番犬くんは翻弄されっぱなしです!
ヨドミ
第1話 強面男子、女子高生に出遭う
近藤徹は間の悪い男である。
人生を左右するイベントではことごとく失敗をおかしてきた。
高校、大学ともに、第一志望の受験は風邪をひいて欠席した。
現在は就職活動中。
不採用続きで、合計五十社から他社での活躍を願われ、絶賛記録更新中である。
そして、やっとこぎつけた最終面接に向かう道中、痴漢の現場に遭遇するくらい、運に見放されている。
――気分でも悪いのか?
満員電車のなか、隣に立つセーラー服姿の女子高生に違和感を覚えた。つり革に体重をあずけ、今にも倒れそうな様子である。
下手に声をかけて不審者扱いされるのもごめんだ。面接のシミュレーションに徹は意識を集中した。
電車は地下にはいり、窓ガラスに強面が映り込む。
凶悪としかいいようのない釣り目と、百八十センチ強もある高身長のせいで、よく誤解される。
――近藤っていつも不機嫌そう……。
――怒らせると暴れて手が付けられないって噂だ。
――いつもやたら睨んで威嚇してるしな、目、合わせたら殴られるぞ……。
笑顔をつくろうにも緊張すると口許がぎこちなく歪むのだ、悪循環である。
頬に手をあて顔の筋肉をほぐしていると、その腕をぐいと引っ張られた。
人形のような少女だった。
陶器を思わせる白い頬に沿って流れる、ゆるやかな栗色の髪がひときわ目を引く。
セーラー服に包まれた豊かな胸元に視線が行き当たるも、徹の不躾な視線など意に介さず、少女は必死に顎で背後を指す。
その気迫にうながされ、肩越しに背後をうかがう。
地味な風貌の中年男性がいた。
筋張った男の手が少女のスカートをゆっくりなでていた。
――痴漢、か?
車内アナウンスが目的地を告げた。
少女は何とかしろと言わんばかりに無言で訴えかけてくる。
しかし大勢の人々の前で痴漢の現行犯を告発する勇気が、徹にはない。あったとしても逮捕に協力すれば間違いなく警察の事情聴取に呼ばれ、面接に遅れる。
事情を伝えれば後日面接してもらえるのか。
そもそも信じてもらえるのか。少女の視線は鋭さを増すばかりだ。
どうすれば――。
電車が停止し、扉が開く。周囲は彼らに無関心で通り過ぎ、幾人かは振り向くも巻き込まれたくないのかそのまま立ち去っていく。
――くそっ、なるようになれだ。
少女の身体をなでまわす男の手を、徹はぐいっと掴んだ。
「で、遅れて面接に行ったら、捕まえた痴漢はその会社の役員だったとか。……兄貴、もっとマシな嘘つきなよ」
「嘘じゃねえ」
居間で茶碗に白飯をよそい、弟の薫に渡す。
「だって、そんなアニメみたいなこと起こるわけないじゃん。また人殺しそうな笑顔で面接官怖がらせたんだろ?」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ……」
散々な結果に終わった面接の経過を話したら、このざまである。深刻になられても落ち込むから、このくらい軽く流してくれるのが、丁度いいといえば言えばいいのだが。
「そんなこの世の終わりみたいな顔しなくても、まだまだ卒業まで時間あるだろ?」
いただきます、と手を合わせ、薫は煮魚に箸を伸ばした。
年代物の小さな丸机には、卵焼きやみそ汁など純和風の献立が、所狭しと並んでいる。チカチカッ、と点滅する蛍光灯に徹は目をしばたたかせた。
「
「みたい。……母さんは、店行ってる」
「店譲ったんだろ?任せとけばいいのに」
「家にいても落ち着かないんじゃない?」
長兄の翔は警察官でこの家の大黒柱だ。母は去年まで近所で小料理屋を営んでいた。腰を痛め常連客に店を譲ったのだが、気になるようで暇を見ては店に通っていた。
「翔兄貴も就職先はゆっくり考えて決めればいいって言ってんだしさ。もうちょい余裕持てよ」
スマホに目を向けたまま、薫は言った。
そうは言っても、近藤家の家計は火の車なのだ。
翔は今は近藤家の大黒柱だが、結婚を控えている。そんな彼に寄り掛かりっぱなしなのは気が引けた。
母には少し蓄えはあるようだが、なるべく頼らないようにしている。
そんな暗黙の了解が、兄弟三人のなかでは出来上がっていた。
そして弟の薫は現在、高校二年生。来年は大学受験を控えている。聡い彼はそれとなく高校を出たら働こうとしているようだが、志望校もあるようだと翔から聞いている。
徹も大学に行かせてもらっている手前、兄弟のなかで一番優秀な弟には、ちゃんと大学を目指してほしいのだ。
薫の学費のために就職を急いでいるのだとはとても言えない。そんな理由で焦っているのだとバレたら、素直じゃない弟は大学受験を諦めてしまうだろう。
徹の目下の悩みは、弟の学費の捻出だった。
「兄さんに負担かけ続けるわけにいかないだろ。佳那さんとの結婚予定もあるんだぞ」
「ほんと、徹兄貴はこんなにいいやつなのに、大人って見る目ないよね~」
「……おだてても追加で小遣いやらんぞ?」
「なんでバレたの⁉」
「飯食ってるときくらい、スマホ置けっ」手を伸ばして端末を取り上げると、「ケチ~」とぶうたれながら薫は食事に戻った。
「俺は自分のためにも早く稼げるようになりたい」
「じゃあホストとかは?」
ごふっと喉に白米が詰まった。徹は弟を凝視する。薫はきょとんと目を丸くしていた。
「俺がホスト?」
「意外とモテると思うぜ。兄貴に似たキャラが推しって言ってるクラスの女子いるし」
「なんだそれ」
どこで覚えた表情なのか、にやりと唇の端を吊り上げて薫は続ける。
「ホストってイケメンなだけじゃ勤まんないんだぜ。話が上手いとか、女の子にひたすら尽くすとか、いろいろタイプがあっていろんな需要があんの」
「どこからの情報だ」
「ギャルゲ~」
ゲームのなかの話か。いつの間にか真面目に聞いていた徹は、そんな自分に呆れ肩を落とした。
「内定どこもとれなきゃ、警官になったら? 身内にいれば試験、楽勝なんじゃないの?」
夕飯を食べ終わり徹からスマホを取り戻すと、薫は畳の上にごろんと寝転がった。
「兄貴、翔兄貴よりガタイいいし、その顔で睨まれたら犯人逃げる気失せるって」
「……俺が警官になる資格なんて、ない」
徹は、ぽつりと呟いた。
兄が食器を片付ける手を止めたのを不審に思ったのか、薫が身体を起こしたその時。
ひび割れたチャイム音が鳴り響いた。
壁掛けの時計を見れば、夜の九時過ぎ。夜勤の翔が帰ってくるわけないし、母が最後まで店を手伝っているのであれば、もう少し遅くなるはずだ。何といっても二人とも自宅に入るのにチャイムは鳴らさない。
「……俺、でるよ」
素早く立ち上がった薫は軽やかに廊下を走っていく。インターホンなんて洒落た物はないので、直接玄関に行って確かめるしかない。ガラガラと引き戸が開く音がしたかと思きや。
「あ、兄貴⁉」
廊下を激しく軋ませながら、薫が居間に駆け込んできた。
「大声出して近所迷惑だろうが、なんだ、宗教の勧誘か?」
普段は飄々としている薫がこれほど慌てるのは珍しく、徹は眉をひそめた。
「お、お……」
「お?」
「女の子の、お客さん……」
「俺にか?」
あかべこ人形よろしく、首を上下に振って薫は同意する。心当たりがなく首を傾げていると、
「なんか、すっごい美人なんだけど、たぶん俺と同じ高校生」
興味津々に薫は徹を見つめる。
美人の高校生。まさか。
丸机を拭く手を止めて立ち上がると、徹はのっそりと玄関に向かった。
「夜分遅くに失礼します」
玄関では身体の前で上品に手を揃え佇む少女が待っていた。
化粧で大人っぽく見えるが、間違いない。徹が痴漢から助けた少女だ。
立ち居振る舞いは堂々としており、ハイウエストのワンピースがよく似合っていた。
痴漢に遭遇し、震えていた少女とは思えない。
「近藤徹さん、お話があるの。少しお時間作ってくれないかしら?」
颯爽とワンピースの裾をなびかせ玄関に入ってくる少女に徹は動揺を隠せない。
「どうして、ここが……」
「名前が判れば調べるのは簡単なことです」
にこりと微笑む少女の笑顔は柔らかいのだが、徹はなぜか薄気味悪く感じた。
「俺に何の用……ですか?」
この少女のせいで、踏んだり蹴ったりなのだ。できればもう関わり合いになりたくない。
「割のいいお仕事があるの。お話だけでも聞いてくれないかしら?」
女子高生に仕事の世話をされるなど、予想外の展開に呆然とした。
「今日、就職面接だったんですってね。……私のせいで台無しにしてしまったようで、ささやかながら償いをしたいと思うのです」
心から申し訳なく思っているのか、俯く少女に徹は強気に出ることが出来なかった。
背後を振り向けば、居間の柱から薫がじいっと成り行きを見守っている。
「いや、お気になさらず……」
それとなくお帰り頂こうとしたのが、少女は構わず食い下がってきた。
「それでは私の気がすみません。お話だけでも聞いてください」
潤みを帯びたミルクティー色の瞳に懇願されて、断れる男はいないだろう。
歯を食いしばって熟考したあと、徹は「話だけなら」と折れることにした。
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