第11話 番犬くん、お嬢様の婚約者に打ちのめされる

 品の良い三つ揃いスーツ姿の青年が歩み寄ってくる。


「雪彦さん……」


 顔をしかめた瑠璃子に「そんなあからさまに嫌がらないでください」と小森組の御曹司、小森雪彦は髪を掻きあげた。

 夏祭りで見かけた時とは雰囲気が異なっている。

 物腰が柔らかい見た目に反して、容易には引き下がりそうもない強靭さが、彼からは漂っていた。


「どうしてここに?」

 対して瑠璃子は余裕がなさそうに、声をうわずらせている。

 そんな彼女に、雪彦はにこりと微笑みかけた。

「近くの現場を視察する合間に休憩をね。……ここのランチは絶品なんだ」


 彼の背後から会社関係者と思しきビジネスマンが二、三人、こちらを窺っている。

「では、早く戻られた方がいいのでは?」冷たく言い放つ瑠璃子に、「つれないなあ……」と雪彦は苦笑した。


 瑠璃子に相手をしてもらえず、雪彦は徹にターゲットを絞ったようだ。


「はじめまして。瑠璃子の 『彼氏』 サン?名前は、ええと……」

 わざとらしく考え込む彼に「近藤徹です」とそつなく返事をする。


「ああ、近藤君だったね、そういえば就職内定、おめでとう」

「え?」

「おや、人違いだったかな」


 微笑む表情は変わらないが、目元がスッと細められ、まるで実験動物を観察する様子に、背筋が寒くなる。瑠璃子にも先ほど報告したばかりなのに、なぜこの男は知っているのか。

 徹の困惑顔に満足したのか、彼は種明かしをする。


「……君が内定をもらえた会社はね、僕が近々、役員に就任する会社なんだ。小森グループ傘下でも末端だから、関連会社だとは気づかなかったんだね」


 今後ともよろしく、と握手を求められるも、徹は硬直してしまった。瑠璃子は、キッと雪彦を睨み付ける。


「相変わらず、こそこそ嗅ぎまわるのが好きなのね……」

「何のことかな。彼氏が無事、就職先を決められてよかったじゃないか」

「……まさか、選考に口出ししたりしてないでしょうね?」

「僕ってそんなに信用ないのかな」

 悲しそうな表情で、雪彦は肩をすくめた。


「ちょっと、こっちきて……」

 瑠璃子は雪彦の腕を問答無用で掴み、外へ連れ出す。

 窓の外で向かい合う二人は、険悪な雰囲気であるにもかかかわらず、絵になっていた。

 傍目にはわがままを言う彼女を優しくなだめる年上の彼氏に見えなくもない。実際、通行人は微笑ましいと言わんばかりの眼差しで、通り過ぎていく。


 頭の中で自分を瑠璃子の隣に置いても、決して釣り合うとは思えない。


 しばらくするとで瑠璃子は戻ってきた。不機嫌な様子でパフェを平らげ、「近藤さん、行こう」と喫茶ラウンジを出ようとする。


「近藤君」


 瑠璃子が離れた隙に、雪彦は徹に近づくと、耳元で囁いた。


「……過去に問題を起こした人間が、順当に社会に受け入れてもらえると思っているのかい?」


 びくりと身体を震わせ、雪彦を見やると不気味な笑顔をはりつけている。

 やはり内定の件はすべて根回しされていたことだったのだ。

 騙していた相手に就職先を世話されていたなど、笑い話にもならない。

 自らの力で何も切り開いていなかったのに、瑠璃子に告白するなど愚の骨頂だ。

 暗澹あんたんたる気持ちを消化しきれず、沈黙するしかない。


「近藤君、次は同僚として会おう」

 爽やかに告げる雪彦に、徹は曖昧に会釈するしかなかった。


「近藤さん、ごめんね」

 水族館から少し離れた堤防沿いをあてもなく歩いていると、瑠璃子は空に溶けてそうな声音で告げた。


「採用って聞いたときに、言えばよかったね」

 やはり、彼女は気づいていたのかと納得した。その優しさが徹をむしばんでいく。


「神谷さんは気づいてたのか?」


 瑠璃子は徹から目をそらすと、夕陽を眺めながら、「うん……」と小さく頷いた。

「雪彦さん、仕事とプライベートはきっちり分けるはずだから、会社で近藤さんを邪魔することはないよ、きっと」


 瑠璃子は励ましているだけなのだが、徹には雪彦との格の違いを見せつけられたとしか思えなかった。


 気にしているのは徹だけで、雪彦は仕事に公私混同はしないのだ、と。


 惨めだった。


 徹のプライドなど、どんな形にしろ職を手に入れることができたことに比べれば安いものだ。コネだろうがなんだろうが、得た物は変わらない。

 数か月前の自分なら何の迷いもなく喜べただろう。


 だが、徹は気づいてしまった。


 認めてもらいたい人にはもっと胸を張って勝ち取った成果だと報告したかった。好きになった子に対してなら尚更だ。いつの間にか、徹は目の前の少女と対等になりたいと願っている。


 そんなこと妄想以外の何物でもないのに。最初から彼女たちの掌で踊っていたことを思い知った。


「……そうですね。格好良くて立派な人ですね」


 なけなしの理性を総動員して笑みを作ったが、上手くいっていないことは瑠璃子の不審そうな表情を見ればわかる。

「近藤さん……?」

 瑠璃子と徹の影は寄り添うように長く伸びている。実際は手の届かないところで、お互い向き合っていた。


「契約、解消しよう」

「……え?」

「小森さんは俺と神谷さんの仲を認めているようだし、弟の学費もある程度稼げた。本当に感謝してもしきれない」

 言葉を失くした瑠璃子に早口で捲くし立てる。


「ちょっと急にどうしたの?雪彦さんが認めたかなんて、まだわかんないじゃない」

「俺を自分の会社に入れてもいいと思っているんなら、許したも同然だろ」

「い、嫌がらせかもしれないでしょう」

「さっきはそんなことしないって言った」


 言葉に詰まる瑠璃子に、ああ、なんてガキなんだろうと自己嫌悪に陥る。

 不甲斐ないのは徹で、彼女は関係ないのに、思いは零れ続ける。


「早く、雪彦さんみたいに頼りがいのある、本当の 『恋人』 を見つけた方がいいですよ」


 波の音と海鳥の鳴き声が沈黙を埋めていく。


「近藤さんはそれでいいの……?」

 顔をあげると、上目遣いの瑠璃子がいた。何も見落とさないと言わんばかりにひしと徹を見据えている。


「だって近藤さん、私のこと好きでしょう?」

「な、なんの冗談で……」

「好きじゃないの?」


 一歩一歩と近づいてくる彼女から逃げるように、詰められた分だけ徹は後退あとじさる。

 一気に顔の温度があがった。瑠璃子の瞳に夕陽がまじり、飴のようなとろみを帯びている。徹を溶かそうとするかのように、彼女は甘く囁く。


「どうも思ってないのに顔、赤くなるの?」

「こ、これは夕陽のせいで」

「ぷ、言い訳が古い」

 くすくす笑う彼女はどこか嬉しそうだった。


 両親との関係は別にして、比較的順風満帆な彼女の人生に、思い通りにならないことなどなかったのだろう。そして愛嬌のある性格や容姿を厭う者も少なかったはずだ。嫉妬されたところで、快活な彼女には味方が多い。


 彼女が光り輝くほど、徹のなかで暗くどろどろした何かが鎌首をもたげる。彼女の隣は暖かい。いればいるほど離れがたい余韻を残していく。


「もう、俺で遊ぶのはやめてもらいたい」


 兄は瑠璃子が徹に気があると言ったが、好きな相手にここまで平気な顔で近づいてくるだろうか。

 徹は瑠璃子が隣にいれば落ち着かないし、余裕もないのに。


「もう、終わりにしてくれ」

「え、でも……」

「俺と神谷さんでは生きる世界が違いすぎる」

「……何それ。パパたちに幸せにするって宣言したじゃない」


 飼い犬に牙を向かれれば怒りもこみ上げてくるのか、瑠璃子は唇を震わせて凄み、徹に詰め寄った。負け犬の遠吠えのように、徹は精一杯虚勢を張る。


「あくまで 『恋人役』 として、だろう?」

「あの時はそうかもしれないけど、今は違うでしょう。絶対、近藤さんは私のこと……」

「じゃあ、神谷さんはどうなんだ?俺のこと、どう思っている?」


 え、と瑠璃子は考えてもいなかったとばかりに、目を見張った。

 ああ。やはり、彼女は俺のことは何とも想っていないのだな、と徹は確信した。与えてもらうことに慣れ切った者特有の残酷な態度だ。

 徹のなかで急速に思いはしぼんでいく。

「……冷えてきたな、帰ろう」

 瑠璃子の手を引いて駅へと歩き出す。問いただそうとする瑠璃子を振り返ることもせず、徹は機械的に歩を進めた。

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