第8話 番犬くんと文化祭①

 教室を利用した手作り感あふれる喫茶店や、窓一面に黒いポリ袋と新聞が貼り重ねられたお化け屋敷、教壇を即席の舞台に仕立てた劇場。


 瑠璃子の通う高校の文化祭は、学生たちの熱気と狂気に包まれていた。

 廊下を埋め尽くす人混みの中でも徹の長身は目立つ。二度見する生徒や外部からの来場者に怯えながら、案内パンフレットとにらめっこし、目的地に辿り着いた。


「ここか……?」


 扉や窓には派手な飾りつけが施されており、 『メイド執事喫茶』 の看板は特に異彩を放っている。

 メルヘンチックな装飾に来たことを後悔した。


 九月も半ば。


 夜になると少し肌寒くなってきた季節に、突然瑠璃子から徹のスマホに連絡が入った。


『文化祭、一般客が入れる日に遊びに来て』


 理由を尋ねると、『え、彼女の学校に遊びにくるのって普通じゃないの?』 と真顔で返された。

 さらに『最近、写真を送ってないから雪彦さんから催促が来たの』 と続けられれば、行かざるを得ない。


 校門前では不審者扱いされ、招待状を見せてなんとか入れてもらえたが、果たして本当に来てよかったのだろうか。


「あ、徹っちだ!」


 扉の前で躊躇していると、廊下の向こうから声がした。

「あ、夏海さ……」

 徹は振り向き、絶句する。


 夏海はフリルたっぷりのエプロン姿だった。

 メイド服としては王道だ。

 しかし問題は。


「す、スカートの丈、短くないか……?」

「そう?」


 ぴらりと裾を捲り上げる彼女から目を逸らす。

 歩けばパンツが見えそうなほど短く、太ももが惜しげもなくさらされている。

 ひざ上までの真っ黒なニーハイは脚の曲線美を強調しており、男の理性を暴力的に試していた。


「……その服装は、学校的に大丈夫なのか?」

「耐性なさすぎじゃない?イマドキ、そんな反応する男子いないよ。コスプレだって思えばエロくないし〜」

 その理屈が徹には理解できない。

 徹の反応を面白がって近づいてくる夏海を、廊下に面する窓から顔を出した恵梨佳が止めた。


「あ、近藤さん、こんにちは。じゃない、『おかえりなさいませ、ご主人様!』」


 ワントーン声を高くした恵梨佳は、こちらも夏海と同じメイド姿だ。徹はどうしていいかわからず、固まってしまった。


「徹っち、ミニ苦手っぽい」

「この絶対領域が嫌いな男、いないだろ」


 片足をあげ、ミニスカートとニーハイを強調する恵梨佳に「だよねー」と同意する夏海。


 とんでもないところに来てしまったと何度後悔しても後の祭りである。二人にぐいぐい背中を押され、強制入店させられた。

 ここはぼったくりバーかと、文化祭だということを忘れ恐怖する。


 予想に反して、内装は落ち着いていた。

 洒落たテーブルクロスを使用している以外、目立った飾り付けはしていない。

 二人曰く、あまり派手にしすぎると風紀委員に減点をくらうのだという。


「その服装は減点されないのか……?」

 教室の机を喫茶テーブルに見立てた席に収まりながら、徹は言った。


「可愛いメイドがいないとメイド喫茶にならないから」

 答えになっていない。

 ため息をついて、室内を見回した。


「神谷さんは、どこに……?」

「ルリコは宣伝に校内歩き回ってるよー」


 そろそろ交代の時間だから呼ぶね、と夏海はスマホを取り出す。


「神谷さんも、同じような格好なのか?」

「気になりますか?」

 注文を取りに来た恵梨佳におそるおそる尋ねると、面白がるように笑った。

「気になるというか、その格好で外を歩いていたら危ないだろ」

「……ちゃんと 『彼氏』 してるんですね。良かった」

 恵梨佳は本気で瑠璃子の身を案じている。そのことを徹は忘れていない。


「護衛も契約のうちだからな」

「ふーん。で、ご注文は?」

 心配させまいと念押したのだが、綺麗に流された。


「別に近藤さんを信じてないわけじゃないですよ。……早く瑠璃子の馬鹿が気づけばいいなとは思いますが」

 首をひねる徹に、

「天然同士、お似合いですよ」

 注文を取り終わると謎の言葉を残して、恵梨佳は接客に戻って行った。


 教室、もとい店内はそこそこ繁盛していた。

 夏海たちと同じようなメイドのほかに、スーツを着込んだ男子生徒もいる。

 文化祭などの学校行事には参加してこなかった徹は、運ばれてきたアイスコーヒーをのみながら、新鮮な気持ちで雰囲気を楽しんでいた。

 和やかな空気の中、場違いな声が耳に届くまでは。


「おねーさん、給仕だけじゃなくて、ココ座ってお喋りしようぜ」


 徹から対角線上、教室奥の席でメイド服を着た女子生徒の手首をつかんでいたのは、大学生風の男だった。

「は、離してください!」

 女子生徒は振りほどこうともがくも、力の差は歴然だ。

 女子生徒に絡んでいる男の他に連れが二人いた。ガラの悪い男たちはニヤニヤと笑い、女子生徒の反応を楽しんでいる。


「超絶ミニで誘ってんだろ、ちょっとお喋りするだけじゃん、な?」

「嫌がってるじゃん、やめとけやめとけ」

「実はオッケーって言う、ツンデレメイドプレイかもしれねえじゃん」

「お、お前天才か!」


 男たちの態度はエスカレートするばかりで、教室内の生徒たちは男子生徒ですら、怯えて何もできずにいた。

 出ていくべきか。

 面倒ごとに巻き込まれるのは勘弁願いたい。


「ちょっと!何してるのよ!」


 ガラッと扉を開けて室内に入ってきたのは、瑠璃子だった。

 彼女はメイド姿ではなかった。黒を基調にしたスーツの裾とポニーテルを揺らし、男たちのいるテーブルにずんずん近寄っていく。


「ここは風俗店じゃありません。騒ぐなら退出してください」


 毅然と言い放った。

 言っていることは正しいが、火に油を注ぐ行為にしか見えない。


「ああ?! 客に向かってなんだぁ、その態度は!」

「触ってくれっていってるようなもんだろうが!」


 恫喝どうかつに一歩も引かない態度の瑠璃子に業を煮やし、男のひとりが机を思い切り蹴とばした。教室に悲鳴があがり、廊下には、騒ぎを聞きつけたのか、人が集まってきている。

「先生、呼んでくる!」

 駆け出す生徒を目ざとく見つけ、男のひとりは焦ったのか、瑠璃子のベストをつかんだ。


「ガキが調子のるんじゃねえよ!」


 その瞬間、徹は先ほどの躊躇が嘘のように大股で教室を横断し、男の顔面を片手で握り込む。


「があっ!?」


 男が瑠璃子から手を放すと、徹も男の顔面を解放した。


「なんだぁ!」


 痛む顔を押さえながら悪態をついた男は、目の前の徹を見上げ、身を震わせた。頭ひとつぶん大きい彼に委縮したのも一瞬で、「何しやがる!」と威勢よく噛みついてきた。

 瑠璃子を背後に庇いながら、じっと男たちを凝視する。


 生徒が教師陣を連れてくるまで時間稼ぎができればいい。足留めするだけなら何とかなるだろう。

 特に睨んだつもりはないのだが、無言を貫く徹を不気味に感じたのか、男たちはさらにキャンキャン吠え続けた。


「正義の味方のつもりかよ、こんなガキに褒められたいのか、番犬くん?」

「俺は彼女の恋人だ。守るのは当然だ」

「はあ……?」

 間の抜けた男の声に重なるように「君たち、何している!」と恰幅のよい男性教師が教室に飛び込んできた。


 チッと舌打ちした男は仲間たちに「行くぞ」と声をかけ出口に向かう。

 廊下の野次馬たちを蹴散らし、去って行く彼らを、徹は安堵のため息をつき見送った。


 他の生徒が騒ぎの一部始終を教師に報告している。

 徹は振り返り「怪我は?」と瑠璃子の顔を覗き込む。

「……大丈夫か?」

 Tシャツの裾をぎゅうっと握りしめ、瑠璃子は「だ、大丈夫」と答える。

 しかしその手は震えていた。

 よほど男たちが怖かったのだろう。徹は罪悪感に襲われた。


「助けるの遅かったな、ごめん」

「……ほんと、遅いっ、じゃなかった。近藤さんは悪くない……です」


 女子生徒が絡まれた時点で助けに入れば、瑠璃子が怖い思いをせずに済んだのだ。

 自分の保身を優先してしまったことを徹は後悔した。


「首突っ込んだのは私の責任だもん」


 徹の背中に顔を埋めてしまった瑠璃子を引き剥がせずにいると、「そこ~、イチャイチャしないー」と夏海が囃し立てた。

「イチャイチャしてない!」

 がばりと顔をあげた瑠璃子は全力で否定した。元気そうな姿に徹は安堵する。


「神谷さんのお知り合いの方ですか?」

 これからどうしたものかと、悩んでいた徹に声をかけたのは、先ほど教室に駆け込んできた中年の男性教師だった。

「は、はい」

 教師に苦手意識を抱く徹はうわずった声で応じる。


「生徒たちを守っていただき、ありがとうございました」

 礼をする彼に慌てて首を振る。

「俺は特に何もしていないので……」

 感謝されることなど滅多にないため、挙動不審に身体を揺らした。


 腰が引けている徹に「お兄さん、ありがとうございます!」と生徒たちにさらに追い打ちを掛けられる。

「あ、徹っち、ついでにこのままウチらのクラスのボディガードやってよ~」

 夏海の提案にクラスは沸き立った。


 部外者にそれはアウトだろうと教師に目を移すと、迷惑でなければと消極的ではあるが協力を求められる。


「俺がいたら、お客さん逃げるでしょう」


 正論をぶつけると、恵梨佳は良いことを思いついた、と手を打って教室を飛び出した。

 しばらくすると戻ってきたのだが、その手に持った品に徹は嫌な予感を覚えた。

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