第3話 番犬くん、女子高生に試される
徹は女性に免疫がない。
男兄弟のなかで育ち、学生時代はいかつい顔立ちのせいで、女子とは縁のない生活を送っていた。
自分から話しかける勇気もなく、交際どころか友人関係にすら発展したことがない始末である。
――女子三人に囲まれているこの状況は、罰ゲームか?
「ルリコの彼氏、背ぇ高~い。何かスポーツされてたんですかぁ?」
「……いや」
「社会人?お仕事なにされてるんですかあ?あ、営業マンとか」
「ナツミの推しが今、ドラマでそんな役やってなかったか?体育会系の営業マンだったっけ? あんな高スペック男子そうそういないだろ」
「エリちゃん冷静に突っ込みすぎ。少しは夢見てもいいじゃん。ねえ、ルリコもそう思うでしょお?」
「夏海うるさい。あ、私、期間限定のイチゴキャラメルパフェで。近藤さんは何にする?」
「……アイスコーヒーで」
『恋人契約』 から数日後。
夏休みに入った瑠璃子に呼び出しを受け、彼女の友人二人に引き合わされた。
落ち着いた雰囲気の瑠璃子の友人とは思えないほどテンションの高い彼女たちを相手に、徹は緊張しすぎて吐きそうになっている。
こんな高級ホテルのカフェで失態は犯したくない。
今日は瑠璃子の両親に徹を紹介するにあたっての作戦会議、らしい。
「二人ともセンスいいから」
つまりどうすれば両親が認める恋人像に改造できるか、彼女たちに意見を聞くのだという。
「ルリコ、それうちらが男漁りしてるって言ってない?」
徹の正面、髪の一部に赤くメッシュをいれた夏海が不満げに頬を膨らませた。
補強された睫毛とアイラインで目の周囲が真っ黒だ。徹は心のなかで「パンダギャル」とあだ名をつけた。
「ナツミの場合は当たらずも遠からずじゃないか?」
夏海の隣、金髪ショートボブの少女は恵梨佳だ。目元が切れ長ですっきりとした印象の美少女である。遥か昔にテレビの特集で見た日本画の女性を、徹は思い出した。
――確か、「見返り美人」だったか。
パンダギャルと見返り美人は元気に会話を続けている。
「エリちゃんだって合コン行ったら品定めしてるじゃん」
「行くからには将来有望そうな男探すだろ」
恵梨佳は合理主義者のようだ。
「で、近藤サンをどんな感じにするつもりだ?」
恵梨佳の問いに瑠璃子は少し考え込む。
「……ワイルドな感じをもっと出そうかなって」
パフェをつつきながら、徹には理解できないコンセプトを立てはじめる。
友人たちは徹をじっと値踏みしてから、「これ以上ワイルドにするの?」と口をそろえた。
「マイルドの間違いじゃないのお?」
「雪彦さんが優男なんだから、まったく別のタイプにしないと親が納得しないでしょう?」
瑠璃子が反論するも、
「別に婚約者を軸に考えなくてもいいじゃないか。瑠璃子が好きなのは近藤さんなんだろ」
恵梨佳の正論に罪悪感を覚えた。
かたわらの瑠璃子をうかがうと何も言うなとアイコンタクトされる。
二人にはあくまで 「真剣に交際しているが、両親に認められたいから相談にのってくれ」 とお願いしている。契約のことは秘密だ。
「てか、いつの間に瑠璃子に彼氏ができてたんだぁ~。ナツミに相談なかったぞ」
「私もされてないから安心しろ。……で、どうやって瑠璃子と知りあったんですか?」
徹は用意していた台本に従って、なれそめを説明した。
瑠璃子の両親にも同じことをするので、いい予行演習だ。
「実は、かみた……瑠璃子さんが痴漢にあったところに居合わせて、偶然助けたのがきっかけだ」
徹は固辞したのだが、瑠璃子がどうしても礼がしたいというので、二人で食事に行ったところ、意気投合した。
そして瑠璃子から告白され、現在にいたるまでを語ると、二人は「ドラマみたいな話だ」と結んだ。
正確を期すなら、瑠璃子は告白ではなく、契約を徹に提示しただけなのだが。
「近藤サンはルリコのどこが気に入ったの?」
両手で頬杖をつき興味津々で問いかける夏海に練習の成果を発揮する。考え込む間も忘れずに、一拍おいてから答えた。
「……上品で落ち着いているところ、かな。俺よりもしっかりしている。痴漢にあったときも冷静だったし」
「べた褒めですね」
感心する恵梨佳に徹は満足した。不自然ではないようだ。これなら瑠璃子の両親の前に出ても問題ないだろう。
「年上彼氏羨ましすぎる。で、もうシタの?」
内緒話をするように声のトーンを落とす夏海。
理解の追いつかない徹の横で「何言ってるの!」と慌てたように瑠璃子が口出しする。
「だって気になるじゃん。ルリコ、ガード硬くて彼氏作ったことないのにさ。……よっぽど上手いのかと」
「ナツミ、下世話」
「エリちゃんだって気になるでしょう? ならない?」
「なる。瑠璃子、そこんとこ詳しく」
女子高生たちの途切れることのないやり取りに徹は傍観を決め込むことにした。
下手に会話を遮って、やけどをしたくない。
同年代の輪のなかにいると、瑠璃子は年相応にはしゃいでいた。アイスコーヒーに口をつけながら、ますます場違いだなと徹は居心地の悪さを覚える。早く用件を終えて退散したい。
窓の外は夏の日差しに焼かれ、汗だくで行き交う人々でごったがえしていた。
スーツ姿の就活生と思しき学生があたりをきょろきょろ見回し、目的地を探している。
対して自分は、一杯千円もするコーヒーを飲んで何をしているのか。
自問自答していると、
「ねえ近藤サンってドーテー?」
耳を疑う言葉にコーヒーを吹き出した。
正面の夏海にすまないと詫び、慌てておしぼりでテーブルを拭う。
昼日中になんといった。周囲の客もなんだといわんばかりに徹たちに注目している。
「何聞いてるの!」窘める瑠璃子に「聞いちゃダメなの?」と夏海は首を傾げる。
「時と場所を選べ」
恵梨佳が徹の心中を代弁してくれた。
だが、興味はあるようでちらりと徹に思わせぶりな視線を投げかけてくる。
減るモノでもないので正直に答えた。
「……ではない」
「彼女いたことあるんだぁ」
意外そうにつぶやく夏海には黙秘を貫いた。
恋人がいた試しはないが、経験済みではある。大学生時代に冷やかしでその類の店へ、同じゼミの仲間に連れて行かれたのだ。
仕方なく、である。
「ふーん」
何かを察した三人に胡乱な視線を投げかけられ、なぜか肩身が狭くなった。
徹は話題をそらそうと頭をフル回転させる。
「そんなことよりも、そろそろそ本題に入らないか?」
「あ!話そらした!えっ、え、何人くらいと付き合ったことあるんですかあ~」
「意外と軟派なのか」
強引に軌道修正しようとする夏海と恵梨佳、そして、ちらちらと疑惑のまなざしを送ってくる瑠璃子に冷や汗が止まらない。
――勘弁してくれ。
徹の挙動不審さに免じてか、彼女たちはしばらくすると、瑠璃子の両親を納得させる作戦を練り始めた。
「近藤サンって本当に瑠璃子の彼氏ですか?」
カフェでの会議の後、四人は夏海の父親が懇意にしているというオーダーメイドスーツを販売する専門店へむかった。
「どうせなら徹っちのスーツつくっちゃお~」
天然の有言実行者、夏海の提案で突如始まったショッピング。
店員がつきっきりでスリーサイズや身体の各部位を測り、生地も選び終えると、どっと疲労感が押し寄せた。
そんな彼を置いて夏海は瑠璃子を引きずり、同じフロアにあるデパートのショップを物色しに行ってしまった。
徹は仕方なくフロアの片隅、休憩スペースに設置されたソファでぐったりしつつも、瑠璃子の帰りを待っている。
「お疲れ様です」
恵梨佳が有名店のアイスを差し出していた。
「甘さ控えめで美味しいですよ」
礼を言って受け取り、カップに入った小ぶりのバニラアイスをスプーンですくう。ほてった口内に冷たい甘さが染み渡った。
「上手い……」
「ですね」
徹の隣に腰を降ろし、恵梨佳もアイスを食べ始めた。
女子高生相手に会話の糸口がつかめず焦っていると、恵梨佳から爆弾が投下されたのである。
「聞こえませんでしたか?近藤さんって瑠璃子の彼氏じゃないですよね?」
「何を根拠に」
「ほら、目が泳いでる」
指摘され顔に手を当てると「嘘です」と恵梨佳は無表情に告げる。呆然とする徹にくすりと笑いかけるも、その目元は笑っていない。
「たぶん夏海も今頃、瑠璃子を問い詰めてるはず……」
強引に徹から瑠璃子を引き離したのはそれぞれ口裏を合わせる機会をなくすためだったのか。
納得するも、それどころではないと思い直した。
「瑠璃子に近づいた目的は何ですか?」
正直に話していいものだろうかと悩んでいると「言わないと、ここで大声出します」と、脅迫してくる恵梨佳にしどろもどろで事情を説明する。
「……そんなに軽蔑しないでくれ」
恵梨佳の無言の圧力に音をあげる。
「瑠璃子もだけど、近藤さんも近藤さんです。そこは大人が止めないと」
ごもっともな意見である。
徹は長身を縮こまらせた。冷静に諭されると浅はかだったと猛反省するしかない。
「じゃあ、瑠璃子を呼んで契約書を回収しましょう」
「……いや、取引をやめるつもりはない」
引き留めた徹に恵梨佳は眉を寄せる。
「そんなにお金が大事ですか?」
この娘は金で苦労したことがないのだろう。
徹は「大事だな」と苦笑した。
「彼女からの報酬で弟を大学に行かせてやれるからな」
「奨学金とかいろいろあるじゃないですか。女子高生にタカってもいい理由じゃないと思います」
正論すぎて何も言い返せない徹を相手に、得意顔で腕を組む恵梨佳。
彼女は正しい。けれど。
「奨学金は返済義務が発生する。借りたところで返せなければ、同じだ」
貧困は連鎖する。それが実感できないのか口を開こうとした彼女に、徹はさらに言葉を被せた。
「ただ、それは俺の家族の問題であって彼女には関係ないことだ。俺が言いたかったのは、ええと」
徹は深呼吸して続ける。
「金を払ってまで親の決めた相手と結婚したくない神谷さんの意思を、尊重したいんだ」
勝手に徹の身辺調査をして、弱みに付けこんだ彼女を許したわけではない。
親の金で人に言う事を聞かせるのも許せない。
だが、遊びでできるレベルではない手の回しように、徹は彼女の真剣さを認めていた。
そして金を貰うからには全力で答えようと決めている。
「友達なら彼女がなぜそこまでするのか、心当たりがあるんじゃないか?」
恵梨佳は天井を仰ぎため息を落とした。そして手にしていたスマホでどこかに連絡をとり始めた。
「瑠璃子。彼、合格だよ」
――いま、何と言った?
居ても立っても居られず、電話を終えた恵梨佳に徹は尋ねた。
「俺を試してたのか……?」
「そんなところですね。だって大の大人が、女子高生の持ち掛けた取引に応じるなんて怪しいですよ。下心あるって思うじゃないですか」
徹と契約したものの、信じるに値するか友人を使ってテストをした。
他人に貶されても取引を続行するか、推し量ったのだ。こちらが信じていたにもかかわらず、信用されていないことに想像以上のショックを受けた。
――あの女を買いかぶりすぎたのか。
やはり遊びの延長なのだろうか、徹の慌てふためく様を見て楽しむためだけに大金をつぎ込んでいるのか。
怒ればいいのか、呆れればいいのか、徹は複雑な心境だった。
「ほんと、近藤さんには同情します。あの子、結構わがままだから。まあ、頑張って」
恵梨佳はさっきとは打って変わって慈愛に満ちた眼差しをしていた。
励ますように肩を叩かれ、徹はさらに落ち込む。
気づけば日が暮れ、ビルのネオンが煌びやかに輝き始めている。
合流した瑠璃子は両手を合わせ、徹に謝罪した。
駅前広場で女子高生に頭を下げられる大男は悪目立ちしすぎる。
「近藤さんを騙したかったわけじゃないの。ただ、保険、みたいな? お金以外興味ない人だっていうのは調べたから判ってたけど、やっぱり不安で二人に確認をお願いしましたっ」
滔々と流れる言い訳に、瑠璃子の本心が読めず、何と答えたらいいのかと思案していたら、夏海に勘違いされた。
「そんなに怒んなくてもいいじゃん、徹っち」
「……怒ってない。こういう顔だ。それよりも俺が逆上して、暴れたりしたらどうするつもりだったんだ?」
そう苦言を呈すると、
「ウチの人間が張り付いてたから、大丈夫」
恵梨佳が親指で背後を示す。人込みに紛れ誰を指しているのか判らないが、監視がいたらしい。
「近藤さん、私も失礼なこと言ってすみませんでした」
恵梨佳は九十度に近いお辞儀をして徹に謝罪する。
「……まあ、友達を想ってのことなら、腹が立って当然だから、君の気持ちも分からなくはない」
金目当てに友人に近づけば、怪しむのも当然だ。
徹に彼女を非難する権利はない。ほっと胸をなでおろす恵梨佳の隣で夏海はのんびりと言った。
「ルリコ、近藤さんいい男じゃん。本当に付き合っちゃえばいいのに」
それこそ地がひっくり返ってもありえない可能性だ。
予想通り、瑠璃子は苦虫を噛み潰したように顔をしかめている。そして徹と目が合うと、そっぽを向いた。
別に好かれたいわけではないが、顔を背けるほど嫌だったのかと、徹は内心肩を落とす。
「もう、ほっといてよ」
「協力してあげたのに、その態度、ウチら傷つくんですけど~」
こうして瑠璃子の友人二人に認められたか定かではないが、両親対策は着々と進んだ。
そして決戦の時を迎える。
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