4日目

その日、三橋さんは、休み時間のたびに教室を出た。二回ほど、廊下で他クラスの生徒と談笑する姿を見かけた。

彼女は友達が多い。いつも誰かと話している。一人で孤独に読書している姿など、一度も見たことがない。

 だからだろうか。ただ本を借りたくて図書室へ来ただけなのに、罪悪感に駆られたのは。

……私は、本能で三橋さんを避けているのか? どうして?

 意味のない思索から逃げたい一心で、さほど興味のない古典作品を借りた。読書スペースに腰を下ろし、ページを開く。

 正直、あまり内容は頭に入ってこないが、文字列を目で追っているだけでも心地いい。ヒーリングセンテンス。

 多分、読書量が増えるほど、友達の数は減る。偏見じゃない。根拠はある。

 基本的に、読書とは一人で行うものだ。そこに割く時間が増えるほど、他者とのコミュニケーションに割く時間が減る。

 逆説的に、友達を増やすと、読書量が減る。だったら、私は読書を選ぶ。

 別に、友達が多い人間を貶している訳じゃない。そういう生き方も尊重する。

 だからこそ、読書を『一人でいることを正当化するための建前』みたいな言い方をされるのはムカつく。

 ……落ち着け私。昔のことだ。

 自制のため、一旦離席。呼吸を整える。

 深呼吸しながら、本棚の周囲を歩き回っていると、三橋さんを見つけた。

 おそらく、本棚から取り出した小説を試し読みするだけのつもりだったのに、のめりこんでしまったのだろう。こちらには気付いていない。

「……」

 一瞬、声を掛けようか迷った。友達と一緒に来ているかもしれない。読書の邪魔をされたら嫌がるかもしれない。

 ……頼む、無視してくれ。妙な願いを心中で唱えながら、声をかける。

「……っみ、橋さんっ」

変なイントネーションになってしまった。仕方ない。家族以外を名指しで呼ぶことなど、今まで数えるほどしかなかったのだから。

 幸か不幸か、三橋さんは私の呼び声に気付いた。こちらを見やり、目を見開き、口を押えようとしたせいで小説を落としかけた。

 図書室だからか、普段みたく大声を出すのは意識的に控えた模様。

 仕切り直して、三橋さんは小声で言った。

「加奈ちゃ~ん、おつ~」

「……甲?」

「へ? 何それ?」

「こちらの台詞です。【乙】とは何ですか?」

「『お疲れ様』の略だよ」

「……お、お疲れ様です」

 恥ずかしい! なんだ【甲】って!? 私の阿呆!

 掘り下げられるのを避けようと、乙は甲に尋ねた。

「……本、読むんですか?」

「うん、割とね」

「時間、あるんですか? よく友達と遊びに出かけていますよね?」

 問われて、彼女は苦笑を浮かべる。

「あれ、ほとんどバイト。店が駅前にあるから、一緒に移動してるだけ」

 ちょっと驚いた。三橋さんは右手で、お金のハンドサインを作る。

「うち、そこそこボンビーだからさ、大学の学費とか、今のうちに貯めときたいんだよね」

「……」

 何だか、漫然と生きている自分が、駄目なヤツに思えてきた。

「……だとしたら、なおさら本を読む時間は限られるんじゃないですか?」

「あー、あたし、基本スマホ触らないからかも。でもって、一人でいる時、ずっと何か読んでるんだよね。皆がSNS触ってる時間を、そっちに当ててる感じ」

「意外ですね。すごく」

「……SNS中毒っぽく見える?」

「見えますね。すごく」

「辛辣だ!」

 三橋さんがくすくす笑う。遅れて失言に気付いた。

「ご、ごめんなさい。今のは、言葉の綾というか」

「こういう時、漫画だと【おもしれー女】って言うんだっけ?」

「……それを言う男って、さほど面白くないですよね」

「やっぱ辛辣だ!」

貶したい訳ではない。少女漫画のイケメンは、面白くなくていいのだ。面白さとカッコよさはトレードオフだから。

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