第2話 強面男子、恋人という名の番犬になる

 家の前には路地の幅ギリギリに、高級車が一台止まっていた。

「どうぞ」

 背筋の伸びた初老紳士が扉を開けて待っていた。中に入ると、テーブルを囲むようにふかふかのソファのような座席が設置されている。

 ――これ、車の中、だよな?

 尻込みしていると、少女が乗り込んできて扉は閉まった。


 女子高生、神谷かみたに瑠璃子は徹の対面にどさりと腰を降ろすと、本題を切り出した。

「私の彼氏として貴方を雇いたいの。報酬は月五十万」

 その口調は先ほどの丁寧なものではなく、組んだ脚と相まって傲慢な印象を徹に与えた。

「ちょっと待って」

 徹もつられて乱暴な口調になる。少女はぴくりと眉を動かした。


「何よ。金額が不満なの。働きによっては金額交渉してあげてもいいわよ」

 徹は頭を抱えた。

「いや、状況がよくわからないんだが……」


 瑠璃子はかたわらのトートバックから薄い冊子を取り出した。

 空と高層ビルを背景に 『神谷建設』 と社名が印刷されている。

「私の父は社長。母は専務よ」

 神谷かみたに建設と言えば国内外に支店を構える業界最大手の建設会社である。

 徹とは接点のない大企業のご令嬢が何を考えているのか、ますます理解できない。

「で、俺と何の関係が、」

「親が決めた相手と結婚させられそうなの。取引先の息子。政略結婚。だから 『彼氏』 が必要って話」

「はあ」


 幼い頃から親同士が冗談半分で取り決めていた縁談が現実味を帯びてきたのだという。

 相手は五歳年上の青年で、老舗建設会社の御曹司である。

 有名大学を卒業後、関連会社で働いており、数年後には実家の経営陣に加わるとの噂があるらしい。

 写真では爽やかな青年がほほえみを浮かべていた。

 欠点らしい欠点のない婚約者。


「優良物件そうに見えるけど」

「幼馴染でお兄ちゃんって感じなんだもん。男として意識できない」

「だからってなんで俺?」


 テーブルに肘をつき、組んだ手に顎をのせる瑠璃子。普段、こんなにも真っすぐに家族以外と目を合わせることのない徹は、値踏みする視線にひるんだ。

「真逆だから」

「え?」

「雪彦さんと……私の婚約者と印象がまったく正反対、だから」

「なんだそれ」

「似たような恋人を連れていっても説得力に欠けるでしょ?なら私の好みは雪彦さんとは正反対ってことにしたほうが断りやすいじゃない」


 高学歴、一流企業勤めの青年と、かたや三流大学を卒業間近にもかかわらず就職先が決まらない、フリーターまっしぐらの自分。

 対極にいることは認めるが。

 ――女子高生にディスられるって。

 感謝されこそすれ、恩人に対してひどすぎやしないか。


「それにお金、必要なんでしょう?」

 安物のスーツではあるが清潔にはしていたつもりだ。そんなに貧乏くさかったか、と徹は少なからずショックを受けた。

 しかし、年季の入った自宅を見られているのだ、近藤家の経済状況は推して知るべし、か。

 悶々としていると、ふいに瑠璃子が驚くべきことを口にした。


「弟さんを助けたくないの?」

 ハッと顔をあげると、瑠璃子は「私はきちんと調べて近藤さんに仕事を依頼してるの」と思いのほか真剣に答えた。


「近藤徹。二十三歳。中学時代に暴行で補導歴あり。三人兄弟の次男。兄、弟、母親と三人暮らし。母親は昨年まで小料理屋を経営していた。兄の翔は交番勤務の警察官。弟の薫は高校二年生。……私と同学年なのよね。で、あなたは弟の大学進学費用を捻出するため、現在就職活動に奔走中」

 スマホの画面を読み上げる瑠璃子を、徹は血の気がひく思いで凝視した。


 この少女は自分の生い立ちをどこまで調べたのか。握りしめた拳が汗ばむ。

「父親は警察官だったのね。でも七年前に――」

 無意識に机の天板を殴りつけていた。みしりと机の悲鳴が聞こえる。眼光を鋭くすると、瑠璃子はごくりと唾を飲む。

 その様子に溜飲を下げた徹は、これで馬鹿げた恋人役などせずに済むだろうと高をくくっていた。


 しかし、少女の方が一枚上手だった。

「……私と契約すれば、心置きなく弟さんに大学生活を送らせてあげられるわね」

 即座に冷静さを取り戻した瑠璃子は、天使のほほえみで徹に囁きかける。


「話がうますぎる」

「そうかしら」

「神谷さん、だったか?あんたと恋人ごっこして月五十万とか。……怪しすぎるだろ」

「じゃあ、辞める?あ~あ、残念だなあ」

 ソファの背凭れに身体を預け、脱力する瑠璃子を目の端に置き、徹は考え込んだ。


 最低一か月の契約で、五十万が手に入る。それだけでも入学金としては魅力的だ。

 徹の心は揺れ動いた。

 しかし高校生がどうやってそんな大金を用意するのだ。いくら社長令嬢と言えども、そうそう自由になる金があるとは思えない。


「……本当に、月五十万払えるのか?」

「もちろん。前金で今払ってもいいよ」

 トートバックから封筒を取り出したかと思えば、中から無造作に札束を取り出す。


「お金があれば心に余裕ができて、就職活動も上手くいくかもね」

 小首をかしげ、瑠璃子は追い打ちをかけてくる。金ですべてを動かせると思っている人間の顔だ。ひらひらと揺れ動く札束も親の金なのだろう。親はそうとうこの少女に甘いらしい。


 最低、五十万は保証されている。徹は決意を固めた。

「……具体的に、何をすればいいんだ?」

「私の隣で黙って座っててくれればいいよ」

 交渉成立とばかりに笑う瑠璃子は一枚の紙を机に滑らせた。


「恋人契約書……?」

「形にしないと気が済まないの、私。それに近藤さんも不安でしょう?」


 内容は大きく分けて二つだった。

 ひとつは、瑠璃子の両親および婚約者を納得させる目的で、恋人契約を結ぶこと。

 ふたつ目は、徹が瑠璃子を守るということ。

「誰かから命狙われてるのか?」


 建設会社がヤのつく組織と繋がりがあるのはドラマのなかだけの話だと思っていた徹は、顔色を失くす。

 瑠璃子は両手を振って否定した。

「万が一の予防よ。最近、男の人に声かけられることが多くて、近藤さんみたいな逞しい人がそばにいてくれると安心じゃない。……危ないことに巻き込むつもりはないわ」

 現に痴漢被害にあっていたのだ、説得力はある。


 恋人役兼ボディーガードをして月五十万。

 契約書の末尾には、どちらか一方が契約破棄を告げない限り、自動的に更新されていくということが明示されている。つまり、彼女からお払い箱にされなければ、弟の四年間の学費を稼ぐことも出来るかもしれない。


 徹は指定された箇所に署名して瑠璃子に手渡す。

「これで私達 『恋人同士』 ね。これからよろしく、近藤さん」

 瑠璃子と握手をかわしながら、徹はとんでもないことに巻き込まれたと内心、戦々恐々としていた。

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