もっと一緒にいたかった
小さなこの国には風習がある。十年に一度ほど、神に生贄を捧げる。結界の張られた辺境の城で、生贄は三日間神と波長を合わせたのち、城の頂上から花畑へ身を投げる。城に入れるのは生贄と付き人がひとりだけ。
選ばれるのは大抵魔女と疎まれる魔力の強い少女だった。だからリコはこの風習を言い伝えに乗じた合法の人殺しだと思っていた。城の結界などというものはなく、行けばどうにかして逃げられる方法があるだろうと信じていた。
けれど城の結界は本物で、入ったら赤い光の壁に阻まれて出ることができなかった。おまけに入ったときから『何か』とつながって、魔力を吸い取られていく感覚があった。
神は本当にいるのか、それともとがめられることなく人を殺せるように作った呪いなのか、どちらなのかは分からない。
生贄になるのを拒めば神への冒涜として殺される。城での三日間ののち、生贄が生きていても確認に来た者たちに神への冒涜として殺される。その場合は付き人も同罪で殺される。生贄に選ばれた時点で、どうあがいても死が確定している。
城での三日間は身勝手な温情なのかもしれない。神に捧げる三つさえ守れば何をしてもいい。だから何を持ちこんでもいいし、誰を付き人に選んでもいいし、最後のわがままも通る。
リコは裕福な家の三女として生まれた。珍しい薄桃色の髪、瞳は深い青に緑、紫が混じっていて、魔法のように角度で色が変わる。皆が火を灯す程度の魔法しか使えないなか、リコは人の命を奪えるほどの魔力を持っていた。その見た目と相まって、物心ついたときには魔女と腫れ物扱いされていた。
キトエが護衛としてやって来たのは十一歳のときだった。
「ここに来る前は何をしてたの?」
「騎士団にいました」
「じゃあ剣が強いの? わたしに教えて! 見つかったら怒られるから、内緒で」
「お嬢様が怒られることをするわけにはいきません」
リコは頬を膨らませる。
そうして、むくれた顔を解いて、吸い寄せられるようにキトエの瞳を見つめた。
「すごい。黄緑にいろんな色が見える。髪が空で、春に一斉に咲いた花みたい。とっても綺麗」
キトエは面食らったように固まっていたが、この国では珍しい髪と瞳をもつ者として、リコは初めて仲間を見つけたように心が震えた。
キトエもまたその容姿から迫害され、騎士団から流れ流れてリコの家に来たのだと聞いた。疎まれ者同士、リコはキトエを大切に思い、キトエは雇い主の父ではなくリコを主として、行きすぎた忠誠を誓うほど感謝してくれた。
キトエは名目上、リコの護衛だったが、実際は監視役だったのだろう。リコが人に害をなそうとしたとき、その身を犠牲にしてでも止めるようつけられた、監視。
そんな関係でも、リコは嬉しくてキトエとたくさん話をした。
「キトエ、ふたりきりのときは敬語をやめてくれない?」
「主にそんな口の利き方はできません」
「その主の命令なんだけど?」
キトエはものすごく渋い顔になった。
「分かり、ました」
「『分かった』でしょ?」
「その……わ、分かった」
キトエらしい答えに、思わず笑ってしまった。
リコはキトエが好きだ。けれどリコはいずれどこかの家へ嫁がされる。キトエに好意を告げても意味はない。
そうして十五歳の春、生贄に選ばれた。
『恋人としてすごしてほしい』と言われて、キトエはさぞかし驚いただろう。親しくしていたとはいえ、一定の距離を保ってきた主がいきなりそんなことを言い出したのだから。
言い伝えは迷信だと思っていた。逃げられると思っていた。死の確定した、ふたりきりの場所で、恋人としてすごしたかった。
けれど、キトエにとって、リコはどこまでいっても、主だ。
リコは寝室の窓際に座って空を仰いでいた。見事な満月の光が部屋の中まで降り注いでいる。
明日、月がふたつに割れる。昼間、リコを仰いだキトエの、驚きに満ちた泣きそうな顔を思い出す。抗えない感情がこみ上げてきて、腕をきつくつかんだ。
悲しい。怖い。時間は平等にすぎ去っていく。止めることはできない。何も浮かんでこない。怖い。死にたくない。選ばれたくなかった。選ばれない未来があったなら。意味のないことを考える。逃げられない感情がただ迫ってきて飽和して、朽ち果てる。そうしてまた叫び出しそうな感情が蘇っていっぱいになって、疲弊した心が壊れる前に感情が朽ちる。繰り返す。
死が確定した明日なら、最後にひとつ、キトエに言いたいことがあった。命令しても、絶対に従わないと分かっている。だからこそ、拒絶されて、ひとつの希望も残さず絶望して、恐怖が絶望に覆い隠されたなら生贄の末路をたどろう。
いつか必ず別れが来るとしても、主と騎士のままで変わりない日々を送れるだけでよかったのに。それ以上は望んでいなかったのに。
キトエと、もっと一緒にいたかった。
キトエの前では決して見せないようにしてきた涙があふれ出して、こみ上げてきた声をかみ殺した。
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