第八話 なぜあなたが涙を流すの

 薄暗い部屋の入り口で、私はソフィア様に話しかける。


 素朴な疑問だった。


「ソフィア様、私はこの世界のことがあまり分からないので、教えていただきたいのですが……」

「何でも聞いて」


 心配そうに見つめているソフィア様。


 ソフィア様を待たせている。そう思うのに何故か喉の奥まで出てきている言葉は、私の気持ちとは裏腹になかなか言葉にできない。


 理由は簡単だ。私がこの疑問を言葉にしまったら、また私は私自身を否定するだろう。

 

 少し、ほんの少しだけ取り戻した自己肯定感は、きっと無様ぶざまに音を立てて崩れていくだろう。


 息遣いが荒くなる。先ほどとは違う胸の高鳴り。いやこれは動悸どうきとでも言うのだろうか。目頭は熱いのに、体はどんどん冷たくなる。


――――どこに行っても私は欠陥品だ。



「ノア」

「すみません、ソフィア様……」

「謝らないで。謝らないといけないのは私の方よ」


 いつになく真剣な顔でソフィア様は私の手を握ると、フカフカそうなソファまで手を引いてくださる。


 そして私を座らせ、ソフィア様は私の前でかがまれて、私の両手を握ってくださる。


「そ、ソフィア様、その態勢はおやめください……」

「私は大丈夫。それよりも、貴方に謝らせてほしいの」


 私は意味が理解できなかった。なぜソフィア様が謝る必要があるのだろう、と。


「廊下の電気がつかなかった時、私は貴方にはまだ伝えない方がいいのではないかと思って、濁してしまった。すぐに分かってしまうことなのに。誠実じゃなかった。本当にごめんなさい」


 私はこんな不甲斐ふがいない自分が嫌になった。


「ソフィア様は悪くないです。ソフィア様は私のことを思って隠された。それは分かっています。悪いのは私です。私が、欠陥品だから……」


 自分でその言葉を言葉にした瞬間に、貯めていた涙は溢れ出た。

 

 目の前にいるソフィア様の姿が、何重にも重なって見える。自分の醜い姿を少しでも隠したくて、長い前髪で目元を隠す。


 こんなの、絶対にソフィア様も困っているに違いない。私はここに居候するのだから、迷惑はかけたくないのに。あぁ、どうしていつもこうなのだろうか。


 天上界から人間界に来たことで、何かリセットされた気でいたけれど、そうではなかった。私はようやく分かった。私は神に嫌われている。神の使いである天使の一族なのに。今は堕天使だからそれも関係ないのかもしれないが。


「ノア」

「な、なんでしょうか……」

「こちらを向きなさい」


 長い髪はソフィア様の細くて白い手で頭上にかき上げられる。一瞬見えた窓の外の月は美しかった。


 前髪というフィルターのない世界。涙でぐしゃぐしゃになった顔を、ソフィア様は自分と同じ目線に来るように、クイっともう片方の手で操る。


 いつも優しいソフィア様は、今まで見たことのない顔をしていた。


 悲しいような、怒っているような、そんないろんな感情が入り混じった顔。


「自分のことをだなんて、これから先言わないで!」


 彼女も、その一声で涙が流れる。


 なぜソフィア様が泣いているのだろうか。その時の私には分からなかった。

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