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善(よ)きものとは、何をいうのだろう?
「論理の帰結じゃない」と天使が言う。「ベスト。その人間に備わる最良のもの。そいつがやったら、最高にいいなと思うこと。それに導くのがおれの仕事だ」
生きていればこういう日もあることを想像してほしい。
興味深い話だ、とぼくは動揺を隠さず言う。
「人間は、善きもののために世界があることすら忘れている」と天使が言う。
ぼくは造影剤の副作用がおさまらず、信号の赤と青がゲシュタルト崩壊しそうだった。
「ただし、善きものが一目瞭然とは限らない」と天使は言う。「たいていは自分にとってのそれが何なのかさえ、人間は気づいていない」
そういうものなのか、とぼくはアクセルとブレーキを踏み違いそうになりながら思う。
ぼくは善きものに近づけるのかな?
「おまえが望むのなら手伝おう」と天使は言った。
そうしてぼくは、自分の可能性を信じてみたい旨を打ち明けた。
その後も車中で会話が続いたが、その内容はざっくりとこんな感じだった。
主に天使のことで、要するに質疑応答だ。
まず、天使は人間を善きものに導くのが仕事だと言った。しかし大抵の場合、人間たちには天使の姿が見えていない。
「場合にもよるがな」と天使が言う。
天使とはふだん、人間にとっては存在しないも同然なのに、どう導くのか?
ふだん、天使は下界に降りて、人間たちに希望を与えたり、試練を与えたりする。不当に落ち込んでいる人間を見つけると、そばに寄り添って肩に触れてあげる。するとその人には希望が湧いてきて、ものごとを少し楽観できる。
人間が善きものに向かっているときには、天使は必ずその予兆を示す。感じ取れるかどうかはその人次第だ。
でも、なんでぼくには天使が見えているのか?
「その意味を考えろ」と天使は言う。
逆に、振る舞いを間違えていると思われる人間には、厳しい現実を仕向けたりする。しかし、厳しい現実の場合、善きものと違って天使に現象を捻じ曲げる力はない。なので、天界の上層部に打診する。そしてその承認が得られてから、天の意志が厳しい現実として降(くだ)る。天使にも、遥か上のほうで起こっていることは、恐ろしくて想像もつかないらしい。
そこは人間社会とあまり変わらないんだね、とぼくが言う。
「上意下達だ」と天使が言う。「官僚制だ」
ぼくは、神様は存在するのかと、果敢にも天使に聞いた。
「会ったことはない」と天使は答えた。「いわく計りがたいものだ」
そして、神の配剤という言葉を知っているだけでおれは十分だと言った。
天使いわく、人生は上りでも下りでも、一本調子であり続けることはない。上がっては下がり、下がっては上がる。古代中国の賢人は、中庸が肝心と説いた。偉大な先人はこの法則に名前を付け、今では自然科学の用語でルシャトリエの原理と呼ばれている。作用反作用の法則ともいう。
天使にも大勢いて、歴史的にみて種類も多岐にわたるという。
天界に反乱を起こして地に堕ちた天使や、別の神に仕える天使。人間に恋した天使や、人間になりたかった天使。
人間が天使になることもあるのだろうか?
「なろうと思ってなるやつほど愚かしい」と天使は答えた。
確かに、そういういたたまれない人々をぼくは見かけたことがあった。
天使の仕事は、人間の歴史とともに変遷してきたという。今日では、天使は下界という単一の世界だけではなく、多種多様な個々人の主観の世界にも降り立つという。
「その人間の世代にもよるがな」と天使が言う。
そういえば、天使はぼくに世界はもうすぐ終わると昨夜言ってきた。それがふと思い起こされた。
なのでぼくは天使に、この世界はどうして壊れていくのかと尋ねた。
「すべてがおまえにとっての啓示にすぎない」と彼は答えた。「すべてに意味があると思え」
その頃、確かに世界はどうかしていっていた。暗く、息苦しく、きな臭く、ものごとの意味が薄れていくようだった。
天使にもすべての人間を救えるわけじゃない。たまには人の世の救いがたい惨状にぶち当たったり、あと一歩のところで命がこぼれ落ちるのを目の当たりにしたりする。そうして、何が天使だと、自分を責めたりすることもあるのだという。
そんなとき天使は、一日の終わりに人間界の病院に出向き、新しい命の誕生を見物するというのだった。
「想像してみろ」と天使は言う。「過去へタイムスリップして、自分自身がこの世に生まれ出る瞬間を見るのを」
驚嘆すべき生の奇跡、か。
そうしてぼくらは、とある写真館の前に到着した。ここに天使がぼくに会わせたい人がいるという。ぼくは駐車を済ませ、天使と中へと入っていった。
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