第7話 封じられし者(※三人称)

 秀一は、その微笑に瞬いた。その微笑からは、何の殺気も感じられなかったからである。秀一は「憤怒」の上に「好奇心」を乗せて、目の前の少年をじっと見返した。「君は、一体」


 何者なのか? それは、(考えたくはないが)大凡おおよその予想は付いた。こんな時間に一人で、しかも和服を着た少年が歩いている筈がない。ましてや、見ず知らずの自分に話し掛ける事も。彼は(これも考えたくはないが)普通の人間とは違う存在、人間のそれとは異なる存在に思えた。


 秀一は、目の前の少年を睨み付けた。「目の前の少年に怯える」と言うよりは、その彼を追い払う意味で。足下の枝木にふと目をやったのも、それで「相手の身体を殴ってやろう」と思ったからだった。


 秀一は身体の不調をよそおって、その枝木を拾おうとしたが……少年に何故か、自分の意図を読まれてしまった。しかも、「そんな物じゃ無理だよ」の注意付きで。秀一の戦意を完全に封じてしまったのである。

 

 秀一はその意思に負けて、地面の上からそっと立ち上がった。そうする事以外、何の手段もなかったからである。相手の隙を突こうとしても、それすら相手に見抜かれてしまった。秀一は悔しげな顔で、相手の顔から視線を逸らした。「だ、誰?」

 

 相手は、その質問に答えなかった。その答えに戸惑う様に。秀一がまた彼に「君は?」と問い掛けた時も、それに微笑んだだけで、その質問自体には答えようとしなかった。少年は秀一の奥に見えている物、例の祠をじっと見始めた。「

 

 秀一は、その言葉に「ハッ」とした。それも只、「ハッ」とした訳ではなく。ありとあらゆる恐怖、本能の底から来る恐怖を感じてしまった。秀一は、目の前の少年に視線を戻した。目の前の少年はやはり、穏やかに笑っている。秀一が自分の正体を察した時も、それに「大丈夫」と言って、彼の不安を和らげていた。

 

 秀一は、その厚意に応えなかった。それが「少年の厚意だ」と、どうしても思えなかったからである。少年が自分に「怖がらないで?」と言った時も、それが「少年の本心」とはどうしても思えなかった。秀一は目の前の少年が例の封じられた者、「睦子の精神を脅かしている者」と感じて、彼の前にサッと歩み寄った。「君が睦子を! 君の所為で!」

 

 そう言って、少年の頬を殴った。だが、あれ? おかしい? 彼の頬を殴った感触はあるが、肝心の相手が「それ」に全く痛がっていなかった。秀一が「それ」に苛立って彼の頬をまた殴った時も、その感触が拳に伝わるだけで、相手の方は「それ」にちっとも怯んでいない。只、悲しげな顔で「クスッ」と笑っているだけだった。


 秀一は、その笑顔に震えた。それが見せる余裕にも、そして、またも「大丈夫」と笑う声にも。あらゆる恐怖を超えて、その場に固まってしまったのである。秀一は、その感覚に泣き崩れてしまった。「うぁあああ!」

 

 少年は、その声に瞳を揺らした。その声に胸を痛める様に、そして、その痛みに「怖くない」と応える様に。少年は「慈悲」と「慈愛」の心を持って、彼の背中をそっと摩った。「君の気持ちは、充分に分かる。

 

 秀一は、その言葉に「ハッ!」とした。特に「彼女」の部分、これには憤怒を覚えてしまった。「お前が全ての元凶なのに?」と、そう内心で思ってしまったのである。秀一は怒りの感情が抑えられず、少年が自分の気持ちを気遣っても尚、その気遣いを無視して、少年の顔を思い切り殴ってしまった。「ふざけるな! お前が睦子を苦しめている癖に! お前が!」

 

 少年は、その言葉に頭を下げた。「そうする事しか自分には出来ない」と言わんばかりに。少年は秀一にまた自分の顔を殴られても、無言で彼の拳を受け止め続けた。


「御免」


「じゃないよ! 睦子を返せ! 今すぐ返せ!」


「それは……」


 出来ない、訳ではないらしい。彼の表情から察する限りでは、それも難しい事ではないらしかった。少年は何やら戸惑ったが、やがて秀一の周りを歩き始めた。


「最初に一つ、いても良い?」


「何を?」


?」

 

 その返事は、無言。得体の知れない者に向ける、警戒の無言だった。「お前の話等決して信じない」と言う無言。少年は「それ」に苦笑いしたが、話の方は決して止めようとしなかった。「まあ、いいや。それが普通だからね? 怪しい奴の話は、信じない。君は至って、普通の人間だよ。ボクがこうして話している間も、ボクの顔を睨み付けているし。危ない相手に対する危機感が、きちんとしている。その意味では、君は信用出来る人だ」

 

 秀一は、その言葉に押し黙った。それを喜ぶべきか否か、その判断が出来なかったからである。秀一は「不安」と「好奇心」、「恐怖」と「興奮」を持って、少年の言葉を促した。


「話を」


「え?」


「話は!」


「う、うん! 話は」


 自分の事、そして、睦子の事だった。自分がどう言う存在で、「睦子が今どうなっているのか?」と言う事。それを只、彼に伝える話だった。

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