怪異と生きる、僕等の町

読み方は自由

曰く付きの部屋(現在、高校生編)

第0話 首吊り自殺(※主人公、一人称)

 。それが、正直な感想だった。部屋の雰囲気は不気味でも、そこには不思議な哀愁が感じられる。人間の怒りや悲しみ、苦しみを伝える哀愁が。薄暗い玄関の様子を通して、はっきりと感じられた。この中に住んでいた人はきっと、ではない。今も、それに苦しんでいる。寝室の奥に潜んで、その苦しみを叫んでいる。僕が玄関のドアノブに手を伸ばした瞬間、それがしっかりと伝わって来る程に。彼女は、自分の人生を呪って……。

 

 僕は玄関の前には見張りを、アパートの周りには結界を張り、後ろの大家さんには「行きましょう」と言って、大家さんと一緒に部屋の中へと入った。部屋の中は、薄暗かった。カーテンの閉められた部屋は勿論、カーテンの開けられた部屋すらも薄暗い。すべてが昼間であって昼間でない、不気味な雰囲気を漂わせていた。僕が大家さんと一緒に行った部屋の居間も同じ、「窓のカーテンが開けられた部屋」とは思えない程の暗さだった。僕は椅子の上に大家さんを座らせて、居間の中にも結界を張った。


「この中に居れば、取り敢えずは安全です。問題の幽霊はまだ、寝室の方に居る様ですし。そこから出て来ても、この結界が守ってくれます。だから」


「あ、あの!」


「はい?」


 大家さんは、その言葉に押し黙った。その言葉に応えたくない気持ち、恐らくは躊躇ためらいがあるのだろう。椅子の上に座って、窓の方をチラチラと見る様子からは、部屋の雰囲気に怯える気持ちよりも、自分の行いを悔いるような雰囲気が感じられた。彼女は自分の足下に目を落として、その指先をじっと見始めた。


「頼んで置いて何ですか。あの子の事、どうか消さないで下さい。あの子は!」


「分かっています。彼女は、加害者じゃない。寧ろ、一番のです。一番の被害者が、一番の悪者に成っちゃ行けない。彼女の事は、絶対に救って見せる」

 

 その言葉に涙する、大家さん。大家さんは一応の備えとして僕が彼女に予め渡して置いた御守りを握ると、悲しげな声で目の前の僕に何度も頭を下げ続けた。「お願いします」

 

 僕は、その言葉に微笑んだ。そうするのが、「彼女の不安を和らげる」と思ったから。大家さんの前に守護人形を置いたのも、その安全性も含めて、「彼女の気持ちを鎮められる」と思ったからである。


 僕は自分の守護人形こと、日本人形のおはなちゃんに「大家さんの事、頼んだよ?」と言って、幽霊の潜む寝室に向かった。寝室の中は言わずもがな、最悪の状態だった。周りの様子はただ薄暗いだけだったが、部屋の天井に吊されているそれが原因で、本来の姿をすっかり失っていたからである。

 

 僕は狂気と殺意の渦巻く中で、天井のそれをゆっくりと見始めた。天井のそれは、此処の元住人。その生前には、「千早ちゃん」と呼ばれていた女性だった。彼女は焦点の定まらない目で、僕の目をじっと見返している。まるで僕に何かを訴えるかの様に、その口からも唸り声が漏れていた。


 彼女は真っ青な顔、真っ赤な服、真っ黒な目で僕の顔を暫く見ていたが、それに何かの苛立ちを覚えたのか、僕がそれに瞬いた瞬間を見計らって、そこから僕の身体に思いきり飛び掛かった。「うううう、アアアアア」


 僕は、その声を無視した。その声を聞いても、意味がない。幽霊の声はそれがちゃんと聞かれる様に成るまで、無視するのが霊能者の定石だった。僕は彼女の攻撃をサッと躱しつつ、それが作る隙を見付けて、彼女に自分の掌を見せ、彼女がその動きに驚いた所で、彼女の身体に纏わり付いている邪気を直ぐさまはらった。


 彼女は、その力に驚いた……ばかりではない。邪気の縛りから解き放たれて、生前の理性も取り戻していた。彼女はその姿こそ変わっていないが、今までとは明らかに違う様子で、僕の顔をまじまじと見始めた。「あ、あの? 私……」


 普通の口調だ。が使う、普通の口調。年相応の声。彼女は今、生前の声を取り戻しているのである。「今まで?」

 

 僕は、その言葉に微笑んだ。彼女の不安を和らげる様に。


「捕らわれていたんです、自分の邪念に。『自分の恋人を殺めよう』とする、その怨念に。貴女は、その怨念から解き放たれたんです。僕の放った力を受けて」


「貴方の放った、力? それは?」


 一体、どんな力であるか? 彼女にそれを伝えるのは少し大変なので、「今は簡単な説明だけにしよう」と思った。僕は自分の力を使って、掌の上に勾玉まがたまを造り出した。翡翠ひすいのそれと殆ど変わらない、淡い緑色の勾玉を。僕は目の前の彼女に微笑んで、その右手に勾玉を渡した。


「それを握って下さい。それは、姿です」


「私の姿を元に戻す道具?」


 彼女は右手の勾玉を暫く見ていたが、やがてその勾玉をゆっくりと握り始めた。僕の話に不安を覚えながらも、その勾玉に何か希望を抱くかの様に。彼女は不安げな顔で、僕の顔をじっと見返した。


「こ、こう?」


「そうです。そのまま、暫く握って下さい」


 彼女は、その言葉に従った。それに従いたかったどうかは分からないが、恐らくは「それ」に「従うしかない」と思ったらしい。彼女の内面を覗く事は出来ないが、彼女が時折見せる戸惑いや、部屋の中を何度も見渡す動きからは、常人のそれと同じ不安が感じられた。彼女は右手の勾玉を暫く握り続けたが、その勾玉が突然に光り出すと、それを放り投げはしなかったが、右手の掌を開いて、掌の上にある勾玉をまじまじと見始めた。


「えっ? ちょ!」


「大丈夫です」


「大丈夫? 本当に」


 そう呟く彼女に僕が指差したのは、部屋の出入り口付近に置かれている姿見だった。彼女はそれに目をやって、それが写す自分の姿に「え?」と驚いた。「まさか、こんな事が?」


 そう、有り得てしまう。その勾玉、浄化の勾玉を握れば、生前の姿に戻られるのだ。恐らくは彼女が自殺する前の姿に、部屋の中で首を吊るよりも前の姿に、その服装や年齢も合わせて、すっかり戻られるのである。彼女は姿見の前に歩み寄って、床の上に「う、ううう」と泣き崩れた。「私、私、私」


 僕は、その言葉に応えた。それに応えるのが多分、「彼女への慰めになる」と信じて。


「本当に綺麗です。此処ここの大家さんからも聞きました。『千早ちゃんは、本当に綺麗な娘だ』って。事実、今の千早さんはとても」


「ねぇ?」


「はい?」


「大家さんはその、今は?」


「来ていますよ、此の部屋に。今は、奥のリビングに居ます」


 彼女こと、千早さんは、その言葉に立ち上がった。まるでそれに希望を見出したかの様に。


「行く」


 その後に訪れた、僅かな沈黙。沈黙は、彼女の涙が消えるまで続いた。


「ダメ?」


「じゃ、ありません。その状態なら、大家さんにも姿が見えますし。大家さんと話す事も出来ます。貴女には、彼女と話す義務がある。これからの事を考える為にも」


「はい!」


 彼女は「ニコッ」と笑って、部屋の中から出た。僕も彼女の後を追って、家の廊下を進んだ。僕達は霊能者の僕を先頭にして、家のリビングルームに戻った。リビングルームの中では、大家さんが僕の帰りを待っていた。


 僕は彼女がお華ちゃんと話している中、彼女の近くに歩み寄って、彼女に「浄霊は、終わりました」と言った。「もう、大丈夫です。千早さんはもう、悪霊ではありません。貴女の良く知る」

 

 大家さんは、その続きを聞かなかった。それ自体は聞えていた様だが、扉の前に立っている千早さんを見て、その意識をすっかり忘れてしまったらしい。彼女は自分が椅子の上から立ち上がった事も分からない様子で、千早さんの前に勢い良く駆け寄った。「千早ちゃん!」

 

 そう叫ぶ大家さんに「あっ……」と呟く、千早さん。千早さんは部屋の大家さんに「あ、あの!」と話し掛けようとしたが、その大家さんに「何やっているの!」と言われて、彼女に自分の頬を叩かれてしまった。「なっ、え? あっ」

 

 大家さんはまたも、彼女の頬を叩いた。それも、一発や二発ではなく。相手がそれに震えるまで、その頬を叩き続けた。大家さんは自分の右手を止めて、彼女の前に「うっ、うっ」と泣き崩れた。


「何で? どうして? あんな男の為に? 千早ちゃんは!」


「大家さん……」


 そこから先は、第三者の僕でも分かった。二人は、今回の事を悔やんでいる。一方は、自分が自殺してしまった事に。もう一方は、その死を止められなかった事に。記憶の出発点はそれぞれに違うだろうが、その終着点を同時に感じていた。二人は、「どちらが先」と言う事もなしに互いの体を抱き合った。


「御免なさい」


 これは、千早さん。


「あたしの方こそ、御免なさい」


 これは、大家さん。大家さんは千早さんの体を放して、その顔をじっと見始めた。千早さんの顔には未だ、その涙が残っている。


「貴女の事を救えなくて」


「そんな事、ないです。私は、ずっと」


「ねぇ?」


「はい?」


?」


 その答えは、沈黙。それも、かなり重苦しい沈黙だった。


「あの男は未だ、町の精神病院に入っている様だけどね? あたしは、てっきり」


「殺せなかったんです、彼の事。本当は、呪い殺す積もりだったのに。私は……」

 僕は、その続きを遮った。そこから先は、「僕の推理を話した方が良い」と思ったからである。「自分の内側に理性を取り戻したんでしょう?」


 千早さんは、その言葉に凍り付いた。その言葉がまるで、「正解だ」と言う様に。


「どうして?」


「そう言うのは、良くある事です。貴女は、『恋人の命を奪おう』とした。最初は多分、彼の家か何かに行って。『その首を絞めよう』としたに違いない。心霊現象の体験者が良く言う、『金縛り』と言う手段を使って。貴女も、その例に漏れず。でも」


「無理だった。彼が念仏を唱えた瞬間、『ハッ!』と我に返って」


「それは、良くある事です」


「そう、なの?」


「はい、霊能者の人とか別ですが。普通の人が幽霊に念仏を唱えると、そう言う風になります。幽霊の怨念こそは消せなくても、その内面に理性を引っ張り戻せる。金縛りの体験者が幽霊に念仏を唱えたら、『その幽霊が明け方近くに消えていた』と言うのは良く聞くでしょう? あれは念仏で幽霊を退けたからではなく、幽霊の内面に……一時的ではありますが、理性を呼び戻したからなんです。今まで怨念のままに彷徨さまよっていた、幽霊の。千早さんも、多分」


「そうでした。だから、怖くなったんです。自分のしている事を。それに」


「彼の復讐が怖くなった?」


「はい……。彼がもし、『自分と同じ幽霊になったら?』って。その恐怖に襲われました。彼が自分と同じ幽霊になったら、彼にまた暴力を振るわれる。『自分の事をよくも呪ったな!』って、私の事を襲いに来る。私は『それ』が怖くなって、此の部屋に逃げて来ました。この部屋に居れば、誰も自分を襲わない。誰も、自分の事を追い出さない。私は私の部屋に来る邪魔者を追い出して、此の場所をずっと守り続けていたんです」


「でも、『それ』を破る人が居た。生前から貴女の事を心配して、その相談にもずっと乗ってくれた人。此処の大家さんです。大家さんは様々な伝手を使って、貴女の事は勿論、貴女の恋人が入っている病院の事も調べ上げた」


 大家さんは、その言葉に溜め息をついた。その言葉に「全く」と呆れる様に。


「骨が折れたわ、本当に。男の病院を見付けた時には、特にね? 少ない情報で特定の人間を調べるのは、本当に疲れるわ」


「大家さん、その……御免なさい。色々と迷惑」


「じゃないわ」


「え?」


「迷惑な訳がない。千早ちゃんの死に比べれば、こんな事! 私は、生前の貴女に何も」


「そんな事、ありません! 大家さんは、私の為に! 最低なのは、私です。彼氏の浮気にガッカリして、自分の命を……。今、考えれば」


 僕は、その続きを遮った、その続きは、「彼女の尊厳に関わる」と思ったからである。僕は二人の間に立って、その怒りを宥めようとした。


「確かに馬鹿だったかも知れません、第三者の僕が言うのも変ですが。自殺は、自分の尊厳を殺す行為です。今までの人生を壊して、これから先の未来を閉ざす。貴女は、過去から続く命の連鎖を断ち切ってしまったんです。多くの奇跡が重なった事で、此処に辿り着いた奇跡を。人間が、生き物が、自分の命を大事にする理由は、その過去から連なる流れに敬意を払う為です。自分の命が、これからも続いて行く為に」


 千早さんは、その言葉に押し黙った。その言葉に胸を打たれた、それもあるかも知れない。彼女が両目から流した涙は、自分の行為に対する後悔だった。「自分はどうして、こんな事をしてしまったのだろう?」と言う後悔。それに対する涙だったが、涙の上には「それ」とは違った感情も(何となく)見られた。「これからの自分は、明るい所で生きて行きたい」と、そう思わせる何かが感じられたのである。千早さんは両目の涙を拭って、僕の顔に向き直った。


「ねぇ?」


「はい?」


「私はもう、この世には居られないんだよね?」


「そう、ですね。厳密には、猶予期間がありますが。それを過ぎると、二つの道を選ばなければならなくなる。あの世にくか、それとも」


「それとも?」


「この世とあの世の狭間にある世界、異界の中に留まるか。異界の中には、現実のそれとは違う世界が広がっています。此処と似ている様で、全く異なる世界が。貴女はそこに移る事で、永遠の時間を生きられる。貴女が自身の成仏を望むまで、理論上は」


「そう、なんだ。もし、もしもね? 私がもし、その異界に行ったら? 私はまた、皆と?」


「会えますよ、役所の手続きが必要ですが。貴女との面会に必要な書類を出せば、貴女といつでも会えます。反対に貴女からも、貴女が会いたい人に会えるし。この世に未練がある人は、基本的には異界逝きを選びますね」


 千早さんは一瞬、その言葉に怯んだ。その言葉に含まれる、自分の未来に恐怖を抱いて。だがそれも、大家さんの「大丈夫」に掻き消されてしまった。「私はいつでも、千早ちゃんの所に行くから」と言う言葉を受けて、その不安をすっかり忘れてしまったのである。千早さんは目の前の俺に目配せして、俺の脚をゆっくりと促した。


「私、行きます、異界に。そこならまた、皆とも会えるから。私は、自分の自殺を反省したい。自分がどれだけの人に迷惑を掛けたのか。このままあの世に逝っちゃったら、生きている皆に謝れない」


「そうですか、分かりました。それじゃ、町の役所に行きましょう。役所の中には、心霊現象を扱う部署があるので。そこに行けば、必要な手続きを進めてくれる筈です」


「ありがとう。それじゃ!」


「はい、行きましょう」


 僕は自分の守護人形に目配せし、部屋の大家さんにも頭を下げて、彼女と一緒に家の中から出た。家の外では、見張り役の守護獣が待っていた。僕は守護獣の狼(「狼牙ろうが」と言う茶色の狼)に「終わったよ」と言って、彼が見ている家の外に目をやった。家の外には二、三体、「幽霊」と思わしき人影が見られる。


「邪魔者は?」


ねぇよ。彼奴等は、只の野次馬だ。ここの周りに結界が見えたんで、『何だ、何だ?』と見に来たんだろう。俺が二、三回吠えてやったら、大半の奴等が逃げて行ったぜ? それよりも」


「ああうん、彼女が今回の」


「ふうん、結構……じゃねぇな。滅茶苦茶可愛いじゃねぇかよ! 俺なら即落ち、間違いないね! こんな主だったら、死ぬまで着いて行く!」


 それに怒ったのは、僕ではない。僕の隣に浮いていた、お華ちゃんだ。お華ちゃんは狼牙の態度に呆れたらしく、不機嫌な顔で相手の頭を思い切り叩いた。


「阿呆な事を言っていないで、あの野次馬達も追っ払いなさい! それが、貴方の役目でしょう?」


「う、ううう、いつもながら手厳しい。そんなじゃ、いつまで経っても彼氏が」


 あ、また叩かれた。それも一撃目よりも強く、狼牙の頭に念をぶつけていた。お華ちゃんは狼牙の「痛ぇよぉ」にまた呆れたが、千早さんが「それ」に「クスクス」と笑ったので、その笑顔に「ニッコリ」と笑い返した。


「御免なさいね? 御見苦しい所を見せてしまったわ」


「うんう、全然。皆、とても仲良しなのね?」


 それに言い淀む、お華ちゃん。その反対に「ニヒヒッ」と笑う、狼牙。彼等は各々に正反対の反応を見せていたが、僕が全員の足を促した事もあって、その空気をすぐに忘れてしまった。


 僕は自分の隣に千早さんを並ばせて、部屋の前からゆっくりと歩き出した。曰く付きの部屋から、そっと離れる様に。

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