第三話 悪魔のノアは、こうして堕天使となった

 神は時に、残酷だ。


 おぎゃあ、と生まれた瞬間に歓喜の声が聞こえた。綺麗な金髪に、立派な白い翼の生えた男の子だった。その後すぐ同じように、おぎゃあ、と同じ泣き声が鳴り響いた。


 しかし、歓喜の声は聞こえず、そこにいた誰もが絶句した。


 天上界では稀な漆黒の髪。さらに、天使の一族でありながら、翼があまりにも小さかった。蝶のような儚くもろい、ガラスのような羽。双子として、同じ時を刻んだ私達であったが、周りの反応は全く異なっていた。


「黒い髪に、赤い眼……。悪魔の子だ」


 誰かが、そう噂した。



 ――――――――



 そして時は流れ、物心がつき始めた幼少期。


「私はユーゴと同じが良い! 双子なんだから!」


 私は兄との違いを埋めるように、そして自分の欠落した部分を兄で補うように、ユーゴのマネをするようになった。

 

そして、口癖のように皆に聞いた。


「ねぇ、私とユーゴ、同じに見える?」


 私にとっては一種のおまじないであり、呪いでもあった。しかし、淡い期待を持った幼い少女に向かって、周りの天使や神々は、誰もお世辞なんて言ってはくれなかった。


「全く似てないよ。君たち本当に双子なの? 全然違うじゃないか。兄弟だと言われても疑ってしまうよ。男と女、青眼と赤眼、金髪と黒髪、天使と悪魔」


 髪を短く切っても、声を低くしてみても、男装をしても……。顔は瓜二つでそっくりなのに、色や性別が私とユーゴを区別した。男女の違い、一般的に天上界に存在する双子は同性であることが多かったのだ。


 そして天使と人間であることの違い――――


 正確に言うと、私は半神半人であり、神の部分と人の部分が融合した人物。でも、神性を帯びた天上界では50%は0に限りなく近い存在だった。


 それも相まってか、私たちは他人から見ると全てが違うように映っていた。赤の他人だけではない。血縁者でさえも双子の類似点を見つけることはできなかった。



 私は天使や神々に傷つけられた心を、どうにか修復しようと、お母様に答え辛い質問をいくつも投げかけた。 


「おかあさま、なぜ私は髪が黒いのですか?」

「それは……。成長すれば、生え変わるのですよ」

「ユーゴは生まれた時から金髪でした……」


 私の髪をかしながら、お母様は私に聞こえないようにと、静かに泣いていたのを知っている。


 ――――――――


「おかあさま、なぜ私は眼が赤いのですか?」

「それは、他の神や天使と違う視点を持つためよ」

「私はもう、何も見たくありません。皆の私を見る目が怖いのです」


 お母様は、私の頬を優しくなでて、眼が隠れるように長く伸ばした前髪をよける。


「お母様やユーゴ、そして貴方を大切にしてくれる人だけを見ればいい。貴方を傷つける人の声は聞かなくていいのよ」


 いつも優しいお母様の声が、この時だけは少し力が入って震えていたことを覚えている。


 ――――――――


「おかあさま……。神様なぜ、私に翼をくださらなかったのですか?」

「それは、神様の試練なのよ」

「神様は試練が多すぎます……。このような小さな羽では、自分と同じ背の壁さえも乗り越えることはできません」

 

 私の小さな小さな羽を見ながらお母様は言う。


「翼で飛ぶことだけが、壁を乗り越える方法ではないのよ。翼がないからこそ、いろんな方法を見つけられる。そして私たちが寄り添わなければならない、人間の気持ちがよく分かる。それは天使にとって一番大切なことよ」


 ――――――――


「おかあさま、私はなぜ女なのですか?」

「それは、子孫を繁栄させるめいを神がお与えになったのですよ」

「でも、私は……。私の子供が私と同じように『悪魔だ』と言われるなんて悲しいです……」

「お母様も……。お母様も、ノアが悪魔だと言われてとても悲しい……。ノアはこんなにも可愛い、私の大切な娘なのに。代われるなら代わってあげたい……」


 これが私の前で見せた、お母様の初めての弱音だった。なのに私はお母様に追い打ちをかけてしまった。普段誰にも言えない疑問や不満はあふれ出すと止まらなかった。


「なぜ私は……、お兄様と双子なのに、お兄様と同じじゃないのですか?」

「ノア、ごめんなさい……。全て私が悪いのよ。うまく産んであげられなくて、ごめんなさい」


 その頃には私の涙は枯れていた。でもお母様は、まるで私の代わりになったかのように、子供みたいに泣いていた。


 ――――――――


 そうやって私は、大好きなお母様の心を自分の手で傷つけた。そして、自分の存在自体が、母を苦しめるのだと幼いながらに理解した。

 母が悪いのではない、私が悪い。全部全部、私の行いが悪いからなのだ。と言い聞かせた。先天的な欠陥だったのにも関わらず。


 ――――――――


「ねぇ、ノア」

「お兄様、どうしたの?」

「……ノアは、辛いかい?」


 お兄様はお母様と同じように、私を差別することなく、他のみんなと平等に優しく接してくれていた。


「お兄様と、同じじゃないのが辛いの。時が経つにつれて、身長の差は開き、髪の色も真逆のようになり、眼の色もまるで火と水……」

「僕が、こんなことを言う資格はないのかもしれないけれど、双子ならせめて同じ運命でありたかった」


 この言葉に嘘はない。お兄様の眼はお母様に似て、美しくそしてまっすぐだった。


「お兄様……」

「そうすれば、僕らは本当の意味で分かち合えた。自分に暴言を吐かれる痛みも、共に産まれた兄弟を罵倒される苦しみも……」


 この言葉を聞いて、お兄様も私のせいで傷ついているのだと知った。私に対する暴言は、私を大切に思っているお母様やお兄様をも苦しめる。これでは本物の悪魔ではないか。見るものを不快にさせ、大切な人たちを傷つけている――――


「お兄様は、私のことを悪魔だとは、思わないの?」

「僕と生を共にしたノアを何故否定するんだい? 君は僕にとって大切な存在なんだよ」


 お兄様、ありがとう。その言葉だけで悪魔のノアはきっと天使になれる。


「お兄様、私、人間界に行ってみようと思う」

「ノア、それがどういう意味か分かって言っているのか?」

「はい。ですが私は、元から半神半人です。それに――――」



 ――――私がいるとお母様もお兄様も傷つけてしまう。



「それに、なんだい?」

「それに、私は天上界では悪魔と呼ばれております。それよりかは幾分マシな肩書となるでしょう」


 そうして悪魔のノアは、堕天使として人間界へ降り立ったのだ。

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