第4話 エルフの村にて

村の守り神として崇められている巨大な神木を前に、愛を誓い合う一組の男女がいた。

どちらもため息が出るほどの美しい容姿だが、人間に比べて耳が大きく、尖っている。

そして、そのことは彼らの取り巻きにも言えた。

彼らはエルフだ。

エルフは妖精に近い種族であり、美しく、長寿なことで知られている。

しかし、人よりも永く生きるがゆえか、物事に無関心で、感情に乏しいことでも有名だ。

それでも、この日ばかりは皆、二人の新しい門出を心から祝福しているようだった。

新郎は、若草色のドレスに身を包んだ花嫁を見遣り、幸せそうに微笑む。

花嫁の方も新郎の視線に気づき、笑顔を返した。


二人は村の通例に従って、神木の前に捧げられた一振りの剣の前で一礼する。

剣は細身のもので、薄らと青白い光を放っていた。

装飾は控えめだが、気品に満ちた美しさを感じさせる。

男はその剣を恭しく手に取り、胸元に掲げた。

女の方は男の腕に自分の手を添える。

二人は再度一礼すると、神木に背を向け、村の入り口へと歩き始めた。

ゆっくりと人垣の中を進む。

周囲からは祝福の言葉が投げかけられた。

新郎と新婦は人垣から少し離れたあたりの村の入り口に辿り着くと、再び神木の方に向き直り深々と頭を下げた。

これが、新緑の民と呼ばれるエルフの一族に伝わる婚姻の儀式だった。

新しい門出への旅立ちを意味するものだ。

この後は、参加者には酒や食事が振る舞われ、夜になれば新婚の二人は初夜を迎える。

そして、晴れて夫婦となる……はずだった。


「ごめんなさい」


突然、新婦がぽつりと呟く。

怪訝な顔をする新郎だったが、すぐにその意味を理解する。

強烈な眠気が彼を襲ったのだ。


「な……ぜ……」


新郎は新婦のかけた魔法に抗うことができず、そのまま崩れ落ちる。

その隙に、新婦は新郎の手にしていた剣を奪い、村の外へと駆け出した。

神木の前から二人を見守っていた族長―――新婦の父親は事態に気付き、大声を上げる。


「連れ戻せ!」


しかし、彼らと新婦の間には相当な距離があり、今さら追いかけたところで追いつけそうにない。

普段であれば入り口には警備のエルフがいるのだが、今日は結婚式ということで持ち場を離れていた。

村のエルフたちがその状況を呆然と見ていることしかできないでいる中、新婦はドレスをなびかせながら風のごとく走り去っていった。



かなりの距離を走ったところで、新婦は立ち止まった。

銀色の美しい髪が風で乱れていたが、その美しさは微塵も損なわれていない。

新婦……だった女エルフは追っ手が来ないことを確認すると、ゆったりとした口調で魔法を唱え始めた。

かなりの時間をかけて唱え終わると、彼女の目の前の空間が裂ける。

エルフは一息ついた後、ドレスを脱ぎ、空間に放り込んだ。

ドレスの下からは、同じ色のチュニックと半ズボンが姿を現す。

更に、彼女は空間に手を突っ込んで、何かごそごそと探り、小さめの鞄を引っ張り出した。

鞄の側面には彼女の名である『ピアース』という文字が小さく刻まれている。

それを肩から下げると、ピアースは一言呪文を唱えて空間を閉じた。


「やってしまいましたわ」


彼女はそう言って空を仰ぎ見る。

しかし、口に出した言葉ほどの後悔をピアースは感じていなかった。

それ以上に、自由になれたという幸福感の方が優っている。

ピアースは大きく深呼吸をした後、後ろを振り返ることなく軽い足取りで歩き出した。



ピアースは幼い頃から一族の中では変わり者だった。

村のエルフたちが外の世界との関わりを避け、自分達以外の他の種族を嫌悪する中、彼女は外の世界に憧れ、他の種族との出会いを熱望していた。

しかし、族長の娘という立場もあり、彼女はそのような想いは胸の内に秘めて、一族の意向に従ってきた。

そして、それはピアースにとって苦痛以外の何物でもなかった。

百年……。

長寿であるエルフにとっては大した時間ではないが、

それでもピアースには永劫に感じられた。

そのため、父親から今回の縁談を持ちかけられた時、彼女は村を離れ、独りで生きることを決意したのだ。

結婚相手が一族の中でも特に選民思考の強く、ピアースの最も嫌悪するタイプの男だったという理由もあったが……。

いずれにせよピアースは今第二の人生ともいうべき一歩を踏み出したのだった。



その後、行くあてもなく森を彷徨い、その途中でゴブリンに襲われている少年を助けたピアースは、ようやく人間の街に辿り着いた。

村を出てからすでに十日が過ぎている。

ピアースはレンジャーとしての鍛錬を積んでいるため、野宿は苦でなかったが、そろそろ暖かいベッドが恋しくなっていた。

彼女は喜び勇んで街の中へと駆け出す。


「待て!」


しかし、ちょうど門をくぐろうかというところで、ピアースは衛兵に呼び止められた。


「なにか?」


楽しい気分に水を差されたピアースは思わず衛兵を睨みつける。

美しいエルフに鋭い視線をぶつけられた衛兵は一瞬たじろいだが、すぐに毅然とした態度を取り、ピアースに詰め寄った。


「見ない顔だな。どこから来た?」


自分が怪しまれていることを悟ったピアースは態度を正して、一礼する。


「失礼しました。わたくし、新緑の民の者でピアース・フォレスターと申します。村を出たばかりで、今は旅の途中ですわ。決して怪しい者ではありません」


「新緑の民?」


新緑の民といえば、閉鎖的なことで知られる森のエルフの一族だ。

人間嫌いとも聞く。

若い衛兵の狭い見聞の中では、そのような者が集落を離れて、このように大きな人間の街を訪れること自体あり得ないことだった。

衛兵はますます警戒心を強める。


「新緑の民の者がこの街に何の用だ?」


「宿を借りたいだけですわ。この街にはこれといった用もありません」


「本当か? 街に入って人間に害をなそうと考えているのなら……」


「そんなこと考えてませんわ!」


正直に話しているにも関わらず、どこまでも疑ってかかる衛兵にピアースは軽い苛立ちを覚える。


「やはり怪しいな。ちょっと詰所まで来てもらおう」


衛兵は、そう言って不躾にピアースの腕を掴もうと手を伸ばした。

しかし、ピアースは逆にその手を取って反射的に捻り上げる。


「貴様!」


「ちょっと失礼ではありませんの?」


ピアースは一瞬やってしまったという後悔の念に駆られたが、それ以上にこの頭の固い衛兵にいっぱい食わせてやりたいという気持ちが勝った。

がむしゃらに腕を振りほどこうとする衛兵の手を更に強く捻ると、衛兵は苦悶の声を上げる。


「何事ですか?」


その時、騒動を聞きつけたのか、数人の衛兵が二人の元へ駆けつけた。

ピアースは我に返って、衛兵の拘束を解く。

自由になった衛兵は、痛む手をさすりながら、集団の先頭に立つ男に何やら耳打ちすると、後方に下がった。

しばらく何かを思案するような仕草を見せた先頭の―――おそらくこの中で最も身分の高いであろう―――男が、ピアースに声を掛ける。


「うちの団員が無礼を働いたようですね。誠に申し訳ありませんでした」


そう言ってピアースに深々と頭を下げる。


「アルベルト団長! なぜ……」


「お黙りなさい」


アルベルトと呼ばれた男は、静かだが有無を言わせぬ口調で、件の衛兵にそう告げると、ゆっくりと頭を上げた。

対するピアースはその行動に戸惑いながらも、目の前の男を冷静に観察する。

周りの衛兵と比べると細身で、綺麗な顔立ちをしていた。

そのため、一見、頼りなさそうに見えるが、その挙動からかなりの使い手であることが窺える。

また、口調が丁寧で、腰も低く、笑顔を絶やさないが、どこか考えが読めない怖さがあった。


「ピアースさん?」


考えに没頭しているところに声を掛けられたピアースは慌てて言葉を返す。


「い、いえ、わたくしの方もかっとなってしまって……失礼しましたわ」


ピアースが頭を下げると、衛兵団長は安堵したように微笑む。


「貴女は、この街での滞在を希望されているのですね?」


「はい、そうさせて頂きたいと考えていますわ」


「……申し訳ありませんが、それは難しいですね」


「なぜでしょう?」


団長の登場により事がスムーズに運ぶかと期待していたピアースは眉を顰める。


「実はこの街、キングス・ガーデンは外部からの脅威にさらされています。詳細はお伝えできませんが……。そのため、王命により外部の者を街に入れることができないのです」


「そんな……」


絶句するピアースに、アルベルトは申し訳なさそうに首を垂れる。


「何か方法はないのでしょうか?」


アルベルトは、ふむと呟くと顎に手を当てる。

そして、ピアースの腰の剣に目を止めた。


「その剣には魔法がかかってますね。それもかなり強力な」


「この剣はお渡しできませんわ!」


ピアースはアルベルトから剣を隠すようにして、後ずさる。

それを見たアルベルトは慌てて首を横に振った。


「いえいえ、勘違いなさらないでください。私はただ、貴女の実力のほどを確認したかったのです」


「わたくしの実力?」


警戒を露わにしてピアースは尋ねる。


「そうです。先ほどの私の部下を拘束した手並と言い、その魔法の剣といい、かなりの実力をお持ちなのではないかと」


アルベルトの意図をはかりかね、ピアースは黙って言葉の続きを待つ。


「ここから北に三日ほど歩いた山の中で、翼竜(ワイバーン)が一頭目撃されています。どうやらあの辺りの洞穴に棲みついてしまったようです。このまま野放しにしておくと近隣の村に被害が及ぶ可能性もあります」


ピアースは、アルベルトの言いたいことを理解した。


「なぜ私がそんな危険なことをしなければいけませんの? 別にそこまでしてこの街に入らなくても、別の街を探せば……」


「時に貴女」


アルベルトは唐突にピアースの言葉を遮る。


「新緑の村から出てきたばかりだとお聞きしました」


「それが何か?」


「通貨というものをご存知ですか?」


「つうか?」


ピアースは軽く首を傾げる。

そして、五十年ほど前に読んだ人間の世界について書かれた本に、そのような記述があったことを思い出した。

更に、人間の世界では何をするにもその通貨というものが必要だということも。


「貴女たちの世界では物々交換が当たり前なのかもしれませんが、人間の世界では通貨がなければ、何もできませんよ? 食事をすることも、温かいベッドで眠ることも」


ピアースの心を見透かすかのようにアルベルトは細い目を更に細める。


「翼竜を倒せば、その通貨というものもくれますの?」


「その通りです。街に入れて、更にはここで生活するための通貨も手に入る。一石二鳥ではありませんか?」


ピアースは腕を組み、しばし考え込む。

彼女は、一度だけ翼竜と戦った事があった。

数頭の翼竜が村の付近に迷い込んできたのだ。

その時は村で腕の立つ戦士を六名ほど集めて、討伐に向かった。

確かに強力な魔物だったが、魔法や吐息(ブレス)を使えないため、そこまで苦戦した記憶もない。

ましてや一頭。

今のピアースであれば、負ける要素を見つける方が難しいだろう。

この男の手の上で踊らされているようで、いい気分はしなかったが、今は引き受けるしかないように思えた。


「分かりましたわ」


ピアースは微笑むアルベルトを軽く睨みつける。


「そうですか。やってくれますか。では詰所にて詳しい話を……」


アルベルトはその視線をさらりと流すと、ピアースに背中を向ける。

ピアースは周りにばれないように小さなため息をつくと、アルベルトの後を追った。



その後、数日かけて無事に翼竜が巣穴に辿り着いたピアースだったが、その中の光景を目の当たりにして、絶句していた。

『透明化(インビジブル)』で姿を消している彼女の目の前には三頭の巨大な翼竜。

その数もさることながら、どの個体もピアースが以前戦ったものより一回りほど大きい。


(こんなの聞いてませんわ!)


ピアースは心の中で、いい加減な情報を渡したアルベルトに悪態をつく。

このまま逃げてやろうかとも思ったが、この数の翼竜が近隣の村を襲う可能性を考えると放置することも躊躇われた。


(仕方ありませんわね)


もともと正義感の強い方であるピアースは覚悟を決める。

彼女は一番近くで眠りこけている翼竜の側に音も立てずに移動し、その頭部に狙いを定めた。

翼竜たちはまだ透明状態のピアースに気付いていない。


「はっ!」


ピアースは気合いの声とともに、鋭い突きを放つ。

放たれた剣先は狙いを違わず、翼竜の頭部を貫いた。

次いで風が凄まじい勢いで巻き起こり、その傷口をズタズタに切り裂く。

攻撃を受けた翼竜は何が起こったかも分からぬまま事切れた。

同時にピアースの透明化の効果がきれる。

突然のことに他の二頭はまだ動けないでいた。


(このまま、もう一頭!)


少し離れた場所にいる翼竜目掛けて再び突きを放つ。

剣が届く距離ではなかったが、強力な魔力を秘めた剣である『風切り』から生じた風の力は、翼竜の首を抉った。

緑の体液が盛大に吹き出す。


「いい感じですわ」


ピアースは二頭目が絶命したのを確認すると、残りの翼竜に背を向け、洞穴の入り口向けて駆け出した。

洞穴の入り口付近は直線的で翼竜一頭がようやく通れるほどの広さしかなかったため、そこならば戦いやすいと考えたのだ。

狭い通路では『風切り』による攻撃を避けることはできないだろう。

ピアースは入り口まで走り切ると、追ってくるであろう翼竜を迎え撃つべく、剣を構える。

その時、ピアースの横を、きらりと光る何かが横切った。

次の瞬間、右腕に鋭い痛みが走る。


「痛っ!」


痛む部分を見ると服が破れ、血が滲んでいる。

更にピアース目掛けて何かが飛来する。

ピアースは、かろうじてその物体を剣で弾いた。

キンという音がして、二十センチほどの棘のようなものが地面に落ちる。

翼竜のもので間違いはないようだった。

更に二本の棘がピアースを襲う。

今度は外れたが、ピアースはたまらず洞穴の外に飛び出した。


(ここでは不利ですわ!)


敵の遠距離攻撃の射程が予想以上に長かったため、直線的で狭い通路が逆に仇となってしまった。

そうこうしている内に翼竜が洞穴の外に姿を現す。

ピアースは翼竜に風の力を放つが、上手く空中に逃げられてしまった。

ピアースは歯噛みする。

『風切り』の射程はそこそこ長いが、空を自由に飛び回る目標に当てることは難しい。

相手もそのことを知ってかピアースの頭上を小馬鹿にしたように旋回しながら、時折急降下して鋭い爪で彼女を襲う。

しかし、その攻撃にピアースは違和感を感じていた。

殺気を感じないのだ。

まるで相手が弱るのを待っているかのような戦い方だった。

ピアースは、肩で荒い息を吐く。

視界が狭くなり、寒気がする。

足元が定まらず、剣の振りも鈍ってきた。


(このままでは……)


ピアースの心に焦りが募る。

彼女は今、この仕事を請け負ったことを心の底から後悔していた。

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