いろんな冒険者たちが頑張って世界を救う話

@korobe0113

第1話 地獄の裂け目にて

「その儀式をやめろ!」


若い男の怒号が広い室内に響き渡る。

しかし、それに反発するかのように禍々しい祈りの声はより一層激しさを増した。


ここは「地獄の門」と呼ばれる十の階層からなる迷宮の最下層。

ごつごつした赤褐色の岩肌が露わな部屋の中央には地獄に繋がると言われる大きな亀裂が走っている。

そして、それが真実であることを告げるかのように、亀裂からは時折、灼熱の炎が吹き上がっていた。



その地獄にもっとも近いとされる場所で、先刻からひとりの騎士と一体の悪魔が対峙していた。


先ほど声を荒らげた若い男―――ラミアスは目の前に立ち塞がる悪魔を睨みつける。

身の丈三メートルをゆう超える悪魔は炎を宿した瞳で、ラミアスを嘲るように見下ろしていた。

その背後では数人の司祭風の男女が台座に置かれた深紅の宝石を囲むようにして跪き、一心不乱に祈りを捧げている。


「矮小な人間が。我が王をこの世界に迎える邪魔はさせん。地獄の炎で灰塵と帰すがいい」


悪魔は耳にする者の魂を凍てつかせるような声でそう告げると、巨大な翼を広げ、四本の腕で複雑な印を結ぶ。

ラミアスは呪文の詠唱を止めようと、手にした剣で悪魔を斬りつけるが見えない障壁に阻まれて体ごと弾かれた。


「愚かな。『いでよ、獄炎』」


呪文は完成し、ラミアスの足元に巨大な漆黒の魔法陣が現れる。

次の瞬間、魔法陣と同じ色の火柱が上がり、ラミアスの体を包んだ。

悪魔は天井まで吹き上がる黒い炎を眺めながら、可笑しくて堪らないと言った様子で、不快な笑い声を響かせたが、不意にその声が途切れた。

ラミアスを包む炎が強い風に吹き消されるかのように霧散したのだ。

驚いた悪魔は部屋の入り口に目を向ける。

怒りに震える瞳に、ひとりの女の姿が映った。

輝くような金髪の美女で、その衣装から高位の神官であることが見て取れる。

そして、彼女は確かに先ほどまでこの部屋にいなかった。


(『透明化(インビジブル)』で潜んでいたか!)


「小癪!」


悪魔は毒づきながらも、自分の魔法を打ち破るだけの力を持った神官に対して脅威を感じていた。

悪魔は攻撃の対象を神官に切り替え、再び呪文の詠唱に入る。

目の前の騎士の攻撃が自分には通じないことはすでに証明されている。無視しても構わないだろう。

しかし、そんな悪魔の考えはすぐに破られた。

何処からか放たれた一筋の光が悪魔を直撃したかとガラスの割れるような音が響き、自分を守っていた障壁を破壊したからだ。


「なっ……!?」


驚いて見開いた目に、宙を舞う自分の腕が映る。

魔法が命中すると同時に、ラミアスが悪魔の腕の一本を斬り飛ばしたのだ。

悪魔は痛みと怒りで咆哮を上げる。


「チャンスだ、グレイ! ルー!」


ラミアスは渾身の一撃により崩れてしまった体勢を立て直しながら叫ぶ。

すると、悪魔の側面から蛮族風の巨漢の戦士が大斧を振り上げて、切りかかってきた。

更に反対側からは銀髪の美しいエルフが現れ、輝く細身の剣で攻撃を加える。

こちらの二人も魔法で姿を隠していたのだろう。


「舐めるな!」


挟み込まれた形の悪魔は両者の攻撃を鋼鉄をも切り裂く自慢の爪で弾く。

乾いた金属音が鳴り響き、攻撃を仕掛けた二人は大きく後方に吹き飛ばされた。

巨漢の戦士グレイはその巨躯に見合わぬ体捌きで転倒を逃れ、エルフのルーは軽やかに宙を舞い、地面に降り立つ。


「……失敗か」


「みたいね」


奇襲が失敗したことを残念そうに話す二人だが、絶望した様子はない。

むしろこの状況をに楽しんでいるようにさえ見える。

一方の悪魔は少なからぬ焦りを覚えていた。

目の前にいる四人、いや未だ姿を隠している障壁を破壊した輩―――おそらく魔術師だろう―――を含めた五人はいずれも相当な手練れだ。

特に魔術師。

上級悪魔(グレーターデヴィル)である自分が何重にも張り巡らせた障壁をただの一回の『破呪(ディスペル)』の魔法で無効化したのだ。

騎士の持つ強力な魔法の剣を持ってしても、破壊できなかった障壁を……だ。

恐るべき使い手と言えた。

低く唸りながら敵を侮ったことを悔いた悪魔だったが、素早く気持ちを切り替える。


(ならば、全力で行くのみ)


悪魔は再び咆哮を上げる。

弱い者が聞けばたちまち死に至るその雄叫びは、攻撃に移ろうとしていたラミアスたちに恐怖を植え付け、その動きを止めた。


「本気でくるぞ。気を付けろ」


どこからともなくラミアスたちに注意を促す声が聞こえてくる。

おそらく件の魔術師だろう。


「分かってるさ。リベルガン」


悪魔の挙動に気を配りながらラミアスは言葉を返す。

そんなラミアスたちの背後から祈りの声が聞こえ、悪魔と対峙する三人の体が光に包まれた。

戦士たちの恐怖が消え去り、気持ちが高揚する。


「ありがと。オル」


ルーが後ろに目線だけ寄越す。

オルと呼ばれた神官オーレリアは頷き、次なる魔法の準備に取り掛かった。


「させん!」


悪魔は叫ぶと、神官向けて腕を突き出す。

その腕から見えない力が放出され、離れた場所にいるオーレリアを突き飛ばし、背後の壁に叩きつけた。

背中を強く打ち、オーレリアは短い悲鳴を上げる。


「貴様!」


幼馴染を傷つけられ、激昂したラミアスは悪魔に飛びかかる。

それを皮切りにグレイとルーも動いた。

悪魔は三人の攻撃を三本の腕で相手しながら、短い呪文を詠唱する。

すると悪魔の頭上に八本の紫の光を放つ矢が浮かび上がり、何もないはずの場所を目掛けて凄まじい速さで放たれた。


「気取られたか」


何もない空間から舌打ちが聞こえたかと思うと、紫のローブに身を包んだ男が姿を現す。

飛来した矢は全て見えない壁に弾かれたが、最後の一本が魔術師を守っていた魔法の障壁を撃ち破った。


「流石は上級悪魔と言ったところか。ならば」


魔術師リベルガンは障壁を破られたことを気にも留めず、激しい身振りで魔法の詠唱を始める。

自らも魔法を操るルーはリベルガンに強大な魔力が集まるのを感じた。


「彼の魔法が完成するまで邪魔させないで!」


彼女はラミアスとグレイのふたりにそう告げると、リベルガンに向かって攻撃を仕掛けようとしていた悪魔の腕に光の球を投げつけ、妨害する。

三人の刃は浅いながらも悪魔の体に届き、確実にこの邪悪な魔物を死の淵へと追い詰めていた。

しかし、一行に勝利の光明が見えてきた時、それは起こる。

突然、大きな地響きが起こったかと思うと、これまで火柱を噴き上げていた亀裂が黒い輝きを放ち始めたのだ。


「王よ!」


悪魔は歓喜に満ちた声で叫ぶ。

その声に応じるかのように亀裂からぬっとどす黒い色をした巨大な―――上級悪魔ほどあろうかという巨大な腕が突き出してきた。


(あれは、まずい)


リベルガンは咄嗟に判断し、魔法の対象を発現した王の腕に切り替える。


『偉大なる火竜よ。全てを焼き払え』


魔術師が高らかにそう告げた瞬間、腕の上空に一体の竜の頭部が現れた。

リベルガンはかつて打ち倒した火竜(ファイアドラゴン)ラナ・ハンの頭部を特殊な魔法で封印しており、いつでも召喚することができる。

召喚されたラナ・ハンはその巨大な口を大きく開き、猛然と炎を吐き出した。

地獄の業火をも超える高熱を受けて、王の腕が苦しむようにその身をよじる。

周囲にいた邪悪な司祭の数人が魔法の余波を受けて、炭と化した。

火竜は更に火力を上げて、休むことなく炎を吐き続けている。

腕は凄まじい炎の勢いによって、亀裂の中に押し戻されようとしていた。


「ラミアス」


不意に名前を呼ばれラミアスが視線を送ると、グレイが決意に満ちた表情でこちらを見ていた。

ラミアスは瞬時に彼が何をしようとしているのかを悟り、頷く。

巨漢の戦士はにっと白い歯を見せると、業火に怯む悪魔の脇をすり抜け、腕に向かって斧を叩きつけた。

常人離れした筋力と魔法の斧「嵐の鎮魂歌(ストーム・レクイエム)」の力により腕を切り裂く。

グレイ自身も火竜の炎を浴びたが、見えない力で守られ火傷ひとつ負わない。

この魔法は仲間を傷つけることはないのだ。

彼は炎で視界が遮られる中、更に斧を振るう。


「やめろぉ!」


悲鳴にも似た声を上げて、悪魔はグレイに衝撃波を放とうと手を伸ばす。

しかし、背後からの殺気を感じ取り、攻撃を中断して慌てて振り返った。


「お前の相手は俺だ!」


そう叫ぶラミアスの剣が悪魔の脇腹を深々と抉る。

次いでルーの細身の剣が太ももを貫いた。

更に後方から光の槍が飛来し、右胸に突き刺さる。

持ち直したオーレリアが放ったものだ。

悪魔が苦悶の表情を浮かべる。


(今度こそ勝った!)


ラミアスのみならず一行がそう確信したとき、王の腕が人差し指で天を指した。

何事かと見ていると、その指先が黒く輝き始める。


「あれを止めろ!」


普段は冷静なリベルガンが珍しく声を荒げる。

そして、それは目の前の出来事がただ事ではないことを告げていた。

グレイとリベルガンの攻撃が激しさを増す。

ラミアスとルーも加勢に向かおうと一歩踏み出すが、それは悪魔によって遮られた。


「王の邪魔はさせん。貴様らも道連れだ」


悪魔は王の成すことを心得ていた。

王はこの世界への降臨を諦め、この不遜な者どもを滅ぼすつもりなのだ。

自分たちもろとも。

そのことについては、異論はない。

しかし……。

悪魔はちらりと背後に視線を送る。

そこには血のように真っ赤な色をした宝石を両腕に抱える少年の姿があった。

若い―――数年前に地獄の王ダルカスを信仰する教団『破滅の剣』に入信した信者だ。

悪魔にとって人間など取るに足りない存在だが、この子供は人間の割には聡く、見所があった。

それが証拠にこの非常事態にただ祈ることしかできない信者たちの中で彼だけが成すべきことを理解して行動に移している。

悪魔は満足気に頷くと、目の前の人間たちを迎え撃つべく翼を大きく広げた。


一方、王の腕への攻撃を続けるグレイとリベルガンは焦っていた。

二人の攻撃は確かに王に少なからぬ手傷を負わせている。

しかし、王の魔法の進行は一向に止まる様子がなかった。

この迷宮ごと吹き飛ばせるほどの力が巨大な指先に集まる。

遂にリベルガンの魔力が尽きて、ルナ・ハンの首が消失した。

同時に彼はその場に膝を突く。

それを見届けたグレイは自分の斧に目を向け、覚悟を決める。

一刻の猶予もなかった。


『勇猛なる嵐の一族の英霊たちよ! 末裔たる我が声が届くのならば、我に力を!』


グレイは嵐の部族特有の言葉で高らかにそう告げると、嵐の鎮魂歌を頭上に掲げた。

その瞬間、彼の周囲に青白い風を纏った十三の霊が現れた。

その中には今は亡きグレイの父親の姿もある。

グレイは一瞬だけ表情を緩めたが、すぐに引き締める。


『我に力を!』


彼が再び叫ぶと、英霊たちは消えさり、変わって手にした斧が青白い風を纏う。

グレイは巨人もかくやという強大な力が体に流れ込むのを感じていた。

彼は意味を成さない言葉を叫びながら、渾身の一撃を腕に叩きつける。

攻撃が当たると、王の腕がばっくりと裂け、暴風の如き力が斧から腕に注ぎ込まれた。

グレイは雄叫びを上げながら腕に深く食い込んだままの斧を力任せに押し付ける。

ピシリと斧に亀裂が入ったが、気にすることなく更に力を込める。

そして、遂に腕は骨の折れる嫌な音を盛大に響かせると、あらぬ方向に曲がって地面に倒れ込んだ。

次の瞬間、偉大なる魔法の斧は粉々に砕け散る。


「グレイ! まだ魔法が……」


「分かっている」


ラミアスに素っ気ない返事を返すと、彼は未だ魔力の集中の止まらない王の指を両腕で抱えて、折れた腕ごと引きずりながら亀裂に向かって走り出す。

そして、腕と共に自ら亀裂に身を投げ出した。


「ラミアス! 私は!」


ルーの言葉を受けてラミアスは彼女と悪魔の間に割って入る。


「ありがと。オルとリベによろしく言っておいて」


美しい森のエルフはラミアスの背中にそう声をかけると、亀裂目掛けて駆け出した。

背後からオーレリアの悲痛な声が投げかけられるが、振り返らない。


(オル、幸せにね)


ルーは、実の妹のように可愛がってきたオーレリアに心の中で手向けの言葉を送ると、愛する者を追って地獄へと足を踏み入れた。



王が去り、信者たちの大半は焼き尽くされ、悪魔は重傷を負っている。

ラミアスたちもグレイとルーという大切な仲間が犠牲になり、リベルガンの魔力は尽きた。

この戦いはいよいよ終局を迎えようとしていた。


ラミアスの剣と、悪魔の爪が火花を上げる。

一対一の戦いであれば負傷しているとはいえ悪魔の方にまだ分があったのだろうが、今は状況が違った。

ラミアスの傍に控える神官の存在が大きかったのだ。

彼女はラミアスに対して高度な防護と身体強化の術を施し、自らも攻撃に加わった。

幼い頃から神官戦士として、近接戦闘の訓練を受けてきたオーレリアにーの力量は並の戦士を超えている。

手にした聖槌を振るう彼女の姿は伝説の戦の乙女(ヴァルキリー)を思わせた。


遂にオーレリアの槌が悪魔の膝を砕き、ラミアスの剣が肩口から胸元までを深々と切り裂いた。

苦痛に顔を歪めた悪魔だったが、突然耳まで裂けた口を吊り上げてにたりと笑う。


「まだ……終わってはいない。王は必ずこの世界に……破壊を」


声とともにどす黒い血を吐き出しながら、予言するようにそう告げる。


「いいや、これで終わりだ! この世界から去れ!」


ラミアスは悪魔に怒鳴りつけると、真一文字に剣を振るい、その首を刎ねた。

切断された首は血飛沫とともに宙を舞い、残された体はゆっくりと前に倒れ伏す。

熾烈を極めた戦いはラミアスたちの勝利で決着がついたのだ。



「まだ、終わらない?」


呆然とした様子でラミアスがリベルガンに問う。

その問いに膨大な知識を有する賢者は重々しく頷く。


「『王の心臓』が無くなっている。おそらく信者の誰かが持ち去ったのだろう」


そう言ってリベルガンは深い溜め息を吐いた。

『王の心臓』は地獄の王を召喚するために必要な悪しき秘宝である。

見た目は紅い色をした美しい宝石だが、王がこの世界で活動できるだけの膨大な魔力を宿している。

まさに彼らの現世における心臓のような役割を果たすのだ。

つまり『王の心臓』を破壊するまでは、今回のようなことが再び起こりうるのである。


「早く探さないと」


ラミアスは陰鬱な気持ちを抑え込んで、オーレリアとリベルガンに声をかける。

生き残っていた信者は、戦いが終わった時には全員死んでいた。

手にした短剣で自らの首を掻き切ったのだ。

『王の心臓』の行方を問い質されることを恐れたのだろう。

そのため手がかりは全くなかったが、ラミアスは絶望してはいなかった。


「必ず見つけだして見せる」


ぽつりと呟いた瞬間、グレイとルーの姿が頭を過ぎる。

ラミアスは二人を飲み込んだ亀裂をしばらく眺めていたが、やがて意を決したように迷宮の出口に向けて歩き出した。

その背中をオーレリア、そしてリベルガンが追う。

彼らの長い旅が再び始まろうとしていた。

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