第14話 番犬くん、タガが外れる

 指定された住所には、超高層ビルがそびえ立っていた。オフィス街のなかでもひときわ高い建造物に、徹は尻込みする。


 ――本当にここに瑠璃子はいるのか。


 表玄関でうろうろしていると、警備員に不審な眼差しを向けられる。このままでは門前払いは目に見えていた。

 そうこうするうちに、自動ドアが開き、眼鏡をかけたスーツ姿の男が、徹に近付いてきた。


「近藤様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 完璧な身のこなしで一礼すると男は、徹を内部へとうながす。

 警戒しながら男の後に続き、天井の高いロビーを横切り、エレベータへと押し込まれた。

 無限に感じる時間が過ぎ、チンと軽やかな音をたてて、床へ引き戻される。扉が開くと、正面には巨大な窓ガラス。

 そして手前には。


「神谷さん!」


 ゆうに五人は座れるほどのソファに、瑠璃子は浅く腰掛けていた。

「……っ、近藤さん」

 瑠璃子はバツが悪そうに表情を曇らせる。その周囲には胡乱な気配を漂わせた男が数人、室内に散らばっていた。皆、スーツをまとっているが、シャツの襟元ははだけ、パンツの裾は雑に捲り上げられている。

 明らかにカタギの人間ではない。


「ほら、彼はきっと来るっていっただろう。賭けは僕の勝ちだね」

 瑠璃子の対面には、優雅に脚を組む雪彦の姿があった。


「とりあえず、座って話そう」


 雪彦に瑠璃子の隣を示されるも、扉のそばから離れるのは、ためらわれた。

 雪彦の真意が見えないかぎり、近づくのは得策ではない。そんな緊張が伝わったのか、雪彦は「じゃあ、早速本題に入ろう」と言葉を紡ぐ。


「瑠璃子と別れてほしいんだ。……ああ、偽装だったのは知っているよ。でも、好きになっちゃったんだよね、瑠璃子のことが」

 沈黙で応じるが、雪彦は構わず続ける。

「まあ、君の気持ちはどうでもいい。瑠璃子の前から消えてくれ。彼女が未練を残すのは具合が悪いからね」

「……神谷さんが、俺を好きなわけないですよ」

「だそうだ。瑠璃子」


 立ち上がろうとした瑠璃子は、かくんと前のめりになった。ソファの足元から伸びる鎖が、彼女の足首に繋がっている。


「急に立ち上がったら危ないよ。……君は全く自分の立場を理解していないね」

 瑠璃子の背後に回り込み、栗色の髪を愛おしそうに撫でる雪彦の表情は、恍惚としていた。

 徹は反射的に飛び出すも、部屋に待機していた男のひとりに背後から動きを封じられる。もうひとりは徹を警戒するように横に張り付いた。


「ここは僕の個人的なオフィスなんだ。暴れるのは得策ではないよ」

「……あなたは神谷さんのことが好きなんですよね?」

 拘束に甘んじる徹にむけて、雪彦はもちろんと頷く。


「小さい頃から彼女を見守ってきたんだ。天使のように愛らしくて、将来は僕と結婚してくれると約束してくれた……今でも鮮明に思い出せるよ」

「……小学生のときの話でしょう?何年前の話をしているの?」

「それが急にそっけなくなって、あげくに恋人ができたから婚約破棄してくれと告げられた、僕の気持ちがわかるかい?」

「いっ!」


 愛撫していた指で髪を乱暴に引っぱり、瑠璃子の顎を上向かせる。

「そんなに、僕と結婚するのが、嫌なのか?どこが気に入らない。欠点があれば直す努力をするよ。そうすれば僕を選んでくれるかな?そこの男よりは数倍はいい男だと自負しているんだけどね」

「そういう、自分勝手な、人の話を聞かないところが嫌なのっ」


 もがく瑠璃子を面白がるように、雪彦はくつくつと嗤う。

「まるで、自分を見ているみたいでかい?同族嫌悪だったのか。そうかそうか」


 瑠璃子の瞳に浮かんだ涙は、徹のなかの凶暴な獣を弾けさせた。

 グッと前のめりになり、勢いよく後頭部を背後の男にめがけてぶつける。ごきりと骨がぶつかる音と同時に、かたわらの男の腹に拳をめり込ませた。

「ぐうぅ……」

 うめき声を残し、男は床にくずおれる。


 室内の空気がピンと張り詰めた。


 何が起こったか分からず目を見開く雪彦にむかって、

「……あんたなあ」

 腹の底から声をしぼりだす。


「俺が言えたことじゃねえけどさ、神谷さんの話、最後まで聞けよ」

 悪人面をフル活用して凄めば、周囲の男達が、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。


「僕は瑠璃子が、それこそ赤ん坊のころから知っているんだ。彼女のことは僕が一番……」

「判るってか。あんた、傲慢すぎんだろ」


 歯をむき出せば、雪彦はひっと怯える。

 ガラの悪い人間を雇っている割には暴力への耐性がないのか、瑠璃子の背後に張り付いて離れない。

 探偵を雇うのに気後れするくらい、雪彦は慎重な男だ。誘拐なんて、完全に悪者認定されてしまう状況は作らないと仮定すれば。


 瑠璃子が雪彦に会いにきたのだ。


 後ろめたい気持ちがあって、相談もなく一人で行動したのだろうか。

 瑠璃子は泣くのを堪えているように、唇をぎゅっと結んでいる。


 その表情は、まるで親に裏切られた子どものようで。


「神谷さんは、あんたのこと嫌ってないと思うよ。……ここに来たのだってちゃんと話し合いたかったからじゃないのか」

「う、煩い!ほんの少し瑠璃子のいいなりになってただけのやつが知った口聞くな!お前に、何十年も瑠璃子を想い続けた僕の気持ちがわかってたまるか!」

「神谷さんに一途だったんですか?その間、誰も好きにならなかった?」


 徹の詰問に喉を詰まらせる雪彦。

 大方、会社を継ぐ際に、瑠璃子の実家を吸収しておけば、将来の投資になると計画していたのだろう。

 しかし、思うように彼女の同意は得られなかった。それは彼にとって数少ない挫折になったはず。


「……あんた、神谷さんに振られた事実が許せなかっただけじゃないのか?」

「な、なんだと!」

 憤慨する雪彦と対照的に、徹は頭が冷えていく。

「好きな子に手をあげる男は格好悪いぞ」

「お前、やっぱり瑠璃子のこと」

「あんたが神谷さんを幸せにできるなら諦めるつもりだったけど、遠慮する理由がなくなった」

 視界の端には目を丸くする瑠璃子がうつったが、話はあとだ。

 まず、ここから無事に逃げることを考えなくてはならない。


 徹の挑発に「お、お前ら!こいつを黙らせろ!」と雪彦は叫ぶ。

 男たちは徹を取り囲んだ。残りは三人。正面と左右に一人ずつ。無傷では済まないだろうが、勝算はあるな、と冷静に徹は計算していた。

 あくまで手を出してくるまで、粘るつもりだったが、予想に反して男たちの行動は早かった。 


 左右の二人が同時に突っ込んでくるのを屈んでよける。ぐっと膝を溜めて勢いよく右側に跳ね、タックルの要領で、男を下から掬いあげた。

 仰向けに倒れた男に馬乗りになり、素早く顎下に拳を叩きつける。さすがに相手も頑強で一度では落ちない。

 腹にパンチを喰らい、苦戦していると、背後に迫った男が徹に覆いかぶさり、押しつぶそうとしてくる。


「調子に、乗るなよっ」

 優位を取れたとばかりに嬉々とする背後の男だが、その顔からは余裕がなくなっていく。徹は男の重さを物ともせず立ち上がると、背後の壁に向かって勢いよく倒れ込んだ。壁と自身で男を挟み込むと、何度も壁に突進し続ける。


 三度目の激突に首を絞める男の腕は緩み、ずるりと床に這いつくばった。

 最初にタックルをくらわせた男が起き上がろうとするも、その顔面を踏みつけ、再起不能にした。


 残った男に視線を向けると、「やるなあ」と楽しそうに唇をゆがめる。その手にはナイフが握られている。


「なあ、ウチにこないか?もっと派手に暴れられるぜ」

「……喧嘩は苦手なんだ」肩で息を整えながら答えると、「よく言うぜ」と男は機嫌よく応じた。

「じゃあ、怪我しても文句は言えねえよな」

 ナイフを弄びながら間合いを詰めてくる男の動きを目で追う。


「刃物なんか使うな!殺しちゃったらどうするつもりだ!」

 雪彦は腰を抜かし、ソファの背にしがみついていた。

 男は煩わしそうに舌打ちする。

「うるせえな。女から手を引かせればいいんだろ? こういうのは痛めつけるのが一番効果的なんだよ。……まあ、こいつが死んだら、パパに泣きついて、もみ消してもらえ」


 言い終らぬうちに、男は徹めがけてナイフを振りぬく。

 反射的によけると、横腹に衝撃が走った。先の二人より重い拳に身を折り曲げていると、脳天に打撃が加わる。


「ナイフに意識向けすぎだな」


 ガンガン鳴り響く頭痛に意識がとぎれそうになりながら、離れていく男の足首を掴む。力が入らず、男は簡単に徹の手を振りほどいた。


「雪彦、あんた最低!」

「う、うるさい!僕のせいじゃない。あいつが勝手に……」


 男は瑠璃子に近付くと、その横に腰かけ、値踏みするように全身を視線でなめまわす。

「……部下が使い物にならなくなったんだけど、小森さんよ、どうしてくれるんだあ?」

「き、汚い手で瑠璃子に触るな」

 雪彦は瑠璃子に手を伸ばす男を遮ろうとしたが、逆に手首を握り込まれ「ぎゃあっ」と悲鳴をあげた。

「柔らかいなあ……」

 瑠璃子の太腿を撫でながら、男は感嘆の声を漏らす。逃げようにも瑠璃子は足枷で身動きがとれない。びくびくと身を震わす彼女に興奮したのか、男の手がスカートのなかに潜り込もうとして。


「ひゅっ」


 男の首に腕をまわし、徹は背後から締め上げた。

「神谷さんに、触るな……」

 頭部の傷から血が額に流れ、視界が濁る。男はもがいて徹を振り払うと、顔面を斬り裂いた。


「近藤さんっ!」

 攻撃されれば迎撃する。

 打てば響くように男の顔面を殴りつけると、徹から反撃を喰らうとは思っていなかったのか、驚愕の表情で男は身体を痙攣させ、床にくずおれた。よだれを垂らし、失神した男を前に、徹はその場にへたり込んだ。


 最後の力を振り絞って雪彦に近付くと「鍵を……」と促す。

 ガタガタ震える彼から小さな鍵を受け取ると、瑠璃子の足元にうずくまった。


 視界がぶれて鍵穴に鍵が入らない。

「……貸して」

 瑠璃子に鍵を渡すと、かちゃりと軽やかな音が響く。


「近藤さん」

「触ると、汚れるから」


 やんわりと瑠璃子の手を押しのけるも、構わず彼女は徹の傷にハンカチをあて拭い始めた。

「きゅ、救急車呼ばなきゃ、それとも警察、どっちだろ」

 おろおろする彼女に、徹は安心して相好を崩した。

「笑ってる場合じゃないよ。早く手当てしなくちゃ」

「丈夫が取り柄だ……」

「そういう問題じゃないっ!」


 涙を浮かべ、鼻をすすっている彼女はなんだか可愛い。口にすれば瑠璃子を怒らせるだけなので、胸の内に留め、徹はスマホを取り出した。しかし、加減なく暴れまくったせいで、画面はひび割れ反応しなくなっていた。

「雪彦、スマホ返してよ」

 呆然自失の男の懐をまさぐり、瑠璃子は救助を呼ぼうとする。


「神谷さん、あの……」


 徹は暗記している番号を瑠璃子に伝えた。

「警察に電話しなくていいの?」と首をかしげる彼女に、「ああ……」とだけ返事をして徹は目をつぶった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る