第7話 番犬くんと夏祭り②
口数が少なくなった瑠璃子を道端の石垣に座らせ、下駄を脱がす。
親指と人差し指の間、鼻緒が擦れる箇所が赤く腫れていた。
「……
「え、大丈夫だよ。私も行く」
慌てる瑠璃子を黙らせ、徹は自身の足を指さした。
「俺も痛いんだ……」
瑠璃子に合わせて男性用の浴衣を着たのだが、履き慣れない下駄で足を痛めた。
「え~、自分のため?私の感動を返して」
「言いがかりだ……」
「何?」
ぼそりと口にした文句を聞きとがめる瑠璃子に、徹は咳払いする。
「とにかく、ここにいてくれ」
近くに神社の関係者が待機している休憩所もあるため、トラブルに巻き込まれることもないだろう。
不安がる瑠璃子をなだめ、足を引きずりつつ、徹はコンビニを目指した。
だが、徹の読みは甘かったようだ。用事を済まして戻ると、数人の男に瑠璃子は囲まれていた。
応急処置をしたとは言え、鼻緒が傷口を刺激し、思うように歩けない。
その間にも男たちは瑠璃子を追い込んでいく。周囲はわれ関せずと遠巻きにするばかりで、誰も助けようとはしなかった。
「嫌がってる顔も可愛いね。悪いようにしないからさ。ほら……」
男のひとりが瑠璃子に触れようとした瞬間、徹は男の肩を掴んだ。
「あ?」
煩わしそうに振り向いた男は、口をあんぐりと開ける。
「……俺の連れに用か?……」
息を切らしているせいか、より一層低い声をした徹に、男たちは怯えたようで、そそくさと立ち去って行く。
ほっと胸をなでおろし、瑠璃子の肩に触れようとしたが、彼女はびくりと身体を震わせ、徹から距離を取る。危害を加えないことを示すため、両手をあげた。
「ひとりにしてすまん」
「……近藤さんのせいじゃないよ。昔からよく声かけられるもん」
まさかこの短時間でナンパされるとは思わなかった。彼女の父親が心配するのも頷ける。
「だから、さっき不安そうにしてたのか」
「え!そんな顔してた!」
頬に両手をあて、顔を真っ赤にする瑠璃子がおかしくて、徹は思わず噴き出した。
「どうせお子様ですよーだ」
「いや、そうじゃなくて」
舌を出して開き直る彼女の前に
「自覚があるなら、なんで満員電車に乗ってたんだ?」
希望すれば高校まで自家用車で送迎してもらえるのに、不便を承知で通学に電車を使っていたのはなぜだ。
「……親に反抗している癖に、甘えてたら駄目でしょう?」
「そのわりには人の家の前にベンツ乗りつけてたけどな」
「あれは、こっそり出て行こうとしたら、運転手の多田さんに見つかって……」
神谷家の運転手である多田は温厚な初老の男性だが、瑠璃子は強く出られないようだ。
「……普段は夏海と恵梨佳と一緒に登校してるんだけど、あの日、たまたま二人とも部活の朝練があって、時間帯が合わなかったのよ」
「まだ学生なんだ、頼れるうちは頼っておけよ、そのほうが親も喜ぶ」
彼女なりに自立を目指した結果なのだが、親の金で徹と契約している時点で、計画は破綻している。
「近藤さんだってまだ学生じゃん。急に先輩風吹かさないでよ。……自分が後悔してるからって私に親孝行させようとかしないでよね」
予期せぬ言葉の刃に息が詰まった。
しまったと顔をしかめる瑠璃子を気遣う余裕もなく、顔の筋肉がこわばる。
ここで彼女を放り出しては報酬がもらえないと言い聞かせ、逃げ出したい衝動をこらえた。
所詮、自分は都合のよい虫除けだ。甘い汁を吸おうと群がる男たちと、何も変わらない。
先ほどまでの和やかな空気は霧散した。わきまえる立場を思い出し、徹は深呼吸をする。
「……そろそろ帰るか」
気まずいまま過ごすのはお互いにとって、百害あって一利なしだ。
「嫌よ、花火まだ見てないもん」
最良の提案はすげなく却下された。
神社の敷地が広がる高台のふもと、河川敷沿いに小規模ながら打ち上げ花火があがる。しかし、夏祭りのメインイベントまであと一時間ほど待たなければならない。
「その足で歩けるのか?」
「……歩く」
しかし瑠璃子は微動だにしない。徹は疲労感を覚えた。追い打ちをかけるように、花火を見ようとする参拝客が増して、道の端とはいえ、通行人がぶつかってくる。
瑠璃子の前に立ち、人込みにつぶされないようにしているが、そろそろ限界だ。
徹は瑠璃子に手を差し出すものの、当人は動こうとしない。
「ここだと花火、見えないぞ」
「……お姫様抱っこがいい」
「は?」
この女、なんと言った?
「歩けるって言ったよな?」
「足は痛いけど、花火は見たいの!」
ほっそりとした指先は参道の突き当り、階段を登った先の社に向けられていた。
「あの建物の裏に広場があるの、そこで見たい」と無茶な注文をつける。
あまりの傍若無人ぶりに徹は怒りよりも呆れかえってしまった。しかしここまでくれば、乗りかかった船である。
「承知しました。お姫様」
駄々をこねてはみたものの、望みが叶うとは思っていなかったのか、瑠璃子は目を見開いた。その膝裏を徹は掬いあげる。
「え、わ、近藤さん!」
暴れる瑠璃子を落とさないように抱え、参道を階段へ向かう。相当恐ろしい形相をしていたのか、周囲の人々は後じさり、道を開ける。
いつの間にか大人しくなった瑠璃子を横抱きにしたまま、階段をなんとか登り、拝殿裏の雑木林に分け入った。獣道に紛れる様に細い石段があり、注意深く登っていく。露店がひしめく階段下とは打って変わり、辺りに人はおらず、虫が鳴くばかりだった。
そして石段を登りきった先には。
「……綺麗」
辿り着いた丘の上からは、呼吸するような星々の明滅が見渡せた。
古ぼけたベンチに座らせると、瑠璃子は夜空を見上げ、感嘆のため息を落とした。その隣に腰かけようとしたが、ベンチが壊れそうな悲鳴をあげたので、直接地面に座り込む。
「あの」
振り向くと瑠璃子は言葉を探すように俯いていた。灯りは乏しく、その表情ははっきりとは窺えない。
じわりと熱をはらんだ夜風になぶられていると、身の内にくすぶっていたわだかまりが首をもたげた。
「なんで」
「え?」
「俺を恋人役に選んだ?」
彼女の両親は話せばわかる人たちだった。
わざわざ恋人を偽装せず、素直に婚約を断ればいいのだ。ボディガードにしろ、専門家を雇う方が効率はいい。
祭りの賑わいが木々の合間から風にのって運ばれてくる。
「目を」
「え」
「近藤さんは目を、逸らさないでいてくれたから」
「……それだけ?」
「信じられないだろうけど、それだけ」
瑠璃子は幼い頃から大切に、それこそガラス細工を愛でるように育てられたという。
望む物は何でも与えられた。お菓子に洋服、玩具、そして友人。大企業の令嬢ということもあり、親は子供同士が仲良くなれば、自分たちに利益があると下心をもっている。子供も親の期待に応えようとし、彼女のまわりには絶えず取り巻きが溢れていたのだという。
瑠璃子をほめたたえ、居心地のよい空間を整える。
まさに箱庭のお姫様。しかしそれは、かりそめのものだと、成長するにつれ感じるようになる。
彼女自身を見てくれる人はいなかった。
ただの、ひとりも。
「そうか?神谷さんを本気で心配してくれている友人はいるじゃないか」
夏海と恵梨香の顔を思い浮かべながら徹が告げる。しかし、
「彼女たちとは親同士で繋がってるだけ」と口許を不自然にゆがめる。
恵梨香の忠告は、作り物ではないと思うのだが、瑠璃子のなかでは違うようだ。
徹がここで否定しても、彼女自身が納得しない限り、耳を貸さないだろう。
「私がはじめて自分で選んだのが近藤さんなの。だから他とは違うのよ」
じっくりと見返していると、瑠璃子は戸惑っているようだった。
「近藤さん、怒ってないの?」
「怒らせたって自覚はあるのか?」
意地悪く返事をすると、ぐうと喉をならす瑠璃子。
「腹は立ったが、本当のことだからな。神谷さんは観察眼が鋭い」
畳みかけると、瑠璃子は嫌そうに顔をしかめた。
「めっちゃ怒ってんじゃん」
「もう怒ってない。それに俺がどう思ってようが、関係ないだろ」
「関係あるよ」
徹は目を見張った。
「関係あるのか?」
「ありもあり。いくら役を演じてるだけだからってギクシャクしてたら、バレるでしょう?」
「確かに」
でしょうと胸を反らせる彼女の意見は一理ある。
写真で報告すると言っても、雰囲気は滲みでる。関係を良好にしておくに越したことはない。理性的な判断をする瑠璃子に尊敬の眼差しを送っていると、「な、何?」と不安そうに眉をよせた。
「よく考えているなと」
「近藤さんを雇うのに月五十万ですからね。有効に使わないと、私、破産しちゃう」
「でも親の金だろ」
「え、違うよ」
「え」
高校生がそんな大金をどうやって稼ぐのだ。
まさか、援助交際や夜の仕事かと、徹は焦った。
「親の金で雇われてると思ってたの?そんなバカじゃないし、私」
すさまじい勢いで言い募る瑠璃子をなだめ、なら金の出所はどこなんだと尋ねた。
「そ、それは、言えない!」
顔を真っ赤にして口を噤む瑠璃子を問い詰めるのは気が引けた。
せめて犯罪絡みではないことを祈るしかない。
話題を逸らすように瑠璃子は言葉を紡ぐ。
「そ、それにしても近藤さん、よくお姫様だっことか、できたよね」
「やれって言っただろ……」
「頼まれたら誰にでもするの?」
前かがみになった浴衣の襟からのぞく鎖骨に徹の視線は吸い寄せられる。
密着したときの感触を遅ればせながら思い出し、身体中から冷や汗が噴き出した。
怒りに我を忘れて羞恥心はどこかに飛んで行ってしまっていたのだ。そう答えると、瑠璃子はなにやら考え込んでしまった。
「……とにかく気軽に女の子がしてほしいって言ったことを実行しちゃ駄目」
おもむろに徹の顔を指さし宣言する。
瑠璃子以外、徹に近寄ってくる女子はいない。彼女は理解に苦しむことを、たまに注文する。
「返事は?」となかば強制され「はい……」と大人しくし応じた。
その時。
頭上で閃光がはじけ、ドンと爆発音が轟いた。石段下では歓声をあがっている。続いて大小色とりどりの火花が夜空に咲き誇った。
徹たちのいる高台は川の反対方向に位置するため、暗闇に光の切れ端が舞うばかりだが、それでも美しい。
表情を和らげ瑠璃子は花火を堪能しているようだった。
結局、彼女から謝罪の言葉はなかった。
しかし不思議と徹の中で彼女を非難する気持ちは湧いてこない。
アルバイトの一種で、感情など関係ないといえばそれまでだが、しっくりこない。
惜しげもなく感情を吐き出す彼女を眺めていると飽きない。
――ああ、俺は彼女を気に入っているのか。
しいていえば、懐かなかった猫がやっと近づいてきたような感覚が一番近い。じっとその横顔を凝視していると、瑠璃子は首をかしげた。華やかな色の洪水が彼女を明滅させる。
「楽しいか?」
徹の問いに、「うん!」と元気よく瑠璃子は答えた。
彼女が満足しているなら、それでいい。徹は心の中でそう思った。
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