第4話 番犬くん、お嬢様の両親と対面する

 都内から一時間ほど電車を乗り継いだ郊外に、瑠璃子の自宅は位置している。

 いわゆるお屋敷街に立ち並ぶ邸宅のなかでも群を抜いて豪奢な屋敷が、神谷かみたに家であった。

 重厚な日本家屋の門扉を前に、緊張は頂点に達していた。

 インターフォンを押せず、ためらうこと五分。


 突如内側から門扉が開いた。


「おはよう」

「お、おう」


 清楚なブラウスにフレア・スカートを合わせた瑠璃子は、深窓の令嬢を絵に描いたように可憐だった。


「スーツ似合ってる」

 徹を上から下まで確認すると、満足そうに言った。

「……どうも」

 気恥ずかしくなり、もごもごと口の中で礼を言う。


「俺が来たの、よくわかったな」

「防犯カメラに映ってたから」


 見上げると瓦屋根の軒下にカメラが設置されていた。

 では門前を熊の如くうろつく姿も見られていたのだろうか。


 幸先が悪い。


「ご近所さんに通報されたら困るじゃない。だから慌てて迎えに来たの」


 瑠璃子は言葉通り急いだようで、間に合わせの突っ掛けを履いていた。

 申し訳ないと頭を下げる徹に肩をすくめると、瑠璃子は庭から玄関へ続く石畳を歩き始めた。


 美しく剪定せんていされた木々や、整えられた花壇の間を抜けると、正面玄関に辿り着く。

 磨き抜かれた廊下を進み、畳敷きの客間に案内された。

 瑠璃子にうながされ、黒光りする木製のローテーブルの前に腰を落ち着ける。旅館を思わせる内装に不似合いな巨大モニターが、テーブルを挟んで壁際に設置されていた。


「失礼します」


 初老の男性が障子を開けてあらわれた。

 老紳士は物音を立てることなくモニター横の棚に近づくと、脇に抱えていたノートパソコンをそっと置いた。

 

 老紳士が去ると、瑠璃子はノートパソコンを操作して、テレビ電話のアプリを起動する。

 巨大モニターに電源が入り、高級そうな革張りのソファを映し出した。


 ホテルの一室だろうか。


「あの、ご両親は……?」

「アメリカに出張中。場所は知らない。……今週は日本にいるって言ってたのに、あの人たち約束を守ったためしがないのよね」


 瑠璃子はぽつりと言った。

 屋敷に入った途端、瑠璃子は無表情になった。人形めいた顔がさらに人形に近づく。

 広い屋敷には人の気配がない。

 瑠璃子はこの広い家にひとりぼっちなのだろうか。

 しばらくすると巨大モニターに中年の男女ふたりが現れた。


『……瑠璃子、用件はなんだ』


 眉間にシワを寄せた男性が時間が惜しいと言わんばかりに、前置きもなしに尋ねた。後退した髪には白いものが混じっている。


「雪彦さんとの縁談をお断りいたします」

『……何が不満だ』

 気を遣って画面からフレームアウトしていた徹の腕を瑠璃子は引き寄せ、「お父様」と呼びかける。


「彼と、結婚を前提に真剣にお付き合いしています。そういうわけで、縁談を受けることはできません」

「こ、近藤徹と申します。ご挨拶が遅くなり申し訳ございません」


 徹は固唾をのんで瑠璃子の父親の反応を待つ。蝉の鳴き声が、わんわんと鳴り響き静寂を塗りつぶしていた。


『……話は、それだけか』

「はい」

『近藤君といったか。年齢は?』


 感情のこもらない問いかけは、徹から平常心を奪う。

 身に覚えのある威圧感のせいで、喉が渇くものの、なんとか声をしぼりだす。


「に、二十三になります」

『大学生か?』

「はい……」

『卒業後の進路は?』

「しゅ、就職活動中です」


 はじめて瑠璃子の父親の表情が動いた。こめかみがぴくりと痙攣し、口角が不機嫌そうに引きあげられる。


『学生の分際で、高校生に手を出して、よくも顔を見せれるものだな』


 これは圧迫面接だ。


 既視感の正体がわかっただけでは何も解決しないのだが、徹は呼吸を整えることに専念した。

「瑠璃子さんとは、真剣にお付き合いしています。何も後ろめたいことは……」

『そういう問題ではない。娘は大事な神谷家の一人娘だ。どこの馬の骨とも知れない輩に手を出されては困る』


 ぐうの音もでない。

 彼の言う通りだ。


 金で雇われている身としては言い訳することはできない。

 沈黙しうつむく徹に、『娘とは即刻別れてもらう』と告げ、父親は話を切り上げようとする。


「……はっ。大事な娘?使い勝手の良い駒の間違いでしょう」


 怒気をはらんだ声音にぎょっとした。

 瑠璃子は画面越しに父親を睨みつけ、

「口を開けば 『神谷の名に恥じる行動は慎め』って……言うほど立派な家なの?」

『……何?』

「会社をもっと大きくするために雪彦さんとの縁談進めているんでしょう?……何を言われようと近藤さんとは絶対別れませんから」


 瑠璃子は息巻く。


 気まずいものの立ち上がる勇気もなく、徹は瑠璃子の両親が通信を切るまで沈黙を決め込もうとした。


『あの……』


 瑠璃子に瓜二つの女性が申し訳なさそうに徹に話しかける。

『主人と娘が大変失礼いたしました。二人とも素直じゃないのだから……』

 咎めるように夫に目をむけ、瑠璃子の母親はこちらにむかって頭を下げる。


『おい』

『貴方も初対面の方に対して余裕がなさすぎてよ。……この人、瑠璃子が近藤さんに盗られると思って焦っているだけなの。気にしないでくださいね』


 口許に手をあて上品に笑う瑠璃子の母親。

 一方で腕組みをし、「私は認めない」と強情な態度を崩さない父親。

 そんな両親たちを信じられないように見つめる娘。


 彼らの温度差に徹は戸惑いを隠せなかったが、ふと二人の背後を見て、もしやと思う。

脳内の記憶を掘り起こし、一か八かの勝負に出た。


「お父様……いえ、神谷さんのおっしゃることはごもっともです。定職に就いていないのにどの面下げて挨拶に来てるんだ、ですよね」


 身を乗り出した瑠璃子を手で制する

 両親にとって自分は道具だと彼女は信じているようだが、果たしてそれは事実なのか。

 娘の彼氏が決まった仕事にもつかず、ふらふらしていれば、大抵の親は反対し手堅い相手を選んでほしいと願うはずだ。

 会社の利益を考えての縁談なのかもしれない。しかし、それだけではないような気がするのだ。


「ご両親が瑠璃子さんを大切にされているのは、とてもよくわかります」


 瑠璃子の父親は驚いたように目を見張る。

 初対面の者に何が判るのか、とその表情は物語っていた。


「……娘のことがどうでもいいなら、わざわざ夜遅くに会おうとは思わないですよね」

「え……?」

瑠璃子はハッとして両親たちに視線をやった。


 画面の先、彼らの背後には壁一面のガラス窓があり、ビル群の明かりがちらちらと瞬いていた。アメリカのどの地域でも日本との時差は、十時間以上あるはずだ。


 日本は現在、十四時過ぎ。

 ならば、向こうは夜中である。


 娘をないがしろにしているのなら、睡眠時間を削ってまで話を聞こうとはしない。


『……生意気だ。ますます気に喰わん』


 ムスッと仏頂面をする瑠璃子の父親の頬は、心なしか紅潮している。

 図星だったのかと徹は思わず口許をゆるめそうになったが、気を引き締め背筋を伸ばす。

「瑠璃子さんを悲しませるようなことはしません。なので、彼女がしたいようにさせてもらえませんか?」

『瑠璃子が別れたいといえば、大人しく引き下がるような言い草だな』


『貴方』


 決して大きな声ではないが、瑠璃子の母親のそれは父親を制止する力を帯びていた。

『近藤さん』と続け、

『娘を助けていただいたお礼をしていませんでしたね』と告げる。

『瑠璃子が電車で痴漢にあっていたところを助けてくれたのでしょう?……こちらこそ、とんだ恩知らずですわね』


「ママ!」


 と瑠璃子が言葉を挟むと同時に、『何っ!』と鼻息荒く父親が母親を問い詰める。


『涼子、そんな話、聞いていないぞ』

『あら、そうだったかしら』


 首を傾げる彼女に夫と娘は愕然としている。徹にむけて思わせぶりな目配せしてくるあたり、計算して暴露したに違いない。


「パパには内緒にしてって言ったのに!ママの嘘つき!」

『だからあれほど車で送迎をさせろと言ったんだ!』

「パパに指図されたくなんかない」

 目くじらを立てて反抗する娘に父親は声を荒げた。

『高倉家と伊野家の令嬢が一緒だというから成金どもが集まる高校への入学を許したのが間違いだった。所詮格下だ、やつらに悪い影響を受けおって!』


 父親の言葉に瑠璃子の怒りが爆発した。

「夏海と恵梨佳の悪口言わないでよ! それにパパが進めたお嬢様学校。なんなの、男子と会話するのが禁止されているなんて、時代遅れもいいところよっ」


 つまり、瑠璃子は父親からの過干渉がわずらわしくて、母親に口止めをしていたということか。

 将来、政略結婚させるために傷物にされてはたまらないからだ、と瑠璃子は深読みしているようだが、徹にしてみれば、娘を溺愛する父親にしか見えない。


 ただ、やり方が不器用すぎる。


 他人と身内では視野の広さが違うと言うことはよくあることだ。


 どうすることもできず親子喧嘩を見守っていると、パンパンと手を叩く音が聞こえた。

『二人ともそこまでにしなさい。貴方がそうやって騒ぐから黙っていたのよ。でも、近藤さんが誤解されたままじゃあ、可哀そうでしょう。だから今言ったの』


 拗れる前にいくらでも両者を説得する機会はあっただろうに、涼子は平然と言ってのける。

 確信犯的だと誰もが思っただろうが、突っ込む者はいない。

 ――この中で一番曲者なのは涼子さんだ。


 父親の省吾のほうは単純明快で扱いやすいが、母親の涼子は温和そうでいて、腹の底が読めない。

 徹を受け入れているようで本心は何を考えているのか分からず、固唾を呑んで次の言葉を待った。


『……瑠璃子を守ってくれる男性がそばにいるなら安心じゃないかしら、ねえ省吾さん』

『涼子、なにを』

『瑠璃子に寂しい思いをさせている私たちが偉そうなこと言えないわ……』

「……ママ」

 瑠璃子は母親の言葉に声を震わせた。


『し、しかしだな』

『まだ他に問題が?』


 笑顔に反してその声は地の底から響いてくるような重量感があった。

 涼子の一言で、場はなんとなく落ち着いてしまい、省吾が沈黙したまま初対面は終了となった。母親が強いのはどの家庭でも共通しているようである。


 二人の交際を父親省吾はしぶしぶと了承し、母親の涼子は、ほがらかに賛成してくれた。これで瑠璃子との契約は果たせたと徹は安堵した。

 あとは両親から相手側へ婚約解消を打診してもらうだけだ。相手が了承すれば瑠璃子との契約は終了となる。

 もう少し稼ぎたかったな、と不謹慎にも思った。


 しかし後日、彼女の両親はある条件を瑠璃子と徹に課したのだった。

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