25

 朝起きると、ぼくは頭がずきずきした。天使は天井に片膝を立てて寝そべり、両手を組んで後頭部に敷きながら黙想していた。

 プレスリリースで半島の北と南の国が併合したことを知り、ぼくは残された時間のことを思った。

 夜の時間帯の方が小説が捗ることもあり、ぼくは日中の残された時間で同級生を訪ねてまわることにした。ぼくは留学をし成人式を欠席していて、久しく地元のみんなとは会えていなかったからでもあった。


 歩いて地元をまわり、あるいは連絡のつく同級生を追って順々に訪ねた。


 結婚して子供を育てている同級生もいた。

 「家族がいると頑張れるぞ」

 いいなぁ。ぼくはまだまだだよ。結婚か……。何か引っかかるが……でもそれにしても羨ましいな。


 新聞記者になっている同級生もいた。

 「ジャーナリストやってても世界なんて変えられねぇよ」

 そうなのか? でも実際にやっててそう言うのなら一理あるか。大変だろうけど頼むな。


 独立して鍼灸院をやっている同級生もいた。

 「東洋医学でファンタジーをやりたい」

 何だかすごいな。独自の城を築いて、唯一無二の世界観でやってて。今度教えて。


 官僚になっている同級生もいた。

 「必要とされるのも充実してるさ」

 すばらしいな。ぼくは自分がそんな重要な立場になったことはないよ。ごめんな、納税にケチつけてばっかで。


 エンジニアになっている同級生もいた。

 「デジタルプラットフォームで世界獲るから」

 安泰なのにまだギラギラしてるのかよ。ぼくは手に技術なんてないから、すごいよ。


 会計士で激務を極めている同級生もいた。

 「成長できてる気がするから」

 いやぁ、ふつうに立派に稼いでるのすげーよ。とてもそんな働けないよぼくは。

 

 飲食業で一旗揚げている同級生もいた。

 「何とでもなるよ、やった分だけ」

 バイタリティあるよなー。いろんな遊びにも繰り出してて。また誘ってや。


 化粧品の研究職に就いている同級生もいた。

 「缶詰めであの頃と変わんないよ」

 いいなー。大学から専門分野が続いてるなんて。ぼくは理系は挫折して、なりたくてもなれなかったよ。


 墓石職人になっている同級生もいた。

 「あの貸してたやつどうなったよ」

 すげーなぁ、職人に弟子入りするなんて。ぼくじゃ無理だよ。ハハハ。何の話?


 学校の先生をやっている友達もいた。

 「お前また何かやらかしただろ」

 いや、あれはさぁ。でも、みんなの面倒見れるの尊敬するよ。やっぱぼくには向いてなかったから。


 あるいは、思い出の場所を訪れた。

 刑務所の官舎内にあるグラウンドを訪れた。

 剣道の道場を訪れた。

 車に乗せられて行った試合の遠征会場を訪れた。

 通学路にあった駄菓子屋を訪れた。

 郷土の森にあるプラネタリウムを訪れた。


 ときにそれは、自分はすでに通って、終えて、戻りたくない場所でもあった。

 こうしていると、あの頃の何もかもを思い出させられる。


 この場所を行きつ戻りつするぼくの寂寥(せきりょう)感も、この胸の拭えない傷跡も。

 ぼくの散ってバラバラになった企ても、捨てきれず沁みついた憧れも。

 

 記憶は、自分の未来の判断に反映させてこそ意味がある。しかし、ぼくに未来は訪れるのだろうか。

 脳に関する本で読んだ。あらゆる事物は等価に扱うことが可能で、その記号化のプロセスで、すべては五感から切り離された抽象概念になってしまうと。ぼくのだれかと過ごした記憶もそうなってしまうのだろうか。なんだかそれは嫌な気がした。たとえこの世で最も予想がつかなく、いつもふいにされるのが他人というものであったとしても――。


 そのうち夕刻の解散を告げるチャイムが鳴って、ぼくらは遊びを片付けて帰るしかなくなるのだろうか。


 ケイコの写真館を訪れた。

 壊れていく世界で今はもう閉店してしまっていた。

 ぼくはどうしてもPSC時代が懐かしく、中へ入りたくなった。ここで練習したり、アーティスト写真を撮ったりして、もう一度青春を追いかけていた。すると入り口の鍵は開いていた。

 ぼく自身のしょうもない現実、そしてあの頃とは違った意味で、遠くまで来てしまったようにも感じる。あの日々には戻れず、今は道なき道を進むしかない。

 人のいない店内は薄暗く淋(さみ)しかったが、思い出がよぎった。玄関でケイコに不意打ちをくらったのが初めての出会いだった。昨日のことのようだ。

 スタジオ内は、整とんして店を畳んだというよりも、突然中の人だけ撤収したように、機材が居抜きで残されていた。それがまた懐古を誘った。

 ポッピング・シャワー・クロニクルの三人でアーティスト写真を撮ったのが思い出された。撮影用の垂れ幕に向けて置かれているカメラがそのまま残されていた。

 ぼくはふと、撮影者側の立場で、垂れ幕の前でこちらを向くぼくら三人を思い描きながら、そのシャッターを押した。ストロボが焚かれた。郷愁が閃く。

 ……ん?

 ぼくは目を細めた。

 今だれかいなかったか……?

 通常ならホラーのワンシーンだが、ぼくが通常の人間ではないのはもうおわかりだろう。そのときのぼくは、不思議と禍々しい感じを覚えなかった。むしろ懐かしさすらあった。

 ……だれだ?

 この世界はどこまでも狂っていた。しかし、辻褄(つじつま)を合わせたいぼくは、どういうことなのだろうかと意味を探していた。

 気がつくと、横にいつも見かける女の子が立っていた。

 これには心底驚いてぼくはへたれの叫び声を上げ、思い出の写真館を後にした。女の子はじっとぼくのことを見つめていた。

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