2時間目
1話 日常のはじまり
ラタシリア東高等部、全校生徒十二名。
「あれぇ?本当に入学してきたんだ?中等部もまともに卒業してないくせに」
そんな言葉を投げかけられているのは、ルーンでもなくスティンガーでもなく。
「…お久しぶりです、レイ兄さん。相変わらずよく舌が回りますね」
「何言ってんの?お前ほどじゃないよ。……で、そいつらがお前が丸め込んで得た友人ってやつ?」
「丸め込んでません。というかそもそも友人なのかしら…」
「ちょっと待っておれたち友人でしょ!?」
「オレらニコイチとイリシアでサンコイチだろ!?」
「冗談よ。でもサンコイチはちょっとやめてほしいわ」
ふわっとした深緑の髪にくりくりとした瞳。小柄であることも相まって可愛らしく見えた“レイ兄さん”とやらは、天使のような相貌と反して口を開けばまるで悪魔のような男だった。
彼は一年生の教室前でイリシアが来るのを待ち伏せていたようだ。
「どいてください、レイ兄さん。私たちの教室、ここなので」
「……ふぅん。落ちこぼれが軍人目指すなんて滑稽でしかないけど。まあせいぜい頑張りなよ」
そう言うと、彼はサッとその場から立ち去った。
「レイ兄さんってことは、イリシアのお兄さん?」
「しかも落ちこぼれとか言ってたけど…。お前が落ちこぼれならルーンなんてその辺の雑草じゃねーか」
「やめろバカ何も言い返せねえんだよバカ」
ルーンたちは教室のドアをガラッと開けると、自分たちの席に座った。一年生は五人なので前に三席、後ろに二席という配置だが、後ろの窓際がスティンガー、前の窓際がイリシア、そのイリシアの隣の席がルーンとなっている。残った二席は後ろをジャスティン、前をコスモが使っている。二人は教室にはいないが、荷物はあるのですでに登校しているようだ。
「あの人は二年のレイ・エクシリア。私の従兄よ」
「へー、どうりで雰囲気似てると思った」
「えっ、私あの人と雰囲気似てるの?」
「頭の回転が早そうなところはすごく。でも他はあんまり似てないよな。あの人は小柄な感じだったけどイリシアは女子の中でも高身長な方だろ?」
しかしルーンとスティンガーはそんなことよりもイリシアが落ちこぼれと称されたことに驚いていた。
「仲、悪いのか」
「まあ、良くはないわね。レイ兄さんは代々継ぐ草属性魔法の魔道士だけど、私は草を継ぐことができなかったから」
「ええ、でも属性は先天的なものだろ?仕方ないじゃん」
「そう、仕方ないのよ。でもいいの。私は祖母の風属性魔法を授かっただけで満足してるし」
どうやらイリシアファミリーのややこしい事情が絡んでいるらしい。聞いたから話してくれたが、あまりイリシアもその事には触れてほしくなさそうなので、ルーンは話題を変えることにした。
「そういえばコスモとジャスティン、どこ行ったんだろうな?」
「学校の探索でもしてるんじゃないの…?まさか学校の敷地を出たなんてことはないだろうし」
「え、オレも行きてぇんだけど」
「ダメよ、あなた即刻帰るつもりでしょう」
「チッ」
魂胆を見抜かれたスティンガーは渋々席に座り直した。
「一時間目は体育かぁ。アマラント殲滅がメインとはいえ、普通に授業はあるんだね」
「当たり前だ。お前らは高校生であって正式な軍人ではないからな」
「うわ、赤メガネ」
壁に貼られた時間割を見てルーンが呟けば、いつの間に教室に入ってきたのか、ティニーがそう言った。
「前にも言ったがお前たちはここに入学した以上、アマラント殲滅のために動いてもらうことになる。だがここは学校だからな。俺たちのことは先生と呼んでもらうし、授業もやる」
皇帝のことは理事長と呼べよ、と言ったティニーに、イリシアがあの、と手を挙げた。
「一時間目は体育とのことですけど、どこでやるんですか?」
「グラウンドだ。昨夜のゲリラ豪雨でグラウンドは湖状態だが、まあお前らなら大丈夫だろ」
「なにが!?」
「湖状態のどこが大丈夫なの!?」
「他の授業は時間割の通りだ」
ルーンとイリシアの抗議の声を無視したティニーはそのまま教室を出て行こうとする。
「ちょっと待って!?今のもしかしてSHRだった!?」
「それよりコスモとジャスティンはどこ行ったんですか!?」
「つーか体育は誰が教えんだよ!?」
ルーンたちがわあわあと騒ぐと、ティニーは面倒くさそうに答えた。
「コスモとジャスティンはシクラと共にすでにクエストに行った。あと体育はシンが教える」
「クエスト…?」
どうやら早く登校していたコスモとジャスティンの二人は、シクラに連れられてアマラント絡みと思われるクエストに向かったらしい。
「そういうの早いとこオレらに知らせろよ」
「誰かを向かわせようとしたところにコスモとジャスティンが来たんだ。そもそもお前が大人しく登校してくるなんて思ってなかったからな」
「はぁー?来るに決まってんだろーが、こちとら貧乏人生真っ只中なんだっつーの」
「こういうのはそもそも相性の良い悪いとか向き不向きがあるんだよ」
それから、とティニーは窓際を指差した。
「ルーン。お前、朝の水やりをサボったな?」
「あっ」
入学式が終わったあと、教室でちょっとしたオリエンテーションのようなことをやったのである。その際に色々と係を決めたのだが、ルーンは教室内にある植物の水やり係になったのだ。それを、すっかり忘れていた。
「スティンガーはうるさいしルーンは弛んでるし…。よし」
ティニーは席に座っている三人を見下ろしながらフッと悪い笑みを浮かべた。
「体育はシンに地獄の鬼メニューに変えてもらうよう言ってくる。せいぜい今日という日を生き抜くことだな!」
ティニーはそう言い残すとはっはっはと笑いながら教室を去っていった。
「いやいやいや!今日もせいぜい生き抜けって教師の言うことじゃなくね!?」
「地獄の鬼メニューってネーミングださいな」
「……私とばっちりじゃない」
三人はそれぞれ不満を口にしていたものの、これが日常になるのかもしれない、とそれぞれジャージを持って更衣室へと向かった。
一面に広がる茶色く濁った水。足首ほどの深さであるそこは、とてもグラウンドだとは思えない有様で、ましてやここで授業をするなど到底不可能と思われる、のだが。
「んじゃあ、今日も元気にやるか」
「まじでここで体育やんの!?」
「てか他の人らどうした!?」
「完全に私たちだけの地獄の鬼メニューになってるじゃない」
在校生が十二人しかいない高校であるため、体育だけは合同でやることになっている。しかし、今この場にはルーン、スティンガー、イリシアの一年生三人しかいない。
朝礼台の上に仁王立ちするアメジスト色の髪をした男性─シン・バーストはにっこり笑ってスティンガーの質問に答えた。
「グラウンドがこんな状態なのに授業なんてできるわけねぇだろ。あいつらは自習だボケが」
「おれたちは!?」
「今から体育の授業するんじゃねぇの!?これから始まるのは授業じゃないってこと!?」
「シン先生、私も自習がいいです」
三人がそう言うと、シンはええ、と困惑した表情を浮かべた。
「ティニーからルーンとスティンガーの二人には百周させろって言われてんだよな。ああ、イリシアは適当に一周走ってくれりゃあいいらしいけど」
「差が酷すぎる」
「百周ってもうどこのスパルタ強豪運動部?スティンガーはともかく、おれは死にます」
するとシンは少し考えて言った。
「まあ確かにティニーのやつが一方的に言ってきただけだしな。お前らが何したんだか知らねぇけど、多分俺には関係なさそうだから減らしてやるよ。九十九周な。イリシアは半周で…」
「「たいして変わってねぇ……!!」」
「冗談だって。仕方ねぇから五十周で手を打とう」
ルーンたちはシンの気が変わらないうちにとばかりに湖と化したグラウンドを走り始めた。
「なんなの?シン先生めちゃめちゃ口悪いくせに微妙にいい人って、ほんとなんなの??」
「あの人赤メガネと仲良さそうなのにな。公私混同はしないタイプか」
「あらそうかしら。シン先生、生徒と付き合ってるって噂があるらしいわよ。レイ兄さんが言ってたわ」
「めっちゃ公私混同しとるやんけ!!」
「そんでもってよろしくないことが生徒にばれてるやんけ!!つーかイリシア、レイ先輩と仲悪いんじゃなかったの!?」
「あくまで噂だから…。それに私とレイ兄さんは仲が悪いわけじゃないわ。良くないだけよ」
「それ、なんか違うの?」
バシャバシャと、砂混じりの水が跳ねる。
半周したところでイリシアが抜け、ルーンとスティンガーはさらに走り続ける。
「つーか地獄の鬼メニューって話だったけど、五十周走るだけで授業終わるんじゃねぇか?」
「だな。このペースで走ってたら一時間目終わりそう」
むしろそう願いながら、二人は足を動かしていた。しかし、一周目を終えたとき、それは起きた。
バシャバシャバシャ!!と荒々しい水音が聞こえたため二人が背後を振り向くと、そこには鬼がいた。いや、正しく言えば暴走狂と化した鬼だろうか。
「おいみかんダルマヘアに糞ヘアカラー共!!なにちんたら走ってやがんだ、あぁん!?」
シンが竹刀片手に猛スピードで追いかけてきたのだ。
「えええええ!?なにみかんダルマヘアって!?」
「気変わりすぎだろ!!アンタいま全国の茶髪を敵に回したぞ!?」
とにかく追いつかれたらやばい。瞬時に脳が危険を訴え出したため、二人は走るスピードを上げた。
「てめぇら地獄の鬼メニューだって言ってんだろーが!!俺に追いつかれたら殺られると思え!!いいか、十分以内に完走できなかった場合も命はないと思え!!」
そう言うなり、シンはさらにスピードを上げた。
「ちょっと待って!?おれすでに全力疾走なんだけど!?あと十分で四十九周を全力疾走したって最終的に死ぬよ!?」
「ちなみに五十周終わったら逆立ちで三十周だ!!」
「なんの拷問!?」
「うさぎ跳びでも可ァ!!」
「可ァ!!じゃないんだよ!!」
うわぁぁぁぁ!!ぎゃぁぁぁぁ!!などと悲鳴がこだまするグラウンドの中、イリシアは朝礼台に座りながら高みの見物をしていた。
砂混じりの水を吸ったジャージの裾はすでに重い。靴と靴下を脱ぎ乾かすのにはちょうどいい時間とすら思っていた。
オレンジ髪と茶髪が紫髪から必死に逃げる様子を見ながら、イリシアは教室に置かれていた植物を思い出していた。
あれは入学式後に行われたオリエンテーションでのこと。
「ティニー先生、なんですかこれ」
「見ての通り、花だが?植物の一つや二つ、あってもいいだろう。教室は殺風景すぎるからな」
「それはそうなんですけど…」
たしかに、教室に植物があってもいいとは思う。実際中学時代は教室に植木鉢が置いてあった。だがしかし、今回のこれは本当に花なのか疑わしくなるほど謎な見た目をしているのだ。
ゼンマイのようにグルグルと巻いた、花というよりもはや草。所々産毛のようなフワフワした毛が生えている。色は肌色に近い。正直言って気持ち悪いしこんなものを教室に置いておくのは憚られるほどの見た目だ。
「花じゃねーですよねこれ」
「こんな草見たことないんですけど、なんていう名前の草なんですか?」
イリシアの質問に、ティニーは静かに眼鏡をかちゃりと直した。
「それは『ばくはつそう』というものだ」
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