13

 ぼく自身のしょうもない現実からは隔たってきているように見えた。しかし、簡単に心は揺らぐ。

 ザ・小者であるぼくは、「ポッピング・シャワー・クロニクル」でエゴサーチしては、ベース地味すぎる、ベースいたの?といった言葉に傷ついていた。……ぼくはジュリアにハートブレイク。

 「他人の価値観ばかり押し付けられているから酔って苦しくなる」と、天使がぼくの部屋の天井を修繕してくれながら言う。「おまえの操縦者はおまえなのに」

 そしてこうも言った。「だれかの好きそうな世界を演じるしかないと勘違いしている」

 その頃のぼくは、ワールド・ワイド・ウェブで自傷行為を繰り返していた。そうしてブルーライトに中毒症状を催してもいた。

 さらにその頃、よく地震が起きた。地面が揺れている最中なら、間違いなく世界を悲観できる。勢いに揺られ、ぼくは天使に、世界はどうやって終わるのか尋ねた。

 「それはこれから目撃するだろう」と天使が言う。「おまえ自身が終わるとき、世界も終わる。逆もまた真なりだ」

 ……観念的だ。あまりにも観念的だ。天使とはそういうやつだった。

 「だがしかし」と天使は言う。「すべてに絶望してこそ始まる」

 はあ……、とぼくは思った。そして考えた。

 ……人生は鳥かごの中で宣告された自由かもしれない。

 「何も得られないと知りながらもよろこんで動き続けることだ」と天使は言った。

 先人たちがしてきたことを、あえて自分もしてみようか。

 考えが巡る。


 ぼくとケイコの二人で自分たちの先が短い件について話したりはしなかった。もともといわくつきで始まったバンドだったし、その頃はもう後戻りできないほど勢いに乗っていて、あえて今見えている景色から引き戻してしまうのも違うと思った。

 そして『PSC』を始動させた脳の一件以来、ぼくはバンド活動と並行して科学の本を漁るようになっていた。一体この頭に何が起きているのだろうか。しかしその一方で、まだまだその時は来ないようにも思っていた。


 まずは脳の仕組みのことから調べてみることにした。

 何やら難しかったが、ぼくは自分がかっこいいなと思うところだけ反応するような子供っぽい人間なので、その琴線に触れたところだけ紹介したい。

 …視覚情報は、角膜(かくまく)、水晶体、硝子(がらす)体の光学(こうがく)系(けい)を通り網膜(もうまく)に到達……網膜の外層(がいそう)にある視(し)細胞(さいぼう)が光子(こうし)を受け取り発火……ガングリオン細胞……左の視野からの情報は右へ、右からは左へ……大脳(だいのう)皮質(ひしつ)に到達……。

 ふーむ、要するにこの瞳はスクリーンなのか、とぼくは思った。


 脳のクオリアというものについて読んだ。

 脳が感じるさまざまな質感のこと。この何とかな感じ。その一つ一つは、あらかじめ脳にプリ・インストールされていて、思い出すようにそれぞれのクオリアが生じるのではないかという。

 ぼくはふと、この感慨が胸に去来するのも必然だったのかな、と考えた。そのとき偶然に、昔実家で飼っていた柴犬のことを思い出していた。元気にしてるのか?あいつは。そして霊魂というものの存在を思ってもみた。

 ここで、夢見がちなぼくの空想は飛躍しだす――。

 脳が感じるクオリアといった質感は、実は空中に漂っていて、この空っぽな頭は受信機にすぎないのかもな、とぼくは考えた。ラジオの仕組みがそうであるように。あるいはWi-FiやBluetoothと同(おんな)じで。


 ぼくのエキセントリックは止まらない――。


 パラレルワールドの議論を読んだ。

 人は一つの世界線を進み続けるのではなく、無数の並行世界間を移動し続けるのでは、というアイディアだ。決定的な瞬間、重要な出来事、さらにはあらゆる選択のたびに、別の並行世界に移動し、またさらに移動していく。

 ぼくの考えはこうだった。つまり、未来は選び取れるという証左だろうか? おそらくどんな可能性もありうる訳で、それらをうまく選び取れれば、哀しい世界だってもう二度とないはず。理論上は。


 あるいは観測問題というものを読んだ。

 観測されてはじめて収束する量子のふるまいというもの。名前だけ聞いたことのある、シュレーディンガーの猫というやつだ。

 これはだいぶ難しかったが、要するに蓋を開けてみないとわからないということか、とぼくは思った。あるいはだれかがいて初めてぼくは存在するのかもな、とも考えた。

 そしてふと、都会で人に囲まれて生活していても、接点がなければ存在しないも同然なのかな、とぼくは気づいた。


 あるいは天使に借りた哲学書を読んだ。

 「人は生を蕩尽(とうじん)する」とあった。いわく、何かを為すための時間は十分にあって、何も為さないための時間はあまりにも長い。

 これこそが相対性理論かな、とぼくは思った。


 こうしてだんだんと、ぼくのいいように解釈するド文系のSFザワールドが構築されていった。

 すべては真実の近似値にすぎないとしても。

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