだったので、
「違いますけど。どうしてそう思ったんですか?」
努めて動揺を表に出さないように、紳士的に答える。
「いや、鬼仏さんと同中の人に聞いたんだけど、なんか前まではロングヘアーだったのを、いきなりばっさり切って、今みたいなショートボブになったって聞いていて。
それで、昨日の二人をみていたら、なんかただならぬ関係だと察しまして」
ただならぬって、今日日聞かない言葉だな。見た目クラスのトップカーストに属してそうな陽キャラなのに。
しかしなんとなく言いたいことはわかった。
「違います。確かに鬼仏さんとは同中ですし、彼女が卒業間近に髪を切ったことも知っています。でも、その理由も知らないです。
まぁ、ご存じの通り、僕はこんな感じで、彼女は委員長だったので、色々気を遣ってくれましたけど」
「アハハ、我孫子君って、そんなこと言うんだ。面白いね」
面白いかな。
まぁ、でも相手をあまり不快にさせないように喋るスキルは衰えてはいるけど、廃れてはいないようだ。
「ああ~でも、そうだったら面白いのにな」
その女子の名前は知らないので、クラスメイトAさんとしておこう。
彼女は僕の机に右頬をくっつけて、頭のてっぺんのアホ毛をピョコピョコ動かしながら、つまらなそうな表情を浮かべる。表情年齢が下がった。
「もし、そうだったら別れた二人が再びリスタートしようと遠くの学校に転校してきたのに、同じ学校のクラスメイトだった、という展開だったら面白いのに」
それ最悪じゃないか。そしてAさんは無駄な言葉が多い。
なんだよ、再びリスタートって。
「ご希望に答えらず申し訳ない。だけど、もしそうだったら僕地獄なんですけど」
本当に顔を青ざめた僕にAさんはけらけらと笑う。
「我孫子君って意外と面白いんだね。新発見!」
「それは、喜んでいいのでしょうか?」
「後敬語。クラスメイトに何故に敬語?」
僕の敬語よりも君の日本語の方が気になります。
「気にしないでください。あまり人と喋る機会がなかったので」
まぁ、敬語を喋るきっかけは周りの人に自分よりもこの人は精神年齢が上だということをアピールしたかったのがある。そうしたら、自然と色々頼まれる存在になるから、クラスの問題が集約出来て、円滑に回せたので。
「でも、鬼仏さんって不思議な人なんだよね」
既に僕の敬語には興味をなくして、Aさんは僕の後方、窓際席で友達と食事をする鬼仏さんを見ているので、僕もその視線の先を無意識に追ってしまう。
「なんか、中学の時色々あったらしくて、時々、いじめにあっていたみたいだし、どうしたらあんな子いじめられるんだろう?」
「さぁ、その辺のことは僕も良く知らないので」
あまりジロジロみるのも失礼なので、前に向き直る。
そう言えば僕は何も知らない。
鬼仏さんは有名人だということもあって、クラスで孤立していた僕でも、嫌でもクラスメイトがする彼女の話が耳に入ってきていた。
でも、その理由を僕は知らない。
どうして虐められたのか。
どうしていきなり叫んで、学校を飛び出したのか。
どうしてばっさりと髪を切ったのか。
「そっか、本人があまり中学の頃は喋りたくなさそうで、でも気になったから、聞いてみたんだけど」
「お役に立てず申し訳ない」
「アハハ、謝る必要なんかないって、収穫もあったし」
「収穫?」
Aさんは立ち上がって。
「我孫子君が案外、喋りやすい人だってこと」
そう言って、両手を横に広げ、どこか嬉しそうにしながら、女子数名の中に駆け足で戻っていって、その一人の背中に飛びつくと、まるで小動物のように頭を撫でられていた。
体つきも顔も幼い彼女はやっぱり、クラスメイトからも友達というより、妹や小動物みたいな扱いを受けているらしい。
僕の方をチラチラ見ながら何か話しているが、あまり悪い気分はしなかった。
そんなことを考えながら、ふと鬼仏さんの方を見ると、こっちを睨みつけていた。
え、なんで?
「芽衣!今日の英語当てられるから、教えてくれ!」
「我孫子君。黒板の上消せなくて、手伝ってくれない?」
「メイクン。先生が呼んでいるよ!」
Aさん基、荒屋敷さんに話しかけられてから、挨拶程度だったクラスメイトとのコミュニケーションの頻度が更に上がった。
「うん、わかった。どこかな?」
「はい。あ、気にせず運動音痴ですが、身長だけは無駄に高いので」
「ありがとうございます。あ、出来ればそのジャガイモの品種のようなイントネーションは止めていただければ。もちろん男爵でもないです」
それに対して、出来るだけ紳士的に冗談交じりに対応していたら、クラスメイトの中での僕の評価はたった数週間で大きく改善された。もはや絶海の孤島に住んでいた僕は完全にクラスという国家の一員となっていた。
「荒屋敷さんって、凄いんですね」
そんな中でも荒屋敷さんとその幼馴染の松原泰氏とは頻繁に昼休みに一緒に昼食をとる程に仲良くなった。
「アハハ、そんなことないよ。全部、芽友君がやったことだよ」
「そう、こいつは全然凄くない」
「あ、酷くない」
幼く可愛いく人懐っこいのに、意外と気遣いが出来るクラスでも人気者の荒屋敷さんとその幼馴染の松原は爽やかなイケメンときた。まさに美男美女のカップルだと思っていたのだが、どうやら二人は付き合っていないようだ。
「なんか、恋愛対象には思えないんだよね。なんでだと思う?」
そう言って、松原が隣に座る荒屋敷さんの方を向くと、彼女は今にも折りそうな勢いで、箸を握りしめる。
「それは遠回しに、私に女性的な魅力がないといっているのかな、泰氏君。大体、そういうところだよ。無駄に顔が良いのに、彼女いない理由」
「いやいや、俺に彼女が出来ない理由がそこにあるとしたら、なんで気遣いできるお前に彼氏が出来ないんだ。あ、そっか。女性じゃなくて女の子だからか」
「だまらっしゃい!」
そんな感じで、二人は頻繁に遠慮なくいいあうので。
「お、また始まった夫婦漫才」
クラスの風物詩になっている。
でも、クラスメイトが誰も言わないので、僕も言わない。
そういうところなのでは?二人に恋人が出来ないのは?
荒屋敷さんは落ち着くように息を吐いた。
「ところで聞きたいんだけど。雫ちゃんとは本当に何もないんだよね?」
突然、ぶつけられた質問に僕は思わず咽た。
「アラ、言い方。言い方。すまん、こいつバカで」
「なんで、私が馬鹿扱いされるのか、理由が意味不明なんですけど」
「その日本語を聞いていたら、誰もがそう思うだろう」
「変じゃないし、平常運転常駐だし」
そんな夫婦漫才を聞きながら、僕はお茶を飲んで落ち着く。
「それで、荒屋敷さん。どうしてそんな質問を?」
「あ、うん、さっき雫ちゃんも一緒にどうかって誘ったんだけど、断られちゃって。
私が、原因なわけがないじゃん。まぁ、泰氏は無視していいじゃない。そうなると消去法で原因は芽衣君にしかないと思って」
「まぁ、俺を無視するところとか、こいつのバカっぽいのは無視して。確かにあの時鬼仏さん、芽衣のことを確認して首を振ったんだよ」
必死に沈んだ感情を押し殺す。
「……嫌われる程の接点はないと思います」
「世知辛い理由だね」
苦笑いを浮かべる荒屋敷さん。
「でも、あの女神の微笑みはとてもどうでもいい人間に向けるものとは思えないが」
「女神の微笑み?」
「あの時、芽友に向けた笑顔」
そんな名前をつけられていたのか。
「そういうあほっぽい言葉はともかく」
「あほにあほって言われた」
「違うし、私は馬鹿であってアホじゃない」
「アラ、修正する方向性が違うぞ」
「うるさい。泰氏は黙っといて。泰氏だけに」
「意味が分からないんだが」
そのやり取りに区切りをつけるように、荒屋敷さんは一つ、咳ばらいをした。
「なにはともあれ、あれは特別な人に向ける笑顔。というわけで私は雫ちゃんの元カレが芽衣君説を主張します」
真顔で話を蒸し返さないでもらいたい。
「いや、主張されても。事実と違うものは、違うと言うしかないのですけど」
「本当に違うの~」
疑いの眼差しを向けてくるが、そんな事実はない以上、頷くわけにはいかない。
「じゃあ義兄妹説。なんなら実は両親の再婚相手の連れ子とか」
「お~い、アラ、帰ってこい」
とんでも理論を並べ立てる荒屋敷さんの手綱をしっかり握る松原。
「まぁ、でも。アラが言いたいことはわからんでもない」
「……え?」
「おい、その君もそっち側の人間みたいな目線で見るな。違うから!こいつと一緒にするな」
そう言って荒屋敷さんを指さす。
「ちょっと、男子二人して、何、いたい気な少女をいたぶるわけ」
話が中々前に進まない。この夫婦どれだけ寄り道するのだ。
「妹はいるけど、鬼仏さんと兄妹になったことはない。
両親もどうして、結婚したのかわからないぐらい性格は違うけど、上手くやっているよ」
松原は顔を引きつらせる。
「中々複雑な家庭事情だな」
「へぇ~妹さんいるんだどんな子?」
僕はしばし考えた後に。
「人の部屋にノックもせずに入ってきて、お茶を要求してくる妹」
二人とも吹き出した。
「アハハ、そんな妹いないよ!」
「芽衣。お前、本当に冗談いうの、上手いな」
いや本当なのだが。
松原は目の涙を拭って、咳払い一つ、話始めた。
「俺達がいいたいのは、この前の彼女の笑顔は元カレに久しぶりに話しかけられて嬉しくて、でも流石に元の状態に戻れないから、今は忘れるように努めている。そんな感じにみえたってことだよ」
確かにそう説明されたら、それが今の彼女の心情を説明するのに、一番誰もが納得する理由だろう。
だが、人の感情を説明するのに多数決も一般論も当然通用しない。
「本当に違うんだ。同中だったけど、中三になってクラス別れてからほとんど話してないし、その後も修学旅行同じ班になったぐらいで」
「え、クラス別なのに?」
「ボッチ同士、先生に無理矢理一緒にされたんだ」
なんともいたたまれない雰囲気が間に流れ込む。
「お前はともかく、鬼仏さんがその意外だな」
「松原も中々失礼な人ですね」
「アハハ、そうなの。こいつは失礼な男なの」
それからなんとなく二人もあまり深追いしてはいけないと感じたのか、
「まぁ、でも美少女はミステリアスの方が良いしな」
という松原の言葉を打ち止めに、それから話題は間もなく迎える夏休みのことや期末の話に持ち込まれた。
だけど二人が話している間も、僕はずっと鬼仏さんのことを考えていた。
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