第13話 近藤徹の後悔


「横断歩道を渡ろうとした女の子を引きずり倒したらしいわ……」

 ―─違う。

「怖いわね。何がしたかったのか……気味が悪い」

 ―─信号無視で車が突っ込んできたから、引き留めようとしただけだ。

「うちの子と同じ制服だわ。目をつけられないように言っておかなくちゃ……」


 徹は道路でうずくまり泣き叫ぶ少女を前に呆然としていた。


 大柄な体格と目つきの悪さで、中学生の頃には周囲から浮いていた。

 一時期は不良と噂される集団に属していたこともある。

 喧嘩も日常茶飯事で、母親に何度も頭を下げさせていた。そのせいもあり、いまだに母に負い目を感じている。


 そんなある日、クラスメイトの財布が盗まれた。体育の時間帯であり、徹は運悪く授業をさぼっており、犯人と噂されるのは時間の問題だった。

 案の定、教師に問い詰められるも、やっていないものはやっていない。しかし教師は暗に徹の仕業と決めつけているようで、誘導尋問に近い聞き取りを行った。

 当時の徹はすべてにおいて投げやりだった。周囲に溶け込もうと努力しても、畏れられるばかりなのだから、諦めたくもなる。


 学校から呼び出しを受け、母は必死に耐えつづけていたが、父は目を逸らさずじっと教師の言い分を聞いていた。

 父は現役の警察官であり、さぞや息子の態度に呆れかえっているだろうと徹は決めつけていたのだが。


「私は息子がやったとは思えないのです」

 教師の説明を聞き終えた父は、はっきりと言い切った。

 徹は自分の耳を疑う。

 仕事で家を空けていることの多い父とはこの数年、会話らしい会話をしていない。仕事人間で息子たちに興味がないと思っていた父の態度に混乱した。


「しかし状況は息子さんに不利なモノが多くてですね……」

「証拠はあるのですか」


 息子に疑われる隙があったことは認めますが、と前置きし、父は教師を理詰めで追い込んでいく。

 降参した教師に解放された帰り道、前を歩く父の背を見つめることしか、できなかった。


 後日、財布を盗まれたと騒いでいた生徒の自作自演であったことが発覚した。

 過去に不良グループの数人が彼から金を脅し取っていたのだ。徹はその場にいなかったが、被害者にとっては徹も同罪だったのだろう。


 事の顛末てんまつを父に伝えると「そうか」と一言。

 相変わらず父とすれ違う生活をしていた徹は素直になりきれず、不良仲間とつるむこともやめなかった。

 他人からは畏れられ、社会から爪弾きにされるループから抜け出せない。

 夜の街を当てもなくさ迷い、喧嘩を吹っかけられれば、乱闘を繰り返す。


 そんな折、ヤクザの予備軍と悪名高いグループに因縁をつけられ、大規模な暴力沙汰に発展した。警察も巻き込んだ騒ぎの中、徹は不意打ちをくらい、地面に倒れ込む。

 朦朧とした視界の端に、鈍器を振り上げた相手が映り込んだ。


 今にもとどめを刺されようとしたその時。

 誰かが覆いかぶさってくるのを最後に、意識を失う。


 目を覚ますと、父が亡くなったと聞かされた。暴動を鎮圧する警官隊のなかに父がいたのだ。

 徹を見つけると、一目散に駆けつけ庇ったのだという。そして、打ち所が悪く、脳出血で帰らぬ人となった。

 気丈な母は徹に隠れて涙を流し、悲しみに暮れていた。だか、家族の誰も徹を責めなかった。

 遅ればせながら家族に大事にされていることを思い知らされる。

 父を殺したも同然だと自分をなじり倒したが、それは自己満足なのだとさらに嫌悪感は増すばかりだった。


 父の四十九日を終えたばかりの頃。普段は温厚な長兄、かけるは己を責めるばかりで沈む徹の頬を平手打ちした。


「い、いい加減にしろ……っ。後悔しているのはお前だけじゃないんだぞ!」


 徹よりも一回り小柄な長兄は、自分を怖がっているとばかり思っていた。いまも足を震わせ、視線を泳がせている。そんな兄を無感動に見下ろす。

 怯んだのは一瞬で、意を決したように兄は徹と視線をあわせた。


「お前のこと、母さんに任せっぱなしにしてた俺も同罪だ。これからは、父さんの代わりに喧嘩してでもお前をとめるぞ」

 慣れない風に拳をかためる彼に、徹は無意識に尋ねていた。

「……なんでそこまでするんだ」

 数年ぶりにまともに会話した弟に驚きながらも、翔は「そんなの、家族だからに決まってるだろ」と答える。


 家族だから。 


 それが理由で勝てそうもない相手を止めようとするのか。

 徹は喧嘩相手の力量を推し量り、敵わないと分かれば、逃げるなり、姑息な手段を使うこともいとわない。確実に負ける相手に立ち向かうことが理解できなかった。


 彼を殴ってここから立ち去ることは容易だが、腕は動かなかった。

「俺に勝てる自信があるのか……?」

「あるわけないだろ。でも、ここで向き合っとかないと俺が後悔するんだ」


 もう嫌なんだとつぶやく彼に、ああ、兄も俺と同じ後悔をしているのだな、と安堵する。地面に水が染みこむように孤独が満たされた。

 この時初めて徹は信頼してくれている人を裏切ってはいけないのだと、理解した。

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