第12話 番犬くん、過去を振り返る

 瑠璃子と気まずくなり、連絡を取らなくなって、一か月が過ぎた。

 秋も深まり、空気にも冬の気配が紛れ込んでいる。

 内定式を終えた徹は、入社するまでに少しでも稼ごうと日雇いのバイトを探すも、面接で落ち続け、自信をなくしていた。


 ますます内定を蹴ることはできない。


 雪彦と関わり合いになりたくはなかったが、背に腹は変えられない。

 瑠璃子と決別してしまったからには早急に働く必要がある。


 ――金の工面のことばかり考えて、瑠璃子を責める立場じゃないって。


 彼女への想いが消えたわけではないが、仕事への不安や、金銭のやりくりに思考を割いている間は無心でいることができる。

 時が経てばすべて笑い話に消化できるはずだ。

 ところが、必死に忘れようとしているときほど、厄介ごとは追いかけてくる。


『近藤君?瑠璃子と昨日から連絡が取れないの、貴方何か知ってる?』


 瑠璃子の母親から連絡が入ったのは、そんな鬱々とした日々を紛らわそうと街を彷徨っていたときだった。


「いえ……」

『時々、家出しちゃうことはあったんだけど、携帯は繋がるようにしておくのがルールだったから、安心してたのよ。……でも、電源が入っていないみたいで』


 瑠璃子の父親と警察に捜索願を出そうかと相談していたところ、徹の存在を思い出し、彼に聞いてからにしようと話がまとまったのだという。


「俺……、僕に連絡されるよりも、すぐに警察に届けるべきです」

『……っ、そうよね、ありがとう。瑠璃子から連絡が入ったら、教えてくれる?お願いね』


 気が動転しているのだろう、早口にまくくし立てた後、彼女はぷつりと通話を切った。


 瑠璃子がいなくなった。


 事件に巻き込まれたのか。

 すぐさま思い浮かんだのが、誘拐である。

 資産家の令嬢で整った容姿の娘だ。誘拐される要素は十二分に備えている。しかし両親は身代金を要求されているわけではない。


 自分からいなくなった。


 ふと見やったショーウィンドウに映る強面は、思い悩むように眉間に皺をよせていた。

 躊躇したのは一瞬で、徹は再びスマホを取り出し、瑠璃子の番号を呼び出そうとする。


 その時。


 見慣れた番号が画面に表示された。鳴り続ける着信音に胸騒ぎがして、あわてて画面をスライドする。


「神谷さん!どこにいるんですか?ご両親が心配されて……」

『やあ、近藤君、久しぶりだね』


 心地よく耳朶じだを震わす声色に、徹は固まった。

 聞き覚えのあるテノールに、なぜ、と、やっぱりという相反する感情が交錯する。


「小森さん、ですか?」

『覚えていてくれて嬉しいよ』

「あの……」

『なぜ瑠璃子のスマホから掛けてきたかって?もちろん、彼女と一緒にいるからだよ。……君に話があるんだ。今から教える住所に来てくれないかい?』


 徹に用があるのなら、直接呼び出せばいいものを、なぜ瑠璃子を使っておびき出すような真似をするのか。そもそも彼が徹に話すことなど何も思いつかない。

『もし断るなら……、わかるだろう?』

 その一言に、脳内に渦巻いていたあれこれは消し飛んだ。


「……いい大人が何を考えているんですか」

『手放したくないからこそ足掻くんだよ。そこに大人も子供も関係ない。君こそ、保身ばかり考えていると、大切なものを取りこぼしてしまうよ』


 言い返す前に、通話は切られた。暗転した画面を睨み付けていると、メールが届き、開くと位置情報が表示された。

 何がどうなっているのか、考える暇はなく、徹は正確な位置を検索しながら、目的地に向かって走り出した。


 喧嘩別れのまま終わりたくない。

 瑠璃子とこのまま会えなくなるかもしれないと思うと、焦りは募り赤信号で舌打ちしてしまう。

 父親との別れのようには終わりたくない。

 胸の奥底に押し込めていた記憶があふれ出してくるのを、徹は止められなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る