第4話 いつもの四人と凄惨な過去について③

「凄惨な過去か。俺らがあの世界に行くとして、絵里は何かエピソードある?」


 お前は何かあるだろと英雄は絵里に聞くと、納得のいかない顔をしつつも絵里は考え始める。


「何だろうなー。あたしって結構、順風満帆な人生を送っているからこれと言ってなんだよな」


 絵里は過去を思い出していたようだったが、これという思い出は見つからないらしい。しかし、渋い顔をしつつも答えは些か自信過剰なものだった。過去にあれだけ色々な人に迷惑を掛けておいて、よくもそんな顔して言えたものだ。


「絵里と言えばあれだろ。確か高校二年生になる前の春休みの――」


「あぁ、俺と英雄が実家に帰省してて、一人残った絵里が一週間サバイバル生活をしていた話か」


「何の話、何の話? 二人は知ってるの、私はそのエピソード知らないんだけど」


 キッチンでジンライムを作り終えた鈴乃は、その話に興味深々な面持ちで戻ってくる。


「そうか、あの時はまだ鈴乃とあたし達は出会ってなかったか。確かにあの時は本当に飢えて死ぬ寸前までいってた」


「高校時代に飢え死にしそうになってるのに順風満帆な人生て……たまに絵里ちゃんって日本人の基準で話ししてないよね」


 確かに現代日本で私立高校に通いながら、その様な過去を経験する学生はそういないだろう。鈴乃は若干引きつつそれでも興味の方が上回り、ベッドでぐでーとしてる絵里を起こして「お願い話して」と手を握り懇願する。


「わかったよ。けど、一週間に渡る話だから結構長くなるし、あたしは上手にまとめながら説明できる自信はないからな」


「いや、ちゃんと説明しろよ。国語教師だろ……」


 絵里の愉快なサバイバル生活の話は本当に長いので、またどこかでしっかりと解説するとして、ざっと要約すれば話はこんな感じだ。


 春休みが始まると俺と英雄は地元に戻る事になっていたが、計画的にお金を貯めていなかった絵里は俺たちの通っていた学校のある月城市に一人残る事になった。

 当時の絵里は実家に戻る資金どころか一週間を凌ぐためのお金すら持ち合わせてておらず、日頃から俺の作る料理以外はコンビニに頼っていた。その頃、絵里の冷蔵庫には納豆とキムチそれに一食分のパスタしか残っていなかった。

 これはよく言われる話で、一般的に人体は酸素が無ければ5分から10分。水が無ければ2日から7日。食料なしで最大2カ月耐えられるそうだ。

 今回の状況では不足しているのは食料だけ、水道は止められていないので死にはしないだろうが、苦しい一週間になる事は覚悟しなければならなかった。

 それでどうやって乗り越えたのかというと、当時の絵里は信頼できる人間以外にはあまり心を開かない性格だったが、意外にも月城に残っていた学生やら街の人に助けて貰ったそうだ。それは、態度と口調こそ悪いが可愛らしく愛嬌のある顔立ちをしているからってのもひとつあるだろう。つまり内面を見ず外面だけ見れば、助けてあげたくなるような得な面をしているのである。

 初めは、パン屋さんからパンを、飼育部から鶏卵。また、調理部のおすそ分けを貰った。それから、これはただの泥棒行為に他ならないが、俺と英雄の学校のロッカーを勝手に開けて(パスワードを解いて)カップ麺やら携帯食の類を手に入れた。

 そんなこんなで絵里はその食料を大切に食べ四日間は食いつないだものの、以降なかなか食料を手に入れることが出来ず、そのうち食料は底をついてしまう。

 五日目になると、絵里は飢えにより某ボクシング漫画のシーンの様に遠くの蛇口から垂れ落ちる一粒の水滴が聞こえるようになっていて、自分の感覚が研ぎ澄まされ本能に目覚めていく事を自覚していたらしい。

 最後は、学校の裏山にある良く日の当たる丘で野良猫たちとお昼寝をしていると、森の奥から甘い香りが流れてくることに気が付き、野良猫と共に森を抜けると学園長が密かにイチゴを育てていたビニールハウスに辿り着いて、そこで狂ったようにイチゴにかぶりつき満腹感を得てその場で眠ってしまった所を学園長に見つかり保護されたのだった。

 ——そんな物語である。


「私もあの時、月城に残っていたけれどあの町でそんな物語が起こっていたとは……」


 大変だったんだねと鈴乃が絵里の頭を撫でると、絵里は恥ずかしいからやめれと顔を赤らめて払う。

 何度手に押しつぶされようと、立ち上がる絵里のアホ毛を見て俺は麦のようだと思った。そのうち収穫できる日が来るのだろう。


「シロとは別に、あの寮にはよく猫が集まってきていたでしょ。あいつらが絵里が一緒に過ごしていた猫だよ」


 シロとは、俺たちが鈴乃と出会ったときに彼女が親代わりなって育てていた子猫の事だ。

 

「そういえば、知らない猫がふらっと寮に入ってきてはよく絵里ちゃんの部屋で寝ていたもんね」


「はぁ、あいつらはまだ元気にしているのかな」


「校長と中條先生が面倒みてくれてるから大丈夫だろ」


 絵里は高校時代を懐かしむように遠い目をして言うと、釣られるように俺も昔のことを思い出した。それはきっと他の二人もそうだろう。


「——さて、あたしの番は終わりだ。次はお前らの番だぞ」


 鈴乃に撫でられる手を振り払い、絵里は次に順番を回す。


「少し考えてはみたけど、絵里ちゃんの話聞いたら話せるレベルじゃないよ。新しいのを考え直さないと……」


「ふんふん。お前らはしょうもない、ごく一般的な人生を歩んでいるからな。出てこないのも仕方ない」


 自分のエピソードの評価に満足気な絵里はすっかりご機嫌であった。


「ムカつくな。ハルは何かないのかよ。絵里をぎゃふんと言わせてやろうぜ」


 どうしようか。一応考えはしてみたが、これと言ってオチのある話ではない。俺は大学時代、つまり北海道に住んでいた時のエピソードを話してみようか。


「あれは大学時代の話だ。寒波が来ていた冬の夜で、外はマイナス二十度を超える結構寒い日だったんだ。あの時も今日みたいに仲間と集まって家で酒を飲んでいたんだけど、酒が無くなったからコンビニまで買いにいったんさ。吹雪も収まり今がチャンスと皆でコンビニに出掛けてさ、それで買い物終えて帰っていたんだけど、家に着いたらその友達が途中で鍵を落としていて――」


 そして道を戻り俺たちは鍵を探した。途中、また吹雪いてきて視界も悪くなり感覚を頼りに別の友達の家に命からがら避難したのだ。因みに鍵は雪が溶け春になった頃、そいつの家の前で発見された。ずっと探していた行方不明の麻雀牌も一緒に。


「そいつは災難だな。それに、マイナス二十度が結構寒い日って表現なのは、さすが北海道って感じだ」


「面白い話をありがとう。そして、話のハードルも下げてくれてありがとう」


 英雄は手のひらを合わせ、感謝と言う。


「うるせぇな。……他にもあるぞ、裏山の放牧地に馬を放したのはいいんだけど――」


「あー、それ聞いたことあるわ。熊が出たから研究室の皆で助けに行ったんでしょ、ハイ次」


 冷たい目で絵里は俺の話を遮る。


「最後まで言わせてくれよ……」


「じゃあ、俺の番だな」


「お前はトンネルだろ?」


「トンネルじゃねぇ、あれは嘘だ」


「嘘なのかよ」


「いや、トンネルで止まったのは本当だが、俺の話はこれだ。俺も大学時代の話で、洗濯機を買うお金がなくて入学から4年間、俺はずっと風呂場で手もみ洗いしていた」


「……お前、不潔すぎだろ」


 英雄は絵里に「汚い臭い」と言われ脚で蹴られると、臭いは本当に傷つくからやめてと少しブルーになる。


「えぇ、英雄くんが大学生の時、彼女いたよね?」


「いたよ。卒業して別れたけど、結局最後までバレる事はなかったな」


 話を聞いてみれば、湯船に服と粉洗剤と水を入れて、ワイン造りの葡萄踏みよろしく、足で踏みながら汚れを落としていたそうだ。初任給が入り一番最初に買ったものが洗濯機で、その時に英雄は自分が大人になったと実感したらしい。

 ほらよ、と見せてきたのは英雄の妹の青葉ちゃんが撮影した動画で、熱心に額に汗を浮かべながら洋服を足で踏んでいる英雄の姿が映っていた。その滑稽な姿に笑いより同情が勝ったが、そんな様子を気にすることなく撮影しながらげらげらと笑っている青葉ちゃんの声が残されていて、英雄との血の繋がりを感じた。

 てゆうかこれって、凄惨な過去というよりただの苦労話じゃね?



「最近、青葉ちゃんこっち来ないね。仕事が忙しいの?」


「別にそういう訳じゃなさそうだぜ。なんか急に新しい一眼レフ買って、休日は車を適当に走らせて写真を撮っているみたいだ」


 最後は鈴乃だったが、彼女は別にこれといって自分に苦労話はないと言い。あたし達に隠し事は無しだぞと絡みにいった絵里は逆襲に逢う。それでもと絵里がしつこくお願いした結果、敢えて言うなら俺たちに出会ったことだと言った。


「こんな時間か。俺は明日も仕事だからそろそろあがるわ」


 時計の短剣はほぼ頂点に重なっていて、それを見て英雄は焦りながら帰り支度を始める。


「あたしもそろそろ寝る準備を始めるかー」


「絵里ちゃん。終電ないから今日は泊めてよ」


「おけー」


 絵里も欠伸をしながら片付けだす。絵里は俺の部屋の真下に住んでいるし、風呂も済ませてパジャマを着てから来ているので寝る準備というのは言葉通りの表現らしい。

 

「じゃあ、遅くまで悪かったな。明日も仕事頑張ろうぜ」


 英雄はビジネスバッグに散らかった自分の小物を適当に詰め込み言った。その姿だけ見ていれば多忙なビジネスマンといった風貌であるが、実際は夜まで遊び過ぎただけだった。

 こんな光景は昔からよくあった。あの頃は朝寝坊して慌てて学校に行く準備をしていたが、今は寝坊しない為に慌てている。少しは社会に出て成長したということだろうか。

 いよいよ準備を終えた英雄は片手を上げて俺たちに挨拶し、俺たちも返事をする。瓶に少しだけ残っていたウイスキーをラッパ飲みしながら足早に玄関に向かうと英雄は椅子の足に足を引っかけて盛大に転び、あまりの音に英雄の様子を伺うと、漫画の様に両手足を伸ばして廊下に倒れていた。


「うわっ。やべぇ、シャツこれしか残ってなかったのに」


 どうやら怪我の心配ないようですっと立ち上がった英雄だったが、こぼれたウイスキーはしっかりとワイシャツに染み付き、手で触るごとに薄い琥珀色のシミがその範囲を広げていった。


「あーあ、盛大に転んじゃったね。ハル君のシャツ借りれないの?」


「たぶん駄目だな。サイズが合わないよ」


 俺は即答する。英雄とは身長に10センチ以上の差があるし、加えて平均的な男性よりも隆々と発達した筋肉も備わっているので俺の普段使うシャツでは着る事が出来ないと思う。


「ぷぷぷ。これこそ凄惨だな」


「やかましいわ!」


 ドジな英雄を懸命に介抱する鈴乃と隣で馬鹿にする絵里。大人になった今でも昔と変わらず騒がしい仲間に囲まれて、俺は今日も思う。


 このままの生活がずっと続けば幸せだと。 


 





 

 

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