29.無理解の怒り

 遊園地デートが終わって、千夏ちゃんを家まで送り届けた。

 そして、彼女と別れ際にキスをした。


「舌を入れてしまった……」


 唇を触れ合わせるだけじゃ、なんだか物足りなくて堪らなくなってしまったのだ。気づいたら舌を絡ませていた。


「でも、千夏ちゃんは応えてくれたし……」


 驚いたのは千夏ちゃんが俺の行為を受け入れてくれたことだ。

 未知の感覚だった。キスって、気持ち良いんだなぁ……。

 まだ感触が残っている。今日は良い夢が見られそうだ。踵を返して自宅へ向かう。


「いいから謝れよ!!」


 静かな住宅地に、その大声はよく響いた。

 ただならぬ気配を感じる声だった。自宅に向いていた足が止まる。

 何か大変なことが起こっているような……。そんな不安を掻き立てられた。

 千夏ちゃんの家の方向を見る。そっちから話し声が聞こえる気がした。

 曲がり角から彼女の家の方を見れば、家の前に二人いるのが確認できた。

 一人は千夏ちゃんだ。もう一人は……日が暮れて薄暗いせいで誰か判別できない。

 何を話しているのだろうか。気配を殺しながらゆっくりと近づいてみる。

 近づくにつれて、千夏ちゃんと話をしている人物の顔が露わになっていく。

 あれ……、大迫じゃね?


「だからほら、早く謝れよ! 千夏さえ謝ればすべて上手くいくんだよっ!!」

「やっ!」


 相手が大迫だと確認できた瞬間、奴はあろうことか千夏ちゃんに襲いかかった。

 地面を蹴って一気に距離を縮める。二人の間に割り込みながら、大迫の腕を掴んで止めた。


「オマエ、何してんだ?」


 自分のことながら、こんなにも低い声が出せたのかと少し驚く。

 だけどそんなことはどうだっていい。

 こいつは千夏ちゃんに何をしようとしていた? もしあのまま大迫の手が彼女に触れていたと思うと……、沸々と怒りが込み上げてくる。


「言ったよな大迫……俺の大切な人に手を出したら、──潰すぞって」


 大迫を睨みつける。血走った眼に睨み返された。

 以前のようなおどおどした態度ではない。最近のような傲慢なものとも違っていた。

 確かに言えることは、今の大迫は正常な状態ではないってことくらいだ。


「なんだよ邪魔すんなっ! 放せよ!」


 暴れる大迫。危険だと判断し、後ろ手に捻り上げて押さえつけた。


「ぐぅ……は、放せよ……」


 なおも抵抗を見せる。拘束する力を強めていくと、ようやく大人しくなった。


「千夏ちゃん、ケガはしていないか?」

「う、うん……。わ、私は、大丈夫よ……」


 俺が見てもケガをしている様子はない。それでも、ショックを受けているのか声が震えていた。

 彼女がケガをしなかったことに安堵しながらも、怖がらせてしまったことには歯がゆい怒りを覚える。

 そもそもどうしてこんな状況になっているのか? 大迫も明らかにいつもと様子が違うし、想像がつかなかった。


「できれば何があったのか、説明してもらってもいいかな?」


 口調を柔らかくして千夏ちゃんに尋ねる。また暴れられる可能性があるので手は放せない。本当なら彼女を抱きしめて落ち着かせたいというのに……っ。


「え、えっと……家の前で、健太郎が話しかけてきて──」


 まだショックが抜け切らないだろうに、千夏ちゃんは、さっきまで大迫と何があったのかを話してくれた。

 話を聞いた俺の感想は、マジで大迫に何があったの? である。


「千夏が悪いんだ! だから責任を取ってもらわないといけないんだっ!」


 ……我を忘れた奴がいると、冷静になってくるもんなんだな。

 千夏ちゃんが襲われていたので、怒りを覚えて飛び出した。しかし、大迫のわけわからん言い分を聞いているうちに、カッとなっていた頭が冷えてくる。

 これだけのことをしでかしておいて、その理由はといえば要領を得ない。俺から見ても大迫が突然おかしくなったとしか思えなかった。


「千夏ちゃんの責任って、なんのことだよ?」

「そ、それは……」


 大迫が口ごもる。ここへきて勢いを失ったことに安堵する。

 大迫が言っている、千夏ちゃんの責任とやらには想像がつく。

 少し前まで、大迫はいじめを受けていた。

 自分へのいじめは千夏ちゃんの指示で行われた。なんでいじめた側からの言葉を信じてそんな結論になるのか、思考まで読めないのでわからないけれど、とにかく大迫は千夏ちゃんが諸悪の根源とでも思っているのだろう。

 大迫は俺がこの話を知らないと思っている。

 いじめの件は千夏ちゃんに聞いたし、何より、そのことで大迫が千夏ちゃんを罵倒したところを見ていた。

 彼女が代わりに説明するつもりなのか、口を開こうとする。それを俺は目で押し止めた。

 これは大迫に言わせないと意味がない。


「……い、いじめられていたんだ」


 しばらく黙っていると、大迫が口を開いた。


「ぼ、僕はいじめられて……本当につらくて……。なのにっ、それが千夏の命令だったんだ! だから、だから千夏は僕に責任を取る義務があるんだ!」


 おいおい、いつ「命令」って話になったんだよ……。

 千夏ちゃんが顔を伏せる。この期に及んで自分を信じてくれないのが悲しいのだろう。


「大迫、それは違うぞ。千夏ちゃんはお前のいじめに無関係だ」

「そんな証拠どこにあるんだよ!」


 落ち着いてきたと思ってたのに、また暴れようともがく大迫にげんなりする。


「証拠ならあるぞ」


 だから、さっさと黙らせることにした。


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