43.綾乃の価値観(後編)

 自分はいじめられてつらい思いをしている。

 健太郎が一所懸命に語る現状と気持ちに、綾乃は親身になって耳を傾けた。

 正直な気持ちとして、綾乃は健太郎に同情していた。理不尽ないじめに遭った経験のある彼女は、大した理由もなくいじめる連中に怒りさえ覚えていた。


「あの、松雪さん……。ぼ、僕と付き合ってくれませんか?」


 だから、なんの脈絡もなく告白してきた健太郎に、一瞬思考が停止した。

 まさかこんなタイミングで告白されるとは思ってもいなかった。綾乃の経験上、今は告白する空気ではなかったはずなのだ。


「いいですよ。付き合いましょう」


 綾乃は即座に告白を受け入れていた。

 何か考えがあったわけではない。

 もし男子から告白されたら角が立たないようにオーケーする。それは自分を守るための、綾乃にとっての決まり事だった。

 それが頭で考えるよりも早く、口から出てしまった原因だった。


「私、健太郎くんの話をもっと聞きたいです」


 取り繕う綾乃。対する健太郎はこの世の春が訪れたとばかりに喜んでいた。


(やってしまいました……。今のは断っても角が立たなかった状況でしたのに……っ)


 一度受けてしまったのなら仕方がない。また適当なタイミングで「恋人になったつもりはありませんでした」と断ろう。

 健太郎に対して嫌悪感がなかった綾乃は、できるだけ傷つけないように離れる方法に考えを巡らせていた。



  ※ ※ ※



 健太郎をいじめていた連中は、綾乃と同じクラスの男子三人組だった。


(三人ですか……。このくらいの人数ならどうとでもなりますね)


 いじめを行う男子達は優等生と認識されている生徒だった。

 そういう一見真面目そうな人でもいじめをする。昔、綾乃をいじめていた人の中にもいた種類の人だ。


(さて、どんな方法で健太郎くんへのいじめをやめさせましょうか)


 いじめられている健太郎への同情心。告白をしてくれたのに、結局はなかったことにしようとしている罪悪感。

 綾乃はこの件を解決するために行動すると決めた。せめて、それくらいのことはしないと申し訳なさでいっぱいになりそうだったから。


「あなた達、健太郎にちょっかいをかけるのはもうやめてちょうだい!」


 綾乃が何かをするよりも早く、千夏が健太郎をいじめていた連中と相対した。


(どどどどど、どうしましょう!)


 その現場を目撃した綾乃は焦った。上辺では涼しい顔をしているのだが、内心ではドッタンバッタンの大騒ぎだ。

 啖呵を切った千夏を、綾乃は素直にすごいと思った。

 しかし人気のない場所で、女の子一人で男子三人を相手にするのは危険だ。周りには誰もおらず、助けを求められそうになかった。

 心配を隠せない綾乃。不甲斐ないと思いながらも、事の行く末を見守ることしかできなかった。

 幸いにも健太郎をいじめている連中から「大迫健太郎へのいじめをやめる」と約束させていた。見届けた綾乃はいじめをやめさせたことよりも、千夏の無事に安堵した。



  ※ ※ ※



 千夏が健太郎へのいじめをやめさせてから、少しだけ日々が過ぎた。


「綾乃、頼みがあるんだ」

「私が力になれることがあるなら言ってください。できる限りの協力は惜しみませんよ」


 健太郎が真剣な表情で頭を下げるものだから、綾乃も軽く引き受けてしまったのだ。


「──僕は、千夏に復讐する」


 綾乃の思考が停止した。健太郎には悪い意味で驚かされてばかりだ。


(どうしてそんなことになったんですか!?)


 理由を聞けば呆れるしかなかった。いじめの黒幕は千夏、と吹き込まれたようだ。

 いじめていた連中の話を鵜呑みにしたらしい健太郎。綾乃がやんわりと「あり得ないこと」だろうと誘導してみても、健太郎は自分の考えを頑なに信じていた。


(この目……私が何を言っても無駄なんでしょうね……)


 幼馴染への復讐に燃える健太郎の目が、あまりにも似ていたのだ。

 ──今まで綾乃にひどい言葉を浴びせてきた人達の目に、とてもよく似ていた。


「わかりました。でも健太郎くん、言葉は選んでくださいね。あまり乱暴な言葉を使うと健太郎くん自身の品位を下げてしまいますからね」

「それくらいわかってるよ」


 そこで綾乃は諦めてしまった。健太郎に言葉を重ねることが無意味であると思ってしまった。

 きっと、いじめを止めた張本人が千夏だと伝えても、自分の言葉では信じてもらえない。いつもそうだったから、と綾乃の心に影が射す。

 せめて、必要以上に千夏が傷つけられないように見守っていよう。それだけが綾乃自身にできる精いっぱいのことだった。



  ※ ※ ※



 そして、健太郎は千夏を人気のない校舎へと呼び出した。


「もういいだろ。もう遅いんだよ千夏……だって君は、僕を裏切ったんだからね」

「そ、そんな……っ。違う……違うよ健太郎っ」


 健太郎の復讐が行われた。

 涙に濡れる千夏。それを、綾乃は笑顔を張りつけながら見守ることしかできない。


(幼馴染なのに……ここまで手のひら返しをできるものなんですね……)


 健太郎の隣で見ているからこそ伝わってくる。

 誰かを責めることに快感を覚えているのだ。言われた側がどんなに悲しんだって関係ない。自分の気持ちをぶつけることが最優先なのだろう。

 みんながそうやっているのを、綾乃は見てきたのだ。


(あれって……将隆くん?)


 健太郎が千夏を罵倒する最中、綾乃はこちらをうかがう将隆を発見した。


(将隆くんなら止めてくれるはず……。だって、将隆くんは千夏さんのことが好きなんですから)


 期待を込める綾乃に反して、将隆が間に割って入ることはなかった。

 綾乃は復讐が終わって満足した健太郎とともに、この場を後にする。千夏のすすり泣く声が、綾乃の耳から離れなかった。


(どうして、将隆くん……。千夏さんを助けてくれなかったんですか?)


 そう思う一方で、綾乃はあの場面で助けに入っても仕方がなかっただろうと推測できていた。

 自分だって、千夏が健太郎をいじめていた連中に啖呵を切っていた時に何もできなかったのだ。

 将隆なら自分にできなかったことをしてくれる。綾乃はそんな勝手な信頼があり、勝手に裏切られた気になってしまった。


(それよりも、あの場面で私がどう見えていたことか……)


 幼馴染を罵倒する男の隣にいた笑顔の女。

 普通ならあり得ない状況だ。だからこそ、そう仕向けるようにしたのは綾乃に見えてしまうのではないだろうか。


(いつも……どうせ私は悪者になってしまうんですね……)


 最初はこんなつもりではなかった。

 泣いている人がいた。いじめられていてつらいのだと、親身になって話を聞いた。

 綾乃は傷つけられる痛みを知っていたから。そして、将隆と対等に話をして、話を聞いてもらえる嬉しさを知っていたから。

 ──誰かに優しくしたいと、そう思っただけだったのに。

 でも、そんなこと誰も信じてはくれないだろう。

 綾乃はいつだって悪者だったから。そんなつもりがなくたって、どんなに弁明したって、信じてもらえたことは一度たりともなかった。

 友達だと思っていた人でさえ、綾乃を否定したのだ。将隆も、きっと綾乃を否定するに違いなかった。


(……なんだ。いつも通りじゃないですか)


 綾乃は笑みを浮かべる。

 悲しくたって関係ない。綾乃の感情なんて誰も興味がないんだから。

 なら、精いっぱい笑顔を浮かべてやるのだ。それが、悪者の綾乃にできる精いっぱいのことだった。



  ※ ※ ※



 それからの健太郎への対応は、いつもの勘違い男子へのものと同じだった。

 求めに応じ、理想的に振る舞う。そうやって彼のプライドを高めてやった。


「……健太郎くんは彼氏気取りをしているようですけれど、私はあなたと恋人になったつもりはありませんよ」


 そして、高まったプライドを、いつも通りに砕いた。

 途中トラブルがあったものの、いつも通りの結果となった。自分が傷つかなかったことに、綾乃は安堵した。

 ……いつもよりも少しだけ厳しめに振ったのは、綾乃の無意識な八つ当たりだったのかもしれない。



  ※ ※ ※



 その一方で、将隆と千夏は恋人になっていた。

 将隆の恋を最初は応援していた綾乃だったが、自分との落差に何か引っかかりのようなものを覚えていた。


「健太郎くんが千夏さんを責めて、彼女を泣かせているところに将隆くんもいましたものね。目の前でチャンスが訪れて、良かったですね」


 だからだろうか。将隆に言わなくてもいいことを口にしてしまったのだ。

 ただ単に困らせたいと思った。綾乃の子供じみた復讐心だった。


(ずるいですよ将隆くん……。でも、本当にずるいのは私ですね……)


 綾乃と将隆は千夏のピンチを見過ごした。けれど、その後の結果は大きく違っていた。

 将隆にはできることを、綾乃はできないのだ。

 ずっとそんなつもりはないと思っていた綾乃だったけれど、本当に自分は悪者なのかもしれないと考えてしまった。

 悪者には、いつか天罰が下る。それこそ子供の頃から教えられてきたことだ。


「松雪さん、少し時間をもらえない?」


 突然千夏に話しかけられて、その罰が下る時がきたのだろうと綾乃は覚悟した。

 綾乃が知らない間に、千夏と健太郎は仲直りできていた。それもまた将隆のおかげなのだろう。

 綾乃がいなければ、そもそもこじれることもなかったかもしれない。それでも、仲直りをして笑い合っている三人を見て、綾乃は羨ましいと思った。

 本当の意味で誰とも仲良くできない自分に存在価値なんかあるのだろうか? 綾乃の心は、自分という存在そのものを諦めかけていた。


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