霞む隔たり

しゃらら。

少しだけカーテンを開ける。

まだ日差しはここまで

辿り着いていないみたい。

遠くで仄かに明るくなってきた空が

話しかけてくるみたいに刺してくる。


予想通りというか予定通りというか、

当たり前のように私が早く起きた。

上体を起こすと布団がくっついてきて

暖かい空気がふわっと外に逃げた。

小津町は寝返ったのか

こちらに体を向けていた。

髪の毛も散在してる。

すぅすぅと一定のリズムで

呼吸を繰り返していた。


歩「…。」


朝。

小津町が床に転がっているのを他所に

バルコニーに出て外を眺む。

外気が一斉に不法侵入してくるけど、

そんなの気にしたって無駄で。

夏とも言える朝はとても蒸している。

冬が1番好きかもしれない。

それが遠ざかっていく。

面倒て怠くて冷ややかな夏が来る。

既に北関東では40℃を

記録した地域もあるのだとか。

そんな季節に突っ立っていた。


花奏「んぅ…。」


歩「……!」


こっ。

見てみれば、軽く伸びをしている

彼女の姿が目に入る。

どうやら伸びた表紙に

骨が鳴ったらしい。


花奏「……んゅ…さ…?」


転がりながら

片目を擦りながらこちらを見てた。

動作だけ見れば小動物のように

錯覚しそうなくらい

愛らしいのかもしれない。

私は全くそう思わないけど。


歩「まだ寝てれば。」


花奏「……んでぉ…」


歩「…寝てていいから。」


花奏「………ん…あぁった…。」


呂律が回っていないあたり、

寝ぼけてたまたま脳が

覚醒しちゃったんだろう。

今度は膝を抱えるように丸くなると

また小さく、小さく寝息をたて始めた。

寒かったのだろうか。

それを理解したら意に反して

バルコニーから部屋に戻っていた。

何にもないワンルーム。

何もないはずのワンルーム。


朝のニュースを見るために

テレビをつけようとするも

リモコンのボタンを押すまではいかなかった。

もう少し、少しだけ

睡眠っていう温もりに浸らせてあげよう。

人は私とは違って

6〜8時間眠らなければ

通常通り行動が出来なくなるのだから。


歩「ふぁ…ぁ…。」


欠伸が漏れる。

昨日の今日だし、想像以上に

疲れが染みついてしまったのかもしれない。

今日は、まだ寝れそう。

少し開いていたカーテンもまた閉める。

また閉館する。

展示品替わりのマネキンの頭は

依然として壁を見つめていた。


歩「………もう少し…だけ。」


甘えてもいいよね、時には。

体をベッドへと放り出す。

そしてまた横になるの。

少しばかりさっきの外気で

もやりとしているけれど。

これは外気のせいではなく

私の心のうちの問題だろうか。

何故だろうか。

黒に暖色を見た。





***





歩「…ま、そんなもんか。」


上体を起こす。

寝起きとは思えないくらい

目が冴えていた。

時計はさっきから1時間だけ

ぽつぽつと歩を進めていた。

眠れて3時間。

一般人からしたらまだまだ

寝不足と換算できる。


床を見ると幼気に眠る彼女。

普段から良く寝る方なのか知らないが

心地良さそうに眠っていることは分かる。


何をしようか。

それから始まる今日。

朝。

6時が近づく。

かちこちとこちらも規則正しく

正確に…ほぼ、正確に鳴る音。


歩「…外、出ようかな。」


置き書きしとけばいいだろう。

朝はそう囁いてくれた。


朝は数時間前の夜の頃とは違って

とても鮮やかで霞んだ匂いがした。

今日は休日ということもあって

あたりは未だこことは違う

どこかに浮遊してる。

数人、スーツを着こなして

駅へと歩く人々。

朝ご飯、軽くパンでも買って行こうかな。

一応財布は持ってきているし、

幸いにも今日の散歩ルートに

コンビニがある。


いつも私は気まぐれに散歩する。

朝だろうが、夜中だろうが。

昼は…暑すぎる時があるから

あんまり好きじゃない。

冬の昼は好きだけど。

気まぐれなのは時間だけじゃなく

道のりもそう。

適当に歩いて適当に帰ってくる。

外に出るたび、発見がある。

それを見つけたくて

いつの間にか遠くにゆく。

それの繰り返し。

帰りは面倒になることが多いから、

音楽を小さく流して帰るけれど

知らない曲ばっかり。

多分、今回もそんな感じ。

でも遅くならないようにはしよう。

なんだか小津町を気にかけているようで

無性に腹が立ってしまう。

けれど、それすら朝の心地と

音楽に流していくのだ。


外に出れる格好はしてきてよかった。

コンビニでパンや飲み物を買った。

本当は費用を考えてスーパーに

行きたかったけれど

何せ早朝だから開いていない。

仕方ない。

納得してる自分がいた。


歩「……はぁ。」


コンビニの中は涼しかったが、

出てみればもう逆戻り。

季節というものが鬱陶しくなるのは

この時期特有のものだろう。

もっと北の方に住んでいれば

もしかしたら冬が嫌いに

なっていたのかもしれない。

かさりとレジ袋を鳴らして1歩、

焼け始めるコンクリートを踏み出した。

中には彼女の分の食事も

入っていたのだった。


どうして、2人分の食事を買ったのだろう。

どうして、泊まり会じみた事をするのを

承諾してしまったんだろう。

どうして、私に執着するんだろう。

どうして、突き離してもめげないんだろう。

どうして、どうして…。

どうして、あいつは時々含みを持たせた事を

口にするんだろう。

その時小津町は大体遠くにいる。

その時は、あいつは遠くを見てる。

恩人とか、助けたとか、

思い当たる節はあるけれど、

それだけで説明できないような何か

…暗い何かをそこに見出せてしまうのだ。

問い、問い、問い。

小津町に興味を持っているみたいで

自分が嫌になる。

自分に呆れてた。

夏の朝空の下の、何でもない休日だった。


脳内でいつか聞いた気もする音楽を

ぐるぐると流していたら、

見慣れた建物が前に聳え立つ。

あぁ、家だ。

そう当たり前のように。

1人暮らしを始めて3年目、か。

じっとりと頬を撫でる夏の冬は

なんとも肌がぴりぴりするような、

けれど生暖かい空気が

それを溶かしてくれる。

寒いのか暖かいのか分からない。

麻痺している。

そうだ、私は麻痺しているんだ。

小津町が近くにいる環境に

段々と慣れ始めてしまっているのだ。


歩「……はぁ。」


また、癖で溜息。

かつかつと地道に階段を上る。

気温差という気怠さが

私をのんまりと包んでいく。

もうすぐで私の家のある階層だ。

ひとつ、自分に喝を入れて

また1歩と重りをつけたように踏み出す。

影が段に焼き付くのが見える。


歩「はぁーあ…。」


「そんなため息吐かんくても。」


歩「は!?」


階段を見て歩いていたせいで

全然上を見ていなかった。

はっと声が聞こえて顔を上げると、

髪がぱらぱらと風に揺られてるあの姿。

私の部屋の前で昨晩のように

立ったままこちらを見つめている。

まだ髪は結んでいないのか。

ぼんやりと、動いてない頭で見ていた。


花奏「歩さんみーっけ。」


歩「…何、外で待ってたの。」


花奏「うん。メモはあったけどなんか不安で。」


歩「あんたは心配性すぎ。」


花奏「にしても『散歩』の二文字しかない書き置きがあるかいや。」


歩「現にあったでしょうが。」


花奏「めんどくさがりすぎやろ。」


歩「でも帰ってきたからそれでよし。」


花奏「適当な人やなぁ。最近みんな姿眩ましがちやから心配にもなるやろ。」


そうは言いつつも言葉に棘がない。

昨晩の思い詰めたような苦しさもない。

ただの日常会話。

眠そうだけど、さっきよりは目は開いてた。

それから、やっぱりあの笑顔。

本調子とは行ってないようで

笑顔ではあるけれどはにかみと言ったほうが

しっくりくるような気もした。

まるで犬みたい。

尾がついてたら…いや、ついていなくても

小津町は分かりやすかった。


花奏「どこ行ってたん?」


歩「散歩。」


花奏「そりゃあ分かってるで。」


歩「はいはい、後は家に入ってから。」


花奏「そういえば何買ってきたん?」


歩「質問してばっかで飽きないわけ?」


花奏「まーったく。」


歩「そ。」


花奏「それでそれで、なーにを買ってきたんー?」


歩「あー煩い煩い。…パンです、パン。」


花奏「わーい朝ごはんやー!」


私が小津町の分も買ってきてる事を

知っているかのように喜んでた。

実際そうだけれど。

部屋の扉を開けながら

嬉しげに先に入っていく彼女。

ここが私の家であることを

覚えているのだろうか。

それくらいの勢いで

私を差し置いて先に入っていくの。

かさかさとビニール袋が揺れる。

2人分。

2日分なら今までに何回もあったけれど

2人分は久しぶりで。


花奏「あ、そや。」


私が玄関に入ったタイミングで

くるっと半回転して私に体を向ける。

ぴゅうっと季節の風が吹いた。

狭くなる扉との隙間に

耐えきれなくなって声を上げたんだ。

冬みたい。

けれど、ここは夏だった。


花奏「お帰り、歩さん。」


歩「…!」


…。

ふと。

そっか。

あぁ、家だって思った。

家なのは当たり前なんだけどさ。


1人暮らしして以降、

実家には月に1回くらいは顔を出してる。

…出すようにしている。

時折周期はずれるけれど。

その中でよく戻ってきたねとか

最近どうとか、元気にしてるとか

全部親戚の人への挨拶のように

感じていた自分がいた。

日々の「ただいま」「お帰り」が

大切とは全く気づかなくて。

1人暮らしだから返事がないことにも

もういい加減慣れた。

慣れていたはずだった。


…馬鹿馬鹿しい。

くだらない。

思い出に無意識に触れられて

涙が出そうなことに虫唾が走る。


歩「…………………ただいま…。」


そう答えてしまったのは

どれだけ嫌だろうと抵抗の念があろうと

心のありどころを求めてしまった。

ただそれだけなんだろう。





***





花奏「じゃ、もうそろそろお邪魔しようかな。朝ごはんも食べたし。」


歩「やっとか。」


時刻は…まぁ、朝の範囲内だろう。

10時が太陽を引っ張り出して

釣りのように少しずつ

上へ上へと上げていく。


花奏「まーさかほんまに私の分も買ってきてくれとったなんて。」


歩「まさか1日泊まっていくなんて。」


花奏「照れ隠ししてるんやろ?」


歩「呆れ返ってしかない。」


花奏「ふうん?」


歩「帰るなら早く帰れば。」


花奏「うん、いつまでもおっても邪魔やと思うしそうするわ。」


歩「さっさと帰れ。」


花奏「あはは、言われへんくてもそうするって。」


朝食後の身支度では

何やら私の家に慣れたように動いていて

はっと顔を合わせれば

いつも通りに揺れるポニーテール。

準備は万端、と言ったように

目を細めていたっけ。

少しばかり皺くちゃになった

スカートが目に入る。

家に帰ったらちゃんと

アイロンがけでもしなきゃ

ならなそうだなと

勝手に想像されてゆく。


そこでまた忘れかけてたことを

水の奥底から掬い上げるように思い出す。

お金返してないやって。

小津町をちらと見ると

忘れ物はないかと鞄を漁ってた。

その動きを真似するかの如く

私も財布を入れていた鞄を

音を立てて探し出して。


歩「あんた、昨日の晩ご飯っていくらした?」


花奏「あー…どうやろ。あれ、レシートは?」


歩「捨てた気がする。」


花奏「取り出してもいいけど…うーん、気が引けるな。なんかあったん?」


歩「お金払ってない。」


花奏「律儀やなぁ。」


歩「こういう金銭的なことは」


花奏「はいはい、どぅどぅー、そんなに熱くならんの。」


歩「別に熱くはなってない。」


花奏「確かに。」


歩「何それ。」


花奏「まあまあ、私だって朝ごはん買ってきてもろたしおあいこってことでどうや?」


おあいこ…とは言っても

明らかに小津町の買ってきてた

もののほうが金額は高いはず。


歩「でも」


花奏「ええんよ。その代わり、また昨日とか今日みたいにご飯食べようや。」


歩「は?」


花奏「今度は自炊しよ、一緒にな?」


歩「ここは賃貸じゃないんだけど。」


花奏「だから一緒に作ろうって。」


歩「何言ってんの?」


花奏「ま、そゆことで!」


状況が読め込めないまま、

小津町は自分の鞄を持って

すいすいと玄関の方へ行く。

それを見て、ようやく、

ようやくあいつがいなくなるんだっていう

実感が湧いてた。

なんだかいつまでもここに居そうな

感じが彼女からは漂っていたから。

一応見送りというか、

こいつが出た後鍵を閉める為に

私も玄関の方まで歩いて行く。

ポニーテールがそよそよとしている

彼女の後ろ姿。


花奏「歩さん、たっくさんお世話になったわ。ありがとうな。」


靴を履いて

爪先をとんとんと鳴らしながら、

そしてまだ背を向けたまま。


花奏「じゃ、また学校で。」


歩「………。」


花奏「…歩さん……?」


歩「何。」


花奏「ううん、なーんにも。」


歩「…。」


花奏「今度は私の家に来てくれてもええねんで?」


歩「遠いし無理。てか行きたくない。」


花奏「えー、私は待ってるで?」


歩「い、や、だ。」


花奏「じゃあ歩さんの家くる。」


歩「2度と来るな。」


花奏「あははっ、今度は何作ろうなー。」


歩「来る前提で話するなって。」


花奏「まぁ、でもさ、また一緒にご飯食べようや。」


歩「早く帰れ。」


花奏「うん、あ、最後に。」


歩「何、忘れ物?」


花奏「ちゃうちゃう。私のこと花奏って呼んでや?」


歩「は?絶対無理。」


花奏「ちぇー、駄目かぁ。」


歩「早く出ろ。」


花奏「はぁい。またね、歩さん。」


それから扉の閉まる音まで

小津町はこちらを向いて

緩やかに手を振っていたっけ。

笑顔だったけれど、雰囲気から寂しさが

伝わってくるようで嫌気がさした。

がたんという音ではっと顔を上げると

そこには動くことのない鉄扉が

ただ閑散と佇んでいる、


歩「…。」


鍵を閉めるとそこは

私だけの家。

私だけの空間。


歩「……ちっ………。」


小津町が帰ったからじゃない。

この心の違和感は違う。

私は。

…。

私は、友達なんてものは

もう作らないと決めたのだから。


もう朝は終わり昼に差し掛かる。

そして6月は終わっていき

7月へと差し掛かる。

素敵な6月だったとは

言えそうになかった。










過去の私を知るあなた 終

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