15

 ワンマンライブの日を迎えた。千人規模の会場。チケットは完売だ。

 単独公演なので、今夜観客たちは純粋にぼくらを目当てで来る。メモリアルだ。

 一番人気はボーカルのケイコで、同じくらい天使にもファンがいて、ぼくがビリであっても、三人で『PSC』だった。


 リハーサル。ぼくは場数慣れしてきていたせいか、特に緊張もせず、変に調子がよかった。マイクテストではショッカーみたいな声が出ていた。調子に乗ってピック投げまで練習した。今日ならコーラスのいつもの箇所も飛ばすまい。

 ケイコは緊張なのか、わりとあたふたしていた。打ち込みのテンポがなかなか決まらなかった。ケイコのその時の歌いやすさで上げ下げするが、行ったり来たりした。イヤーモニターの返りの調整も「?」を連発しては、やばいやばい、歌詞飛びそう、歌詞飛びそう、と繰り返していた。

 その日は単独公演で、会場もそこそこ大きければ、アシストしてくれるスタッフさんの数も多かった。披露する曲数もこれまでで最多だった。

 天使は一曲ごとに楽器を替えるつもりなのか、というぐらい数多くのギターを持ってきては、やれレーザーのタイミングがどうだの、演出の特殊効果をいつ使うだの、どの段取りでどのギターにするだの、スタッフさん達にあれこれ指示していた。

 スタッフさん達は思っていた。「この人、本番前からこの格好なんだ……」

 「ぎゃっ」そしてケイコが落ち着かない。「前髪切りすぎた!」

 開場ギリギリまで続く音合わせが、外で待つお客さんらの列まで漏れ聞こえていた。


 本番直前、ケイコはまだいつになくそわそわしていた。天使はただ静かにギターの動作を確認していた。

 円陣を組む。特別な舞台だが、やることに変わりはない。「いくぞおらぁ!」

 円陣が解かれ、いざ行こうとなっているときに、祈るように手首の傷を眺めているケイコの後ろ姿を見て、ぼくは声をかけた。

 するとケイコはすーっと大きく深呼吸をして、こちらを振り向かないまま、「やったる」と言った。吹っ切れてくれていた。

 オープニングのSEが鳴る――。


 開始早々、会場は圧倒的にホームだとわかった。

 いい意味で暴れられた。

 ぼくらは力を合わせてここまで来れていた。

 演奏中、今日は天使がいい意味で落ち着いているな、とぼくは思った。

 ケイコはMCでぼくらのバンドの経緯を語った。もちろん言える範囲内で。

 本編の演奏は、今までのぼくらを再確認するような時間だった。

 アンコールで新曲も卸(おろ)した。これからに向けてという意味合いもあった。ウケも悪くなく、ぼくは手応えを感じた。

 出し切った。自画自賛したいくらい、良いライブだった。

 

 アンコールの後、さらに拍手は鳴りやまなかった。やがて欲しがりの手拍子に変わった。

 再アンコール。舞台袖で天使とぼくは目を見合わせ、ケイコを一人で歌わせようと決めた。


 いいの?とケイコは何度もこっちとステージを交互に見た。

 ぼくは親指を上げ、天使はいってこい、と顎で促した。

 ケイコは恥ずかしそうに「じゃあ」と言って出ていった。


 観客はサプライズで沸いた。ボーカルのみの登場。やはりバンドの顔はボーカルだ。

 ケイコはアコギ一本で、自分の歌を最高の舞台で歌った。

 

 ステージ袖で見ていてもぼくは魅了された。

 かつては自殺未遂までするような娘(こ)だったのに…。

 そしてケイコは特にお気に入りの三曲を歌い、ワンマンライブは終幕となった。

 あらためて楽屋に全員引き上げると、ぼくと天使はケイコに思いきり抱きつかれ、ぼくはお疲れと言ってねぎらい、天使は無言で受け止めていた。優しげな無言だった。


 そして。


 帰り道だった。

 興奮冷めやらぬまま、ぼくは次に待ち受けるテレビ出演のことを考えていた。

 機材車を降り、三人で駐車場から解散場所まで歩く道のりだった。

 そのときぼくらは喋らずに歩いていた。きっとさわやかな余韻に浸っているんだな、とぼくは思っていた。

 天使とぼくが並んで前を歩き、後ろをケイコが歩いていた。


 ふと、ケイコが後ろから着いてこないのを感じた。その一瞬が何もかも儚かった。


 「あ……、ごめん」とケイコが言った。


 ぼくは胸騒ぎがした。ものごとが遥か彼方まで遠のいていくのを感じた。


 「天ちゃんに寿命伸ばしてもらったけど、ここまでみたい」


 嘘だろう……?


 「ほんとに!わたし一人じゃこんなにできなかった!最高だったよ!ありがとう!もう思い残すことないよ!」とケイコが言った。


 そんな……。ケイコ、やめてくれ……。


 「バイバイ!」


 ケイコは消えていた。いなくなってしまっていた。ギターだけが置かれていた。ぼくは愕然とその場にへたり込んだ。横にいる天使のほうを見られなかった。


 別れは突然訪れた。涼しい風が吹く夜だった。

 

 天使は、善きもの、とだけ呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る