第2話 冒険者の酒場にて
―――英雄の国
邪神殺しの王アンデル・パラミオンを筆頭に、剣聖リグ・ラーハルト、真の騎士ラミアス・エリオットといった名だたる英雄たちを擁するここミスタリア王国は人々からそう呼ばれている。
また、莫大な財宝の眠る遺跡や恐ろしい魔物の闊歩する魔境などが国内に多く存在しており、見合った力と運があれば誰もが富や名声、権力を得る機会が多いこともそう呼ばれる一因となっていた。
そのため、この国には冒険者の来訪が後を絶たない。
そんな国の城下街であり、特に冒険者が多く集まると言われるキングス・ガーデンのとある酒場に、英雄を目指すひとりの少年の姿があった。
十四を過ぎたばかりの少年は、酒場のカウンターに身を乗り出すようにして肘をつき、目の前の中年の男を睨みつけていた。
一方の男はというと涼しい顔でその刺すような視線を受け流している。
「だから! なんで受けられないんだよ!?」
「何度も言わせるな。力不足だ。他の依頼にしとけ」
先ほどから両者の間でこの問答が繰り返されていた。
カウンターには一枚の紙が置かれており、そこには「ゴブリンの討伐」と書かれている。
ここからほど近い村の傍にある洞窟に十を超えるゴブリンが住み着いたため、始末して欲しいという内容だ。
ゴブリンは魔物の中では弱い部類に入るため、熟練の冒険者が油断さえしなければひとりで十体くらいは何とかできるだろう。
しかし―――
と男―――酒場の親父は改めて少年を見る。
国の西にある片田舎から出てきたばかりだと言う彼は、傷ひとつない革鎧に身を包み、刃こぼれひとつない剣を腰に下げている。
また、動きにも無駄が多く、感情も制御できない。
駆け出しもいいところだ。
そんな彼にこの依頼は荷が重過ぎる。
「ゴブリン十体くらいどうってことないさ。前に村に迷い込んできた奴を追い払ったことがあるんだ。あんな弱そうなのがいくら集まっても同じだよ」
「子供のゴブリン一体、追い払ったくらいで何いい気になってやがる」
自信満々にかつての武勇を語る少年に、親父は冷ややかな言葉を投げかける。
「もし、お前程度の冒険者だったら……そうだな、少なくとも六人はいないと話にならんな」
親父としては素直に分析しての発言だったが、それを侮辱ととらえたのか少年は耳を真っ赤にして腰の剣に手をかける。
「もう、いいじゃねえか。親父。受けさせてやれよ」
突然、少年の背後から声がかかる。
少年が咄嗟に振り返ると、いつの間にかひとりの男が立っていた。
「そうは言ってもなあ。ライール」
少年の敵意を感じ取り咄嗟に抜いた短剣をしまいながら親父は困ったように頭を掻く。
「なんだったらオレが一緒に行っていいぜ。それなら問題ないだろ?」
「まあ、お前だったらそもそもひとりででも受けれる依頼だからな」
警戒を露わにライールを睨みつける少年を見て、親父は深い溜め息を吐くと、諦めたように声をかける。
「だとさ。ということで晴れて受注だ。おめでとよ」
状況をよく理解していないであろう少年にそう告げると、さっさと依頼内容を伝え、依頼書の紙に署名する。
「……これをアムール村の村長に渡せば、信用してもらえるはずだ」
「……」
少年は不機嫌そうに依頼書を受け取ると、ライールに向かって声をかける。
「いつ行くんですか?」
「そうだな、明日の早朝から移動しようか。集合はこの酒場でいいか?」
「今日じゃないんですか?」
「おいおいおい、こっちは急に行くことになったんだぜ? 準備くらいさせてくれよ。それに酒も入っちまってるし」
呆れた口調でそう話すライールに対して少年は不満げな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
「じゃあ、決まりだな。オレはライール、お前は?」
「マース。マース・ライハルト」
茶色い髪に黒い瞳の少年マースは多少緊張した様子でそう名乗った。
翌日。
ライールとマースのふたりは予定通りに早朝から出発して、昼になる前には村に到着していた。
ライールが慣れた様子で村長に依頼の内容と今の状況を確認している。
マースはというと二人から少し離れた場所に、所在なさげに突っ立っていた。
しばらくして、ライールがマースのところに戻ってきた。
「ゴブリンたちはまだいるようだな。報酬についても依頼書通りだ」
依頼書の内容と実際の話との食い違いがたまにあるが、今回は問題ないようだった。
また、他に依頼を受けて村を訪ねた者もいないらしい。
完全に二人の仕事だ。
「場所はここから一時間ほどのところだな。途中まで村の猟師が案内してくれる」
ライールの説明にマースは頷く。
その表情には心なしか疲労の色が見てとれた。
荷物を抱えての慣れない移動で疲れたのだろう。
「すぐに出発しよう」
しかし、そんなマースの様子を気に留めることなく、ライールはそう宣言すると、猟師の家へと足を向ける。
マースはその背中に何か声を掛けようと二、三度口を開きかけたが、やがて諦めて小走りにライールの後を追った。
それから1時間ほど後、茂みに身を隠しながら、ゴブリンが棲み着いたという洞窟の様子を窺うライールとマースの姿があった。
その視線の先には粗末な槍を杖代わりにしている一体のゴブリンが立っている。
緑の肌に、黄色に濁った目、そして時折覗く鋭い牙。
身長はマースより少し低く、体毛はない。
照りつける日差しを受けて眩しそうに目を細めるその顔は醜悪そのものだった。
「どうするんですか?」
自分の村で見た時よりも一回りほど大きな体躯のゴブリンを前にして、マースは緊張した声でライールに尋ねる。
「どうするって。お前、そもそもひとりでやるつもりじゃなかったっけ?」
「それは、ひとりで来るならちゃんと作戦は立ててきますけど、ライールさんがいるから……」
自分が何も考えていなかったことをライールのせいにでもするかのような口ぶりに、ライールは苦笑いを浮かべる。
彼はそんなマースの肩に手を置くと、耳元で囁く。
「いいか。作戦はこうだ。まずオレが弓であいつを狙う。お前はオレが矢を放つと同時に茂みから飛び出す。もし、オレが一発で仕留め損ったらお前が止めを刺すんだ」
ライールはそういうと矢筒から矢を取り出し、おもむろにつがえる。
その様を見て、マースは慌てて剣を抜く。
その剣先は小さく揺れている。
「まあ、心配するな。こう見えて弓には自信があるんだ。この距離なら外ずしゃしねーよ」
キリキリと弦を軋ませながら弓を引くライールを見て、マースは覚悟を決める。
「いけ!」
ライールの号令とともにマースは茂みから飛び出す。
ゴブリンは突然の伏兵の出現に手にした槍を落とさんばかりに慌てふためいている。
ここでライールの矢が当たれば、倒れなかったとしても戦意を喪失するだろう。
ゴブリンとの距離はあと10メートルほど。
ゴブリンが声を上げる前に一撃与えるには十分な間合いだ。
(勝てる!)
そう確信してマースは更に加速する。
しかし……。
いくらゴブリンとの距離を詰めても、一向に矢は飛んでこなかった。
お互いの攻撃が届くほど近づいても飛んでこない。
そして、遂にはゴブリンが冷静さを取り戻してしまう。
ゴブリンはしっかりと槍を構えると同時に、訳の分からない言葉を叫ぶ。
次に戸惑うのはマースだ。
何かライールの身にあったのかと思い、背後を振り返る。
しかし、そこにライールの姿はなかった。
「なんで……」
「いらねんだよ、お前のようなやつは」
よく通る声がどこからともなく聞こえてきた。
「何もできねえ癖に自尊心だけは人一倍強え。そういうやつは自分だけでなく、仲間も危険に晒す。周囲に被害を与える。害虫だ」
ライールの嘲るような物言いにマースは身を震わせる。
「まあ、さっきも言ったけど、もともとひとりでやるつもりだったんだろ? 願いが叶って良かったじゃねえか。思う存分、力を奮ってくれよ。お前の自信に見合うだけの力があれば、生き残れるだろうさ」
ライールの高笑いが森に響き、しばらくして消えた。
マースは怒りのあまり何かを叫んだが、言葉になっていなかった。
「ゴルァ!」
ゴブリンの怒声でマースは我にかえる。
気が付けば、洞窟から次々とゴブリンが姿を現してきた。
中には彼より大きな個体もいる。
それぞれが短剣や棍棒など思い思いの武器を手にしており、強烈な殺気を彼に向けている。
そのうち、マースは十体近いゴブリンたちに取り囲まれてしまった。
(大丈夫だ。相手はたかがゴブリン。冒険者ならこのくらいの数なんてこともないって話だ。だったらオレだって……!)
手と足の震えをなんとか気持ちで抑え、剣を握りなおす。
しかし、その後が続かなかった。
誰を狙って、どのタイミングで、どう動けばいいのか。
実戦経験のないマースには全く分からず、思いもつかない。
昔、話に聞いた英雄や冒険者のような戦いが自分にもできるものだと思っていた。
しかし、現実では恐怖で頭が真っ白になり、思考は停止し、体は動かなかった。
―――力不足だ
酒場の親父の言葉が頭をよぎり、マースは悔しさと情けなさで目を潤ませる。
その瞬間、右の二の腕に衝撃が走った。
堪らずマースは剣を落とす。
更に背中への激痛。
マースがよろめき振り返ると、二体のゴブリンが攻撃が当たったことを喜ぶかのように小躍りしていた。
「くそっ!」
マースは慌てて剣を拾い、小躍りする一体に向けて力を込めた一撃を振るう。
しかし、その攻撃は棍棒でやすやすと受け止められてしまった。
自分の剣がゴブリンにさえ通用しないことに動揺し、マースの動きが再び止まる。
その隙を見逃さず、ゴブリンは彼の脛を思い切り強打する。
皮の脛当ての上からの攻撃だったため、痛みはだいぶ軽減されたはずだが、それでも耐えきれずマースは地面にもんどりうって倒れた。
その姿を見て、ゴブリンたちが汚い歓声を上げる。
マースの口からうめき声が漏れたが、その顔面を何度も棍棒で殴りつけられた。
そのため、腕を使って顔を守ったが、今度は腹部と背中を交互に蹴り飛ばされた。
その後も体の至るところに打撃を受けたが、幸いゴブリンは非力な種族のため、骨が折れるようなことにはならなかった。
(痛い、痛いけど、なんとか耐えられる。こいつらが疲れるまで耐えてその隙に……)
彼は身を丸めて攻撃に耐えながら反撃の機会を窺う。
しかし、その機会は突然受けた鋭い痛みで永久に失われてしまった。
痛みの原因はすぐに分かった。
自分の内ももに錆びついた小汚い短剣が根元まで突き刺さっていたのだ。
溢れ出る血が彼のズボンを赤く染めていく。
痛みと失血で視野が狭くなっていき、意識が遠くなる。
その間にもゴブリンたちの暴力は続く。
(オレってこんなもんだったんだ)
マースは自分の見下していた魔物に良いように痛めつけれらながら、自分がいかに無能な人間だったかを理解する。
やればなんでもできると思っていた。
周りの大人たちが邪魔をするからできないだけだと。
今にして思えば自分はその大人たちに守られていたのだ。
そのうち、ゴブリンの一体が血まみれの短剣を振りかぶっているのが見えた。
その切先は明らかに頭に向けられていたが、マースにはその攻撃を避ける体力は残っていなかった。
面白がるようにゆっくりと狙いを定める醜悪な生き物を眺めながら、マースは死を覚悟した。
その時、風を切るような音がマースの耳に入った。
次いで、彼の目の前にいたゴブリンの首が宙を舞う。
首を失った体はしばらくの間、短剣を振り上げた体勢のまま突っ立っていたが、やがてバランスを失い後ろに倒れた。
良質な笛の音のように美しい声が届く。
「大丈夫ですの?」
マースが傷んだ体を無理やりに動かして声のする方を見ると、そこにはひとりの少女が立っていた。
歳のころは十七、八に見える。
腰のあたりまで伸びた銀髪は陽の光を受けて真の銀(ミスリル)のような輝きを放っていた。
少し目付きはきついが、顔立ちは美しく整っており、身長は高くはないが、無駄な肉のないすらりとした体つきをしている。
そして、特筆すべきは鋭く尖った大きな耳。
「エルフ……」
マースが思わずそう呟くと、彼女のよく聞こえそうな耳がぴくんと動いた。
「大丈夫そうですわね」
エルフの少女はマースに向かってにっこりと微笑んだ後、表情を引き締めて細身の剣を構える。
ゴブリンたちは一瞬、何が起こったか分からない様子だったが、エルフの娘に仲間が殺されたことに気づくと怒りの声を上げて一斉に襲いかかった。
しかし、その声はすぐに静かになる。
少女が気合の声とともに剣を横に薙ぎ払うと、もっとも近くにいた三体のゴブリンの体が切り裂かれた。
一体は先ほどのゴブリン同様、綺麗に首と胴が切り離され、他の二体は胸から緑の体液を盛大に吹き出しながら後ろに倒れた。
マースは目を大きく見開く。
彼女の剣はゴブリンたちに届いていなかった。
剣先から彼らまでの距離はゆうに五メートルは離れていただろう。
それにも関わらず、彼女の攻撃は敵を仕留めている。
少女は更に距離の離れた位置にいるゴブリンたちに向けて鋭い突きを連続で放つ。
すると狙われたゴブリンたちの頭部が風船のように次々と破裂していった。
(剣から風が?)
マースはエルフの振るう剣から強烈な風の力が放たれるのを感じとった。
一方、生き残ったゴブリンは、いとも容易く殺されていく仲間を目の当たりにして、悲鳴を上げて逃げようとする。
「逃しませんわ」
エルフはそう呟くと、マースには理解できない言葉を発する。
次の瞬間、ゴブリンの足元から伸びた蔓が、彼らの足に絡みついた。
エルフは蔓から逃れようともがくゴブリンに向けて、容赦なく剣を振るい、命を刈り取っていく。
最後の一体に止めを刺したところで、少女は剣を鞘に納めると軽く息を吐いた。
そして、すぐさまマースに駆け寄り、彼の傷の具合を確かめる。
女性に―――しかも彼女のような美少女に体を触られることは、まだ若いマースには刺激が強かったようで、彼は顔を真っ赤に染める。
エルフは、そんな彼の様子に気付くことなく、ひとしきり傷を調べ終えると、腰のポーチから塗り薬のようなものを取り出した。
「エルフ特製、魔法の軟膏ですわ」
少女は怪訝な顔をするマースに説明しながら、傷のひどい部位に薬を塗っていく。
魔法の軟膏はすぐにその効果を現し、マースの傷をたちどころに癒した。
腫れが引き、ひどかった痛みが溶けるように消えていく。
「あ、ありがとう」
マースがぎこちなく感謝の言葉を述べると、エルフは愛くるしい笑顔を見せた。
そんな彼女を直視することができず、マースはついと目を逸らす。
すると、その視線の先に、彼女の剣があった。
「その剣」
エルフは一瞬きょとんとした表情をしたが、すぐに彼の真意を汲み取り、これですわねと呟きながら剣を抜いて見せる。
抜き放たれた刀身は非常に細く、うっすらと青みを帯びている。
鍔(つば)と柄(つか)には派手になり過ぎない程度に銀の装飾が施されており、高品質な剣であることを感じさせた。
「『風切り』という名の剣ですわ」
マースが剣の美しさに目を奪われていると、エルフは静かに話だした。
「私の村に代々伝わる魔法の剣ですわ。高い精霊力を持つ者が振るうことで、先ほどのように風の力を借りることができますの。エルフの神が作りたもうた、エルフにしか使えない剣と聞いています」
「魔法の剣……」
魔法のかかった武具の存在はマースも知っていた。
神が創ったもの、人間が作ったものなど様々な種類があり、通常の武器と比べ強力なものが多い。
冒険者にとって魔法の武具を身につけることは、一人前になるためのひとつの目標だとも言われている。
「さて」
黙っていれば剣をいつまでも見ていそうなマースの意識をこちらに向けるようにエルフは声を出す。
「もう大丈夫でしょうから、私はこれで失礼します」
エルフはそう言うと剣を納めて、立ち上がる。
マースも慌てて、それにならう。
「では、ごきげんよう」
笑顔で手を振る彼女に向かってマースは声をかける。
「あの……名前……?」
「ああ、名乗っていませんでしたわね。ピアース。ピアース・フォレスターと申します」
ピアースと名乗ったエルフは最後に大きく手を振ると、マースの元から颯爽と去っていった。
ピアースが去り、ひとりになったマースはしばらくの間、その場を離れず、惚けたようにして座り込んでいた。
マースの脳裏に美しいピアースの姿が浮かぶ。
そして、それと同時にあの剣も。
(魔法の剣があれば、オレだってこのくらいのことはできるんじゃないか?)
辺りに転がっているゴブリンたちの死体を眺めながら、マースは考える。
(そうだよ。オレが弱いんじゃなくて武器が弱いんだ!)
マースはさも良いことを考えついたように、顔を上げると、勢いよく立ち上がった。
「魔法の剣さえ手に入れればオレは英雄だ!」
静かな森にマースの叫びがこだまする。
彼は自分の考えが名案であることを毛の先程も疑ってはいなかった。
それを手にするために英雄たちがどれほどの研鑽を詰んできたのかも知らず。
ゴブリン相手に敗北したこともすっかり忘れ、若いマースは意気揚々と村に向かって歩を進めるのだった。
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