42.綾乃の価値観(中編)
高校に入学しても、綾乃を見る男子の目は変わらなかった。
しかし、綾乃もまた周囲を見る目が変わっていた。
(あの男子は女子に注目されていますね。おそらくクラスの中心になるでしょう。さっき自己紹介していた女子はめぼしい人に話しかけてもう自分のグループを作っていました。要注意です……)
新しい学校。新しいクラスメイト。ここには中学までの綾乃を知る者はいなかった。
だからこそ新しい顔ぶれを早く覚えなければならない。顔と名前を一致させるだけでは足りない。性格やクラスでの立ち位置を頭に叩き込む。
それが自分自身を守るための武器になるはずだから。綾乃の目は真剣そのものだった。
「私は紳士な人が好きなんですよ。ね? この気持ちわかってくれますか」
「は、はい! 松雪さんの気持ちとってもよくわかります!」
自分を守ってくれる人。それは流されやすい人でも構わない。
誰もが綾乃の敵に成り得る。そして、誰もが綾乃の味方であった。
クラスの男子はほぼ全員、最初から綾乃に興味があった。
恋人にしたい欲求もあれば、ただ近くにいるだけで満足する人もいる。好意の形は人それぞれだ。
(その気になってみるとチョロイですね)
距離感は近く、親しげに名前を呼ぶ。以前と変わらないようで、決定的な一線を越えさせないようにする。たったそれだけでいい。
測り間違えることさえなければ綾乃の思う通りだった。友達以上恋人未満を維持する。
それだけで、友達として良い関係を築ける。誰だって美少女との友人関係を壊してしまうリスクを負いたくはないだろう。
「なあ綾乃。俺達付き合わね?」
それでも例外はいた。男子と二人きりになることを避けてはいたが、綾乃に強引に近づく人がいたのだ。
告白を断られて友人関係が壊れるリスクなんて考えてもいない。溢れすぎる自信に突き動かされるだけで、綾乃という美少女を手に入れた未来を妄想する愚か者だ。
(彼は私の敵……ですね)
綾乃は笑顔で了承した。
けれど「好き」という決定的な言葉は使わずに。彼女はただでさえ高い彼のプライドをこれでもかと刺激した。
そして、プライドの塊と化した彼を……粉々に砕いた。
「う、嘘だ……この俺が間違っていただと……?」
下手に反撃させてはならない。増長させて周囲に反感を持たれるようにした。相手を悪者に仕立て上げた。
自分は味方を増やしながら、相手を孤立させる。そうすれば、彼が何を言ったところで真実には成り得ない。
そうやって綾乃は自分を守り続けた。
相手を悪者にすることでその口を封じる。時には隠れ蓑を作ったりもした。それでも綾乃の評価が大きく下がることはなかった。
なぜなら綾乃の味方は多かったから。圧倒的多数派の力を得ていたからだ。
(人気者をいじめることはできないですからね。大勢の意見に流される人ばかりで……みんなバカばっかりです)
他人を意のままに操る感覚。綾乃は自分が悪女なのだろうと自覚していた。
心は痛まなかった。自分が傷つかなければそれでいいと、綾乃は思っていた。
「んじゃあ松雪、今日もお疲れさん」
「将隆くんもお疲れ様です」
そんな綾乃が、委員会で男子と二人きりになることがあった。
綾乃は男子の中で唯一、佐野将隆だけがわからなかった。
好意と嫌悪には敏感な彼女が、将隆の感情がまったく読めなかったのだ。親しげにしてみても変わらない。距離感でさえ掴み切れなかった。
同じクラスの男子。男女合わせてもクラスメイトで感情が読み取れないのは彼だけだった。
「そういえば将隆くんはなんで図書委員になったんですか?」
「んー、委員会の中で楽そうだったからかな」
「実際はそうでもなかったけどな」と将隆は笑う。背伸びした風でもなく、綾乃には彼が自然体に見えた。
綾乃と将隆は同じ図書委員だった。
教室では他の男子に囲まれている綾乃が、将隆と話せる時間は委員会の仕事をしている間だけだった。
「松雪はなんで俺のこと下の名前で呼ぶんだよ? いや、他の奴も同じみたいだけどさ」
「それって別におかしくないですよ。仲良くしようと思ったら普通のことですよね?」
「そうでもないと思うぞ。ていうか勘違いする奴もいるし」
「それって、実は将隆くんのことだったりします?」
「違います」
好意や嫌悪に直結しない。だからなのか、将隆相手だと冗談も言い合えた。
それはまるで、友達のようだった。
(将隆くんは私のこと、どう思っていますか?)
そう真っ直ぐ尋ねられたら、と綾乃は思う。
でも、今さらそんなこと聞けやしない。もし友達でもなんでもない、そんな風に言われでもしたらと想像するだけで恐怖心が尋ねることを躊躇わせる。
他人の心が読めるとまで思うようになっていた綾乃。彼女にとって、今はわからないことそのものが怖かった。
そんなわからない将隆のことが、少しだけわかるようになった出来事があった。
「健太郎ってばまた忘れ物したでしょっ。私あれほど言ったのに」
「わ、忘れたものはしょうがないだろ。僕だってわかってるんだから千夏もそんなに言わなくたっていいじゃないか」
「わかってるなら何度も同じことを言わせないようにしてよ」
将隆が一組の男女を見つめていた。
大迫健太郎と杉藤千夏だ。別のクラスなので綾乃は直接の関わりはないが、将隆はあの二人と中学が同じだった。
その二人を見つめる将隆から、好意と嫌悪の感情が滲み出ていた。
(なるほど……。将隆くんは千夏さんが好きなんですね。彼女が幼馴染ばかり構うから嫉妬しているんでしょう)
一目見ただけで将隆の気持ちを看破する綾乃。
(でも、他の男子なら好きな子がいたとしても、私に対して何らかの好意を表すものなんですが……将隆くんからは好意も何も感じ取れませんでした)
千夏と健太郎の幼馴染らしい気安いやり取りを眺めている将隆の目は、綾乃にはなんだか寂しそうに映った。
(……一途、なんでしょうね)
もし将隆が千夏に告白をして振られたとしても、彼なら手のひらを返して責めるような真似はしないだろう。少なくとも綾乃はそう思った。
(将隆くん、がんばってくださいね)
綾乃は初めて他人の恋を応援した。
それは友達としての純粋な気持ちだった。
※ ※ ※
二年生に進級すると、綾乃は将隆と別々のクラスになってしまった。
せめて委員会だけでもと考え、綾乃は去年と同じ図書委員に立候補したのだが、当の将隆が図書委員ではなかった。
少し……いや、かなり残念に思った綾乃だった。
それでも周りは変わらなくて、綾乃は自分を守るために愛想良く振る舞い続けた。
「う、うぅ……っ」
そんな日々を積み重ねるだけだった綾乃に、分岐点が訪れる。
放課後。図書室の隅っこで涙を流す男子がいた。
その日はほとんど利用者がいなかった。図書委員の当番も綾乃一人だけで事足りていた。
「あの、どうされましたか?」
だから自分が声をかけた方がいいだろう。ただそれだけで、この時はまだ綾乃はそこまで深く考えてはいなかった。
「え? ま、松雪さん!?」
綾乃が声をかけたのは、いじめに苦しむ健太郎であった。
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