キスして

「じゃあ三回目」


 カードを切って中央に置く。一枚ずつ取って額にあてる。


 キトエのカードはクラブの五。ようやく勝てそうな数字が出てきたが、交換されたらどうなるか分からないので、キトエの表情を観察してみた。リコの額のカードに見入っているようだったが、目が合うとまた気恥ずかしそうにそらされた。まだ引きずっているのだろうか。


「カード、交換する」


 キトエが裏向きにしてカードを捨てた。


「え、交換するの?」


 キトエが一枚引いて新たに掲げたカードは、ダイヤのクイーン。また強いカードだ、とげんなりしてしまわないように顔を引きしめる。神様はリコのことが嫌いで、キトエのことがよっぽど好きらしい。


 キトエが今までと違う行動を取ったということは、リコのカードが強いのだろうか。けれどキトエがクイーンを出したから、分からなくなった。リコのカードが強かったのだとしても、クイーンより強いかどうか。


「わたしのカードが強かったから変えたの?」


 キトエを見つめると、目をそらされた。図星なのか、恥ずかしいのか、さっきの一件で分からなくなってしまった。何となく図星でそらしている気もするが、顔に出やすいキトエなのに、ここまで読めないとは思わなかった。


 変えるか、変えないか。


 やらないで後悔するより、やって後悔するほうがいい。


「変える」


 カードを捨てた。山から引く。


「勝負」


 キトエが額のカードを中央へ置くのと同時に、カードを表へ返した。


 キトエのカードはダイヤのクイーン。リコのカードは、スペードのエース。息をのむ。


「勝ち!」


 思わず円卓から立ち上がっていた。捨ててあったカードもひらく。キトエはクラブの五、リコはクラブのクイーン。カードを交換していなければクイーン同士だった。たしかマークにも強さがあって、円卓の端に置いていたカードゲームの本をひらくと、強いほうからスペード、ハート、ダイヤ、クラブの順だった。


 キトエはダイヤのクイーン、リコはクラブのクイーンだったから、交換しなければ負けていた。


「やっと勝てた! じゃあお願い」


 リコはキトエの隣へ歩いていって、両手を広げた。


「ぎゅってして」


 リコを仰いだキトエは、目を見開いて、あからさまに視線をさまよわせる。


「主にそんなこと」


「できるわけない。でしょ? 毎回同じなんだから。別に親愛表現なんだから普通でしょ?」


「主と従者は同格じゃないんだから、親愛表現でもそんなことしないだろ」


 動揺しているキトエが可愛くて、思わず笑ってしまう。こうやってキトエと言い合っているときが一番幸せなのかもしれないと、思った。


「そう言われると思ってたから、もうひとつ考えてたんだ」


 そうして穏やかに、真剣に、微笑んだ。


「キスして」


 ふざけているわけではないと伝わったのか、キトエはリコを仰いで信じられないものを見るような目をしていた。


「今朝ね、鏡を見たら透けてたの。魔力を取られて、段々この世界のものじゃなくなってるんだと思う。鏡に映らないって、吸血鬼みたいだよね」


 思わず笑ってしまった。


 三つ取られると向こうへ行ってしまう。そのうちのひとつが魔力だ。昨日、城に入った瞬間から魔力を取られているから、体が重い。


「だから、最後の思い出でいいから、キトエがわたしを好きじゃなくてもいいから、恋人のふりでいいから……キス、して」


 命を盾にするやり方は、卑怯だ。けれどキトエは命令しても全然恋人同士のように振るまってくれない。


 少しだけ、期待していたのだ。恋人としてすごしてほしいと言ったら、キトエは恥ずかしそうに『リコのことが好きだった』と打ちあけてくれるのではないのかと。それはリコのうぬぼれだった。キトエはリコの騎士として、従者として、変わらなかった。想いが通じ合わないと分かったから、冗談のように迫ることしかできなかった。


 だから、命を盾にしたとしてもきっと断られるだろうから、傷付かないように微笑んでいることしかできない。


 キトエの瞳が、苦しげに細まる。断るのになぜそんな顔をするのだろうと思ったら、キトエが円卓から立ち上がった。


 キトエを仰ぐ。苦しそうに見つめられて、微笑めなくなる。わずかな空気の動きに、身構える。


 キトエは、ひざまずいた。ベルトの背中から長い純白の飾り布が、赤緑のつる草模様のじゅうたんへ広がる。上着のふたつの金ボタンをつなぐ鎖が、かすかな音をたてる。キトエは顔を伏せたまま、リコの右手を取って顔を近付ける。


 唇が、手の甲に触れた。


 キトエが手を離す。顔を上げないまま、ひざまずいている。


 手の甲へのキスは、通常唇を触れさせない。今までキトエにされたときも、唇が触れたことはない。だから、これがキトエとしての最大限なのだろう。騎士としての、主に対する精いっぱい。


「あり、がとう」


 絞り出すと、キトエは顔を上げた。なぜか驚いたような、泣きそうな顔をしていた。なぜキトエがそんな顔をするのか、泣きそうな顔をしたいのはこちらのほうなのにと思いながら、リコは微笑んだ。


 多分、キトエからは不出来な、泣きそうな微笑みに見えていた。

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