第3話 夜の街にて

王都キングス・ガーデンの寂れた通りをふらつきながら歩く冒険者風の男の姿があった。

そのおぼつかない足取りから、かなりの量の酒を飲んでいることが窺える。

随分と夜は更けており、周囲に人気はない。

空は曇っており月は出ていないが、道端に等間隔に並ぶ街灯のおかげで暗くはなかった。

そんな路地を男は鼻歌混じりで進んでいく。

男の機嫌の良さには理由があった。

数日前に受けた遺跡調査の仕事で手に入れたサファイアの首飾りが予想以上の高値で売れたのだ。

おかげで彼は向こう三ヶ月は遊んで暮らせるだけの金を手にすることができた。

また、地方からこの王都に出てきて初めて受けた仕事を成功させたということも機嫌の良さの一因となっていた。

そのため、普段は大酒を飲まぬ男が今日に限って羽目を外してしまうのは無理なからぬことと言えた。


「おっとっと」


「あんた、大丈夫かい?」


男が石畳みのでっぱりに足をひっかけ躓きそうになった時、不意に女の声がした。

男が声のする方に目をやると、少し離れたところから心配げにこちらを窺っている女の姿が見えた。


(こんな夜更けに女?)


少し酔いが覚め、男は立ち止まる。

そして、訝しむような視線を女に送る。

女はなかなかに美しい顔立ちをしていた。

体つきも良く、膨よかな胸にしっかりとくびれた腰が目を引く。

また、胸元の大きく空いた服と丈の短いスカートが、女の色香を存分に引き立たせていた。


(娼婦か……いや、違うな)


男は彼女の見た目からそう判断しかけるが、すぐに否定する。

女の放つ気配に違和感を覚えたからだ。

その気配の薄さに。

明らかに目の前にいるのに存在感がない。

そして、そんなことができるのは自分と同じ冒険者かもしくは―――。


「どうしたんだい? ぼーっとして」


男が考え込んでいると、いつの間にか女が近くに来ていて、上目遣いで声をかけてきた。

男はぎょっとして後ずさり、咄嗟に腰の剣に手をかける。

男は地元では―――地方のさして大きくはない町だが―――それなりに名の知れた冒険者だった。

町で起こる多くの依頼を成功させており、周囲から冒険者として高い評価を受けていた。

また、幼い頃から道場に通い、剣の訓練を積んでいるため、戦士としての力にもそれなりの自信がある。

そんな彼が考え事をしていたとはいえ、ただの女にこうも容易く間合いに入られることなどあり得ないことだった。

女の方は男が剣に手をかけたのを見て、慌てたように首を振る。


「ごめんよ。別に驚かすつもりはなかったんだ」


女はそう言うと害意はないことを示すように両手を胸元でひらひらと振りながらゆっくりと男から離れる。

そして、すれ違いざまにもう一度ごめんよと呟くと男の歩いてきた方へと走り去っていった。

男は女の姿が完全に見えなくなると警戒を解いて、大きく息を吐く。


(ただの思い過ごしだったか)


これまで仕事で気を張っていたからだろうと結論づけて男は再び歩き始めたのだが……。

腰のあたりに違和感を覚えて男は立ち止まる。

慌てて手で探るがそこにあるはずのものがなかった。


「財布が……」


ベルトに挿していた今回の稼ぎの入った財布がどこにも見当たらなかった。

心当たりがあるとすれば―――。

男は呆然と立ち尽くす。

彼は大都会の洗礼を受けたのだ。



その翌日、薄暗く狭苦しい部屋に例の女の姿があった。

女の前には頬に深い傷のある鋭い目つきの男が座っている。

男は机に広げた金貨を念入りに数えた後、その中から五枚を手に取り、女に渡した。


「ミラ、今月もよく稼いだな。ほら、お前の取り分だ」


ミラと呼ばれた女は金貨を受け取ると財布にしまい、もはや用はないとばかりにさっさと立ち去ろうとする。

そんなミラの背中に男は声をかける。


「妹さんの体調はどうだい?」


ミラの動きがぴたりと止まる。


「良くは……ないよ」


「そうか。それは大変だな。時にお前最近、堅気の仕事を探してるんだってな?」


男の剣呑とした雰囲気を感じ取り、ミラは振り返る。


「それがどうしたってんだい?」


「悪いことは言わねえから、やめとけってぇ話だよ」


男は目の前の金貨を一枚手に取ると指で弄ぶ。


「妹さん……薬代やら何やらで金がいるんだろ? だったらこの仕事を続けるべきだぜ。他よりずっと稼げる。しかも、お前には才能があるしよ」


男の言葉に苦痛を感じるようにミラは端正な顔を歪ませるが、反論はしなかった。

事実、組員が百を超えるこの盗賊ギルドにおいて、彼女の稼ぎは五本の指に入る。

ミラ自身、あまり認めたくないことではあるが、男の言うように才能があるのだろう。

盗人としての才能が。


「まあ、余計なことは考えないで、これまで以上に仕事に精を出してくれや」


男はそう言うと手にしていた金貨を指で弾いてミラに放る。


「サービスだ。とっとけ」


ミラは空中で金貨を掴むと拳を固く握る。

そして、男に一瞥くれると今度こそ部屋を後にした。



部屋を出たミラは真っ暗な地下道を音もなく進む。

彼女の所属する盗賊ギルド『青い鳥』は王都キングス・ガーデンの下に蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下道の一角を拠点としていた。

この地下道は二百年前の王都設立に合わせて造られたとされているが、何のためのものかは明らかにされていない。

敵の襲撃から王都を守るために整備されたとの話もあるが、その割に国が十分な管理を行なっているようには見えなかった。

そのため、この地下道はキングス・ガーデンの裏の顔として、無法者や魔物の潜む危険な場所と化している。


ミラは地下道の突き当たりまで来ると石造りの壁に向けて不規則なノックを数度行う。

しばらく待つと石の擦れる音と共に壁の一部が上に開き、人ひとりが通れるくらいの通路が現れた。

通路の奥には上へと昇る階段があり、手前には杖を手にした一人の小男が立っている。


「よう、ミラ。帰りかい?」


小男はミラの姿を見とめると、気さくな調子で声をかけてきた。


「ええ、アラニス。上、開けてくれない?」


「お安い御用さ」


アラニスは階段を登ると、その突き当たりの天井に向けて杖を掲げて何事かを呟く。

すると天井が音もなく左右に開き、月明かりが差し込んできた。


「ほんと便利なもんだね。魔法ってやつは」


ミラが感嘆の声を漏らすと、アラニスがにやけながら道を譲る。


「今度、教えてやろうか? その代わり……」


「お断りだね」


ミラは自分の太ももに伸びてきたアラニスの手を強かに払うと、そうぴしゃりと言ってのける。

かなり痛かったのかアラニスは手を摩りながら、恨めしそうにミラを睨みつける。


「冗談だろうが」


「冗談に聞こえないんだよ。あんたは」


ミラは馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、地上に出ようと足を伸ばすが、途中で足を止めてアラニスを振り返る。


「ところで何か儲け話はないのかい? 教えてくれたらさっきの件は許してやるよ」


「はあ? 許すも何も触れてすら……」


そう言いかけたアラニスだったが、ミラの迫力のある笑顔に押され言葉を止める。


「分かった、分かったよ。ただ、教えても意味ねえと思うが……」


アラニスはお手上げとばかりに両手を上げると、ミラに杖に触れるよう指示する。

以前にも同じことをした経験のあるミラはためらうことなく杖を掴む。

すると、一瞬のうちに彼女の頭に大量の情報とイメージが流れ込んできた。

ミアの顔色が少し青ざめる。


「な? ろくな仕事じゃあねえだろ? 教えはしたが、危険すぎるし、なにより俺たちの専門じゃねえ。確かに最高に金はいいがな」


「……なるほどね。ありがと。アラニス」


アラニスはバツが悪そうにそっぽを向くと、そそくさと自分の持ち場に戻っていった。

ミラは魔術師の小男をなんとはなしに見送った後、地上に出る。

そこは街の郊外にある寂れた家の庭だった。

盗賊ギルドが地下道への入り口に使うために買い取った邸宅で手入れなどされておらず、草は伸び放題で廃墟と化している。

ミラが外に出てしばらくすると、魔法で施錠されていた落とし扉は一人でに閉じた。

彼女はその様子を見届けると、厳しい表情を浮かべながら街の中心へと足を向けた。



ミラが向かった先は立派な店構えの商店だった。

軒先には『ホーラフック商店』と描かれた大きな看板が吊り下げられてる。

夜もだいぶ更けているためか客のいる様子はないが、店内には明かりが灯っていることから営業はしているようだ。

ミラが店の扉を開くと、扉に付けられた鈴が澄んだ音を立てた。

次いでガマガエルの鳴くような男の声が響く。


「いらっしゃい」


ミラが声の主を見るとこれまたガマガエルような風貌の店主がカウンターに腰を下ろしていた。


「なんだ、あんたかね」


店主はミラを見ると心底がっかりした様子でため息を吐く。


「客に向かってなんだはないだろ?」


ミラはその言葉に口を尖らせて抗議するが、店主は首を横に振る。


「買わない奴は客とは呼べないね」


「ちゃんと買うって言ってるじゃないか。例のやつまだあるんだろ?」


ミラが急くように尋ねると、店主は脂肪で潰れた顎をしゃくって店の奥を指す。

その先にはガラスケースに納められた豪奢な装飾の小瓶があり、備え付けられたプレートには『天使の涙』という商品名と金貨三千枚の文字が刻まれていた。

ミラはほっとした表情を浮かべると、ケースに近寄って小瓶を眺める。


「どんな病も治すという『天使の涙』。神に愛されし聖女の神力が込められた一品……ねえ。ほんとに効果があるのかい?」


「それは知らないけど魔術師の鑑定はちゃんと受けてるね」


「ふうん」


ミラは気のない返事を返すが、小瓶から目を離すことはなかった。


「見るのは構わないけど、金の目処はついたのかね?」


追い出さなければいつまでも居座りそうな様子のミラに店主は声をかける。


「……今度の仕事がうまくいけば金貨三千枚、きっちり払えるはずさ」


「ほう。それは興味深い話ね」


店主のミラを見る目が厄介者から客のそれへと変わる。

彼は口にこそ出さないがミラの生業を大方把握していた。

おそらく今回の「大仕事」とやらも人様に言えない汚れた仕事なのだろう。

盗みか殺し、あとは遺跡荒らしか。

しかし、だからこそ彼女には期待が持てた。

金貨三千枚など真っ当な仕事―――月の給金が金貨二、三枚程度の仕事―――で稼ぐことができる額ではないからだ。

そして、どんなに汚れた金であってもこの店主にとっては関係などない。


(金に罪はないからね)


店主は、目を輝かせて『天使の涙』を見つめる金づるを眺めながら、まだ見ぬ大金の使い道を頭に思い描いて、笑みを浮かべた。



その後、ミラはホラーフック商店で小一時間ほど時間を潰して自宅に戻った。


「ただいま」


そう言って粗末な木製の扉を開けると、部屋の奥のベッドで横になっていた女性が身を起こそうとする。


「いいよ、寝てなよ。レイラ」


「大丈夫」


ミラにどこか似たところのある女性は、上半身だけ起こしてミラを迎える。


「今日も遅かったね。お客さん多かったの?」


「あ、ああ、酔い潰れた客が遅くまで居座っちゃって」


そう言ってミラはレイラから視線を逸らす。

ミラは妹のレイラに本当の仕事のことを話していなかった。

ミラは酒場で給仕をしていることになっている。

心優しい妹が実の姉が盗みを働いていると知ったら悲しむことが分かっているからだ。

レイラはそんな姉をしばらく見つめていたが、無理しないでねと呟くと窓の外に視線を向けた。

彼女が病を患ってからもう二年が経つ。

『弱り病』と呼ばれるこの病は、すぐに死に至る類のものではないが、患った者は日に日に筋力が衰えていき、やがて死を迎える。

死に至るまでの期間には個人差があるが、だいたい二、三年と言われている。

医学での治療は難しいとされており、罹れば死を待つのみだが、最高位の神官の起こす神の奇跡により完治したという話はあった。

しかし、ミラやレイラのような下々の者がそのような恩恵を簡単に受けられるはずもない。

そのため、今は薬を使って病の進行をできる限り遅らせることぐらいしか手立てはなかった。


(だから、あれが必要なんだ)


ホラーフック商店にあった『天使の涙』

非常に高価な品だが、唯一の肉親であるレイラのために是が非でも手に入れなくてはならなった。

たとえこの手を……この魂を汚すことになろうとも。

ぼんやりと外を眺め続ける妹の姿を見つめながら、ミラは密かにその決意を固めていた。

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