三日目

勝ったら今度こそ命令を聞いて

 三日目




 鏡に、ヒョウの絵画が映っている。


 透けたリコの姿を通して、リコよりも濃く、はっきりと。


 これでは支度がしづらい、と見当違いのことを思いながら、リコは寝室のドレッサーを見つめた。


 城に入ってから三日目の朝、今日の夜に生贄は城の頂上から花畑へ身を投げなくてはならない。恐怖は、前日までのほうが強い。今からやるべきことが決まっているからだろうか。それとも朝で感情が鈍っているだけだろうか。


 何となく身だしなみを整えて廊下に出ると、今日もキトエが待っていた。雨のなか歩き続けて、ようやく人里の明かりを見つけた旅人のように、キトエが泣きそうに微笑む。


「おはよう」


「おはよう」


 キトエもいつもどおり、リコもいつもどおり、主と騎士だ。


 昨日、一緒に作りたいと約束していたので、食堂に移動してふたりで朝食を作った。リコも卵を炒ってみたが、昨日のキトエと同じくぼそぼそになってしまった。対するキトエはこつをつかんだのか、今日の炒り卵は水分が残ってふんわりしていた。このまま料理を練習すれば意外とうまくなるのかもしれない、と思って、明日のない恐怖が高波のように覆いかぶさってきて、心を止めて押しこめた。


 キトエの作ってくれた炒り卵に、少しだけ口をつけた。キトエはリコの作ったぼそぼその炒り卵を全部食べてくれた。ほとんど言葉を交わせなかった。


「キトエ。行きたいところがあるの」


 朝食を終えて、リコは城の階段を上った。キトエの足音がついてくる。光とともに視界がひらける。


 濃紺に金の草花が織られたじゅうたん、精緻な幾何学模様のタイルが壁全面に隙間なく埋めこまれ、高く高くドームになった天井は、赤、緑、青、黄と濃く鮮やかなステンドグラスが、タイルと同じように細やかな幾何学模様を描いていた。


 一日目に城内探検で訪れた礼拝堂だ。本当は毎日祈りを捧げに来るのがこの国の民の務めなのだが、リコは神様が嫌いだったので、あえて戒を破った。ここにはとがめる者もいない。もしいるとすれば、神自身だろう。


 礼拝堂に足を踏み入れる。ステンドグラスの真下、仰いだ鮮やかすぎる光に目を細める。空間が大きすぎるのか、吸いこまれたように何も聞こえない。


 距離を取って佇んでいたキトエを、振り返る。


「キトエ。お願いじゃなくて、命令。わたしが勝ったら今度こそ命令を聞いて」


 キトエが張りつめた表情にわずかに困惑をにじませる。


「本気でやるから。本気出さないと、死ぬよ」


 意識を活性化させる。右手に枝葉のように赤い紋様が現れる。透ける袖の下の右腕へ、肩へ、左腕へ、脚へ、首筋へ、頬へ、広がっていく。


 キトエが声を発する前に踏みこんだ。右手の魔力を撃つ。目を見開いたキトエがとっさに腰の剣を振り抜いたのを見た。弾かれた魔力が美しいタイルの壁を砕いてえぐり取る。


 音と爆風をこらえて、剣を構えたキトエに勢いを落とさず右手の魔力をふるった。キトエの表情は驚愕のまま、魔力が剣で弾かれて風圧と爆音が続く。


 城の呪いに魔力を吸い取られているから、もうふだんの半分以下しか力が使えない。それでも魔女と疎まれた力はキトエを手負いに追いこむのには充分だ。


 殴り合いのようにキトエの目の前で魔力を撃ち出す。後退しながらキトエはぎりぎりのところで剣で弾く。一瞬遅れれば当たる。そのくらいキトエのほうが紙一重なのに、リコに当たらないように弾いている。


 自分の魔力でも当たれば傷を負う。リコに当たるよう弾くべきなのに、本気を出さないと死ぬと忠告したのに、キトエはリコをかばっている。


「ねえ本当に死ぬから!」


 右手を引いてほんの一瞬だけためを延ばす。


「レギオン」


 名もない魔力ではなく、青白い火花の塊がキトエの剣へぶつかって高い音を響かせる。魔力レギオンがはぜる音と剣とこすれ合う音が耳障りに続いて、キトエは後ろへ飛ばされた。爆発と爆風にリコは顔をかばう。


 薄い煙の向こうで、壊れた壁に埋まるようにキトエが顔を歪めていた。下がっていた剣を構え直す。苦しそうに、けれど痛みだけではない感情が混じっている。


「レギオン」


 容赦なくもう一度青白い火花を放つ。走りこんできたキトエが火花を、斬った。裂かれた火花はそれぞれ爆発する。


 風を利用してリコは飛び上がる。キトエの頭上を越えて、頭から地面へ。キトエの後ろ姿を上下逆さまに捉えて、息を吸う。


「パンレイト」


 右手からいくつもの氷のとげが飛ぶ。振り返ったキトエが剣で斬るが、すり抜けたものが腕や脚に深く突き刺さる。元は純白だった薄灰色にくすんだ服に赤色が生まれて、キトエの顔がはっきりと痛みにとらわれる。


 リコは体を魔力で浮かせて、前転するように着地した。振り向きざまに見たキトエの体から、氷のとげが霧散する。そのままキトエに飛びこんで右手を突き出す。


「パンレイト」


 近距離で放たれる氷のとげをキトエはぎりぎりで斬り落としていく。けれど斬れなかった数本が脚に、肩に刺さる。赤を広げていく。ここまできても、キトエは魔法を弾いてこない。リコに攻撃してこない。


 魔力を取られているせいで体が重い。けれどこのままなら、絶対にキトエのほうが先に倒れる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る