第6話 番犬くんと夏祭り①

 喧騒が遠くにこだまする。

 赤や橙色だいだいいろの提灯は幻想的に夜を照らし、人々を陽気にさせる。

 コンビニで買うよりも数倍値段の高い揚げ物や菓子類が飛ぶように売れるのだ。祭りの魔力は侮れない。


 フランクフルトを齧りながら、徹は人で溢れかえる参道を練り歩いていた。

 隣には髪を結いあげた浴衣姿の瑠璃子が綿菓子と格闘している。


 蒸し暑い空気のなか、傍らの少女をちらりと窺う。露わになったうなじに後れ毛が汗で張り付いている。

 目に毒だ。徹は視線を宙に泳がせた。


 待ち合わせ場所に浴衣姿で現れた瑠璃子は、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。

 隙の無い着付けと、きっちりまとめ上げた結い髪によって、よりいっそう作り物めいている。


 澄んだ瞳で射貫かれれば並大抵の男は委縮するだろう。ご多分にもれず、徹は神社に向かう道すがらどう接すればいいのか、戸惑うばかりであった。

 こちらの苦悩をよそに、瑠璃子は神社に着くなり、「わたあめが食べたい」と表情を崩くずし、徹の腕にその手を絡ませる。その仕種は普段のからかう仕草とは違い、どこかなまめかしい。


「ち、近い」

「慣れる、慣れる」


 鼻歌混じりにぐいぐい進む瑠璃子。

 モデルのようにすらりとした美少女と人相の悪い大男。二人が並べば嫌でも注目をあつめる。

 騒ぎを大きくするのは本意ではない。忠犬よろしく、徹は瑠璃子の隣に大人しく収まった。


 ふと、視線を感じ振り返ると、人込みの中、地味な印象の青年と目が合った。


 徹は人と視線を合わせるのが苦手だ。


 大抵は見下ろすことになり、馬鹿にしているのかと因縁をつけられるか、すみませんと謝罪されることが多い。そのため、こちらから先に目をそらすのだが、青年はそのどちらでもなく、じっと徹を見つめると、きびすを返し人込みに紛れ込んだ。


「近藤さん?」


 不思議そうに首を傾げるその顔をみて、あっと思い出す。

神谷かみたにさん、小森雪彦の写真、もう一度見せてくれ」

 突然の言葉に驚きながらも、瑠璃子は携帯を取り出す。

 先ほどの男性は地味な格好で髪型も整えていなかったため、確信は持てないが、スマホに写る小森雪彦と似ているような気がする。


 他人の空似だろうか。


 よほどの祭り好きでない限り、成人男性がひとりで訪れる場所ではない。連れとはぐれてしまったのかと思い至ったが、慌てている様子でもなかった。


「雪彦さんって、こういう賑やかな場所、好きなのか?」

 瑠璃子は顎に人差し指を添え考え込む。

「ん……昔はよく、遊園地や動物園に連れて行ってくれたけど、本人が好きかは知らない」


 なぜそんなことを聞くのかと瑠璃子の表情は物語っていた。


 まさか、瑠璃子の跡をつけてきたわけではあるまい。


 犯罪紛いの行動を避けるために、二人に恋人である証拠を求めているのだ。確証のない杞憂で彼女を心配させることもないだろうと、徹は黙っていることにした。

 ボディガードも大事な仕事のひとつだ。気を抜かないように警戒はしておく。


「雪彦さんがどうかしたの?」

 上目遣いに詰問され、「や、あの」と、しどろもどろになった。

 憶測で物は言えない。あせればあせるほど言葉は思い浮かばず、視線をさ迷わせていると、


「彼とは何もないから」

「え?」

「遊んでたのは、小学生くらいのときの話だから。変な勘ぐりはしないでね」

「ああ……」


 なんだかよくわからないが、瑠璃子はすっきりした様子で、「あ、射撃あるよ。近藤さんのカッコイイところ見たいな」と徹を促す。


 おもちゃのライフルを構え、徹は嫌な想像を振り払うことに専念した。

 それから三十分ほど出店を冷やかしていると、


「あ、神谷さんだ!」

「本当だ」

「え、俺たちの誘い断ってたじゃん」


 瑠璃子の同級生とおぼしき男女数人のグループに囲まれた。瑠璃子はにこやかに対応しているが、徹にはわかる。


 ――結構苛立っているな。


 短い付き合いではあるが、なんとなく彼女の考えていることが判るようになってきた。

 口許は完璧なスマイル曲線を描きながらも、目が全く笑っていない。輪の外側で、良家の子女を演じるのも大変だなと内心同情していると、ちらりと視線で助けを求められた。


 否、助けろと命じられている。


 御意とばかりに盛り上がっている会話の中に徹は切り込んだ。


「神谷さん……」

「あ、みんなごめんね。そろそろ行くわ」


 軽く手をあげ離れようとするも、同級生たちは瑠璃子を引き留める。


「せっかくだし、神谷さんも一緒にまわろうよ」

「そうそう、人数多い方が楽しいからさ」

「そっちの、お友達も一緒にさ」


「友達じゃないんだけど」

 徹の腕を引き寄せ、瑠璃子は「この人、私の彼氏」と宣言した。


 ポカンと口を開け驚く彼らに、徹は激しく同意する。誰もが羨む美少女がこんなむさくるしい男と付き合っているはずがないと思っているに違いない。


「デート中だから、ごめんね?」

 それじゃあ、と踵を返した瑠璃子に慌てて尋ねた。

「俺のこと彼氏って紹介してよかったのか?」

「なんで?恵梨香たちには話したじゃない」

「あの二人は事情を知ってるだろ」

「だから?」


 首をかしげる彼女に返す言葉が見つけられずにいると、背後から嘲笑まじりの雑談が聞こえた。


「神谷さんの彼氏がアレ?……釣り合わないんだけどっ」

「嘘だろ、嘘。男避けじゃない?」

「ていうより、護衛の人だろ普通に。見た目おっさんじゃんっ!」


 的を得た感想に徹は苦笑した。瑠璃子に恥をかかせてしまったなと申し訳なく思った。すると瑠璃子はくるりと方向転換し、彼らのほうへと戻っていく。


 ――何をするつもりだ。


 徹は人にぶつかりながら瑠璃子を追いかける。


「……女王様の番犬って感じだよなー?」

 どっと笑い声が大きくなった瞬間、どさりと鈍い音が響いた。人垣の隙間から、瑠璃子の同級生の一人が地面に膝を付いているのが見える。


「……なに人の彼氏で盛り上がってんのよ」

 腕を組み仁王立ちする瑠璃子は、地面にうずくまるクラスメイトの男子を睥睨へいげいしていた。温厚な令嬢を装っていただろう彼女の変貌した姿に、四つん這いになった男子生徒は目を剥く。


「私のことで勝手に妄想するのはいいけど、彼を馬鹿にするのは止めてくれない?」

 今度は隠すでもなく口許だけで微笑み、さらに倒れた男子を蹴りつけるように前のめりになった。

 徹は間一髪、その身体を後ろから羽交い絞めにする。


「か、神谷さん!落ち着けっ。もう、行くぞ」

 瑠璃子を抱え、集まってきた野次馬の間をすり抜ける。


「何なの、陰口ムカつく!」

 ぶつぶつと文句を言う彼女を、人がまばらな参道脇に下ろす。


「……まあ、あいつらが言ってることは正しかったけどな」

「そんな簡単に認めないの!」


 怒っている相手がいると逆に冷静になるもので、徹はまあまあと怒れる少女を宥めた。


「……まさか、俺が馬鹿にされたから怒ったのか?」


 一瞬の沈黙の後。


「え……違う、違うの!私が選んだモノを馬鹿にしたのに腹が立っただけよっ」

 夜店に視線を向けた瑠璃子の耳は興奮したせいか、真っ赤に染まっていた。


 もしくは照れ隠しだったり……するのか?


「俺のために怒ってくれたのは嬉しいんだけど、友達を蹴ることないだろ?神谷さんと遊びたそうにしてたじゃないか」

「……だから近藤さんのために怒ったんじゃないんだってば!」


 そんな全力で否定しなくてもいいのでは。徹は真剣に落ち込んだ。


「……あの子達は友達なんかじゃないの。神谷の名前に群がってきてるだけ」


 ――いや、男子は確実に鼻の下伸ばしてたぞ。


 家柄に寄ってきていると言うが、果たしてそうだろうか。瑠璃子に対して、よからぬ下心丸出しの者が大半なのではないか。


 護衛役としては、ますます目が離せない。


 そんな徹の葛藤をよそに、瑠璃子は勢いよく振り向き、肩をすくめた。


「もう近藤さんのせいで怒るの馬鹿馬鹿しくなったじゃん。こうなったら、思いっきり遊んでストレス発散するから!」


瑠璃子はぐいぐいと徹の腕を引っ張り、夜店へとむかう。

こうして、二人は夏祭りデートを再開したのだった。

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