第5話 変質者

「じゃあ、私はショッピングでもしてくるから、一時解散ね。十九時になったらまたここに集合。あんまり派手に騒がないこと!いいわね?」


 イリシアは封筒に入れられた恩賞を手に取ると、カフェを出て行った。


「あ、そういや恩賞っていくらなんだろう」

「開けてみようぜ」


 ルーンはもらった封筒を取り出した。厚みはそんなにない。ということは5万Rロードくらいだろうか。

 ルーンは封を開けた。


「ええええええ!!」

「どうしたルーン!?」


 出てきたのは商品券だった。しかも5,000Rである。5万Rではない、5,000Rだ。


「金欠貧乏人に喧嘩売ってる!?おれたち今現金が欲しいんだけど!?我、現金を所望す!!」

「しかもこの商品券、服屋限定じゃねぇか!!なんでだ!!オレらの身なりが貧相でみすぼらしくて目も当てられねぇからせいぜい服でも買ってこいよっていうあれか!?喧嘩売ってやがるなそれは!!」


 恩賞を与えてくれた偉い人には全く他意はないのだが、ルーンたちにとっては重要な問題なのだ。


「まあ買うけどな!!セール品買い漁ってやるけどな!!」

「1Rも残さず使ってやるからな!!」


 二人はキレながら別々の方向へと歩き出した。







 ルーンと分かれたスティンガーはどうやら道を一本間違えたらしく、妙に薄暗く陰鬱とした路地裏に迷い込んでしまっていた。


「まずった…」


 迷子になって集合時間に遅れでもしたらイリシアの鉄拳か暴風が飛んでくるに決まっている。スティンガーはそれを想像して青褪めると足を早めた。

 カツカツと足音が響く。まだ昼であるというのに来た道も行く道も先が真っ暗だ。スティンガーはため息をついた。

 先日雨でも降ったのか、建物の雨樋を伝って水が垂れてくる。ぴちょんぴちょんと水溜りで跳ねるその音が、今はどうにも不快な音に聞こえてくる。というのも、先程から何かの気配がちらつくせいだ。その気配が前か後ろかまだ分からないが、向こうが確実に自分を認識しているであろうことは分かる。スティンガーは立ち止まることなく歩き続けた。


 カツカツ、カツカツ、──コツッ。


 自分の足音でないその音を耳が捉えた瞬間に、スティンガーは背に背負った大剣の柄に手をかけ、勢いよく鞘から引き抜いた。


 ガキィンッ


「ほう、人の気配には敏感なようだな」

「……誰だあんた」


 スティンガーに向かって剣を振りかざしてきた男はスティンガーの問いに答えることなく、追撃してきた。


「あんた、もしかしてニナさんの仲間か」


 ガキンガキンと男の攻撃を受け流しながらスティンガーが聞く。すると男はようやく動きを止めてスティンガーを見た。

 男は、列車でニナの連れが着ていた黒いローブと同じものを着ていたのだ。あの連れの女と同じようにフードを深く被っているので表情は分からないが。


「…まあ、そうだな。俺のことは知っているだろう?」


 男はばさりとフードを取った。


「あんたは…!」


 燃えるような赤い短髪に、黒縁眼鏡。眼鏡の奥にある瞳まで赤く、きりっとした眉は彼の凛々しさを物語っているようだが。


「……誰?」


 スティンガーの記憶の中には存在しない顔だった。


「は?いや、いやいやいやいや。今の反応はどう考えても知っている反応だっただろう!?」

「だからちょっと考えてみたけど、全っ然知らなかったわ。オレあんたと会ったことあんの?」

「お前と会ったのは今日が初めてだが…」

「はぁ?じゃあいきなりオレに斬りかかってきた理由はなんだってんだよ、変質者」

「へんしっ……!いや俺は変質者などではなくてだな…!」

「変質者はみんなそう言うんじゃねぇの」


 スティンガーが付き合ってられないとばかりに背を向けて立ち去ろうとすると、眼鏡の男はすかさず足払いを仕掛けてきた。


「うおっ!?」


 足を払われて倒れ込み、水溜りに顔を突っ込んだスティンガーはすぐに大剣で相手を斬り捨てようとしたが、彼が起き上がるよりも早く、眼鏡の男はスティンガーの右腕を踏みつけた。


「少しは話を聞いてくれてもいいだろう」

「話を聞いて欲しい人間の沙汰とは思えねーんだよ!!」


 話を聞いて欲しいと思っておきながら相手に突然斬りかかるなんて正気の沙汰ではない。思えば思うほど理不尽である気がしてならない。斬りかかって来たのもそうだが、何よりもこの状況。なぜ自分は変質者もどきに踏みつけられ、地面とお友達になっているのか。水溜りに突っ込んだせいで顔も髪も汚れた。ネックレスもあとで磨かなければならないだろう。話を聞いて欲しいくせにずいぶんな扱いである。

 イライラし始めたスティンガーは眼鏡の男を睨みつけた。そして、地面についた手に力を込める。

 すると眼鏡の男は自分の身体がグラリ、と揺れるのに気がついた。


「何だ…?」


 男が立っている地面だけが局地的に揺れているのである。揺れに耐えるために体勢を変えようとしたその瞬間をスティンガーは逃さなかった。

 一瞬弱まった足の下から右腕を引き抜いて身体を捻り、スティンガーは大剣を力強く右に薙いだ。


「ぐっ……!?」

「じゃあな変質赤メガネ!!しばらくそこでくたばってろ!!」


 壁に叩きつけられた男が呻くのを無視してスティンガーはその場から逃走した。

 一応剣でガードしていたようだし、只者ではなさそうなニナの仲間らしいので死ぬことはないだろう。たとえ彼に訴えられたところで自分に非は無い。変質者に襲われた末の正当防衛だ。スティンガーは日頃からルーンやイリシアに“トリ以下”と称される頭でそこまで考えると、走り回ってなんとか路地裏から抜け出した。






「変質者ね、それは」


 十九時。ルーンが買い物をすませてカフェに戻ると、先にスティンガーとイリシアが席に座っていた。そしてなぜかスティンガーが薄汚れていて、それこそみすぼらしくなっていたので理由を尋ねてみれば、変質者に襲われたという返答があった。

 なんでも路地裏に迷い込んだらいきなり斬りかかって来て、転ばされた上に踏みつけられ、そんな状態にしておきながら話を聞いてくれてなどと言ってきたそうだ。


「だいたい身長百八十センチ越えの大剣背負った男を襲いたがる奴なんてそういないわよ。完全に変質者ね」

「……でもあいつ、ニナさんの仲間っぽかった」

「まじかよ。なんか面倒なことにならないといいけどな」

「とにかく、王都にはいろんなタイプの人がいるみたいだから気をつけましょう。あとスティンガー、額擦り切れてるわよ」


 おそらく水溜りに顔を突っ込んだときにできたものだろう。


「チッ、あの赤メガネが…」

「特徴は赤い眼鏡か。とりあえずそいつには気をつけとこうぜ」


 むっとするスティンガーを宥めつつ、三人は宿へと向かった。







 翌朝。早朝からイリシアに叩き起こされたルーンとスティンガーは、書類に書いてあった場所にやって来ていた。


「……いや、なにここ?」

「講堂ですって」

「でけぇ…」


 その大きな講堂は自警団駐屯地の近くにあった。ルーンとスティンガーは珍しそうにキョロキョロしたり講堂を見上げたりしていたが、イリシアにはそれよりも気になることがあった。

 やたら人が多いのだ。それも、みんなルーンたちと同い年くらいで。

 するとイリシアは講堂の入り口に看板が置かれているのを見つけた。


「『ラタシリア魔法高等部全校入学案内』……え?」

「つまり、どういうことだ?」

「ええと、つまり……。ラタシリア北高から中央高までのすべての魔法高等部入学予定者への案内ってことか?」


 三人はそっと周りの様子を窺った。

 中等部から魔法高等部へ進学するのは、中等部でAクラスだった者がほとんどだ。中等部は一学年三クラスあり、総合成績順にAクラスからCクラスへと割り振られる。最終的にBクラスやCクラスで卒業して進学する者は一般高等部へと進む者が多くなっている。イリシアは三年間Aクラスだったためこの場にいても実力的には何の問題もないように思えるが、ルーンとスティンガーは三年間Cクラスだった。そのためどうしても、自信に満ち溢れ堂々とすることに慣れているAクラス出身者と比べると浮いてしまっている。


「ど、どうするんだこれ」

「どうするって、もう入るしかないんじゃない…?ここまで来ておいて急に引き返したら逆に目立つわよ」

「んなこと言ってもエリートばっかじゃねぇか…」

「報酬100万に釣られて依頼引き受けるって言っちゃったんだから、もうしょうがないじゃない…」

「「そうだった…」」


 しかし幸いなのはルーンが腰に刀を下げていること、スティンガーが身長と同等の大剣を背負っていることだ。武器だけ見ればAクラス出身者だらけのこの場でも遜色はない。

 イリシアはルーンとスティンガーを隅の方に連れて行った。


「いい?何があってもCクラス雰囲気は出したりしないでね?Cクラス出身ってことが知れたら恥をかくであろうあなたたちのために言ってるんだからね?」

「「オレタチハAクラスデス」」


 ルーンとスティンガーが頷いたのを見て、イリシアは二人を引き連れて講堂に入った。

 中にはやはり人が大勢いて、並べられた椅子に座っている者や友人たちと話し込んでいる者などがいた。

 ルーンたちは目立たないよう、一番後ろの端の椅子に座った。するとまもなく、三人の上に影ができた。


「隣、いいかな?」


 そんな声がかけられて三人が顔を向けると、スキンヘッドの男が立っていた。歳はやはりルーンたちと同じくらいだろう。


「いいですけど…」


 ルーンの返答を聞くと、スキンヘッド男はルーンの左隣の席に腰を下ろした。


「僕はジャスティン・クローバーさ。実は中等部では常に上位五位以内の成績を修めていてね。君たちともいずれどこかの高等部で会うかもしれないね。ま、入学試験がうまくいけばの話だけど。ああ、もちろんこの僕は受かるさ。だって僕は上位五位以内には必ず入っていたんだからね!」

「なんだこいつ」

「おっとオレンジくん!?心の中の声がダダ漏れだね!?まさか成績上位者のこの僕にそんな口をきくとは思わなかったよ。で、そんな君の名前はなんだい?」


 イリシアに無言で肘で突かれたルーンはやれやれとため息をついた。

 

「おれはルーン・フレイム。よろしく。あと、おれは別に上位者がどうのとか気にしてないんで」


 だいたい上位五位以内がどうしたというのだ。自分の右隣に座っている風魔道士の美人は三年間首席だったぞと言ってやりたいが、あまり目立つわけにはいかない。

 ルーンは口を閉ざすとちらりとイリシアを見やり、その向こうで欠伸をしているスティンガーに舌打ちしたくなった。こちらは変なスキンヘッドナルシスト男に絡まれているというのに、のんきなものである。


「おや、始まるみたいだ」


 ジャスティンの呟きに、ルーンは前を向いた。高くなった壇上にライトが当てられた。

 そしてそこに現れたのは、赤い短髪に黒縁眼鏡の──。


「これよr「はっ!!変質赤メガネッ!?」……おい貴様」


 壇上の男の声に被せるように声を上げたのはスティンガーだった。椅子を倒す勢いで立ち上がったため、注目を浴びてしまっている。が、そんなことよりも。


「え?あいつが昨日襲いかかってきた変質者だったのか?てっきり赤い眼鏡をした男だと思ってたわ」

「ちょ、ちょっとあなたたち、口を慎んで!」


 額に青筋を浮かべ始めた男を見た瞬間、イリシアがはっとしたように言った。


「いやでも、あいつが変質者だっていうなら目立つ目立たないの話どころじゃ」

「あなたたち知らないの!?彼は幻世の七鞘げんよのななしょうのティニー・クラウンよ!」

「は?」


 幻世の七鞘、ティニー・クラウン。中等部まで卒業したものなら誰でも知っている有名な名前に、ルーンは一気に青褪めた。


「えっ、えっ!?」

「じゃあつまり、幻世の七鞘の奴が変質者だったってことか」

「おいそこの茶髪!誤解を生むようなことを言うんじゃない!」

「スティンガー、あなたちょっと黙って!失礼が過ぎるわよ!」


 ティニー・クラウンの顔と名前を知らなかったらしいスティンガーに対してざわついていた周囲は、スティンガーの放った“変質者”という言葉にさらにざわつき始めた。ジャスティンに至っては混乱しているのか、瞬きを繰り返しているだけだ。


「いやだって、イリシアも言っただろ。『完全に変質者ね』って…」

「いいいいいい、言ってないわよ〜?な、何のことかしら〜〜」

「ルーンだって『面倒なことにならないといいけどな』って」

「おいスティンガー!余計なこと言うんじゃねぇ!相手が傷ついちゃうだろ!そういうのは心の中に大事にしまっておくもんなの!オブラートという名のハンカチに包んで心の中の引き出しに投げ捨てておくもんなの!!」

「引き出しに投げ捨てるってどういうことだよ」

「どうでもいいだろそんなことは!!」


 ジャスティンはルーンが一番ひどいことを言っていると思ったが、何か口出ししては自分に飛び火しかねないと思い、黙っていることにした。


「おい、貴様ら」

「……なんでしょう?」


 ティニーの一言で場は静まり返った。その静けさに冷静になったルーンが問い返す。ちなみに冷静ではあるが、心はもはや屍だと言っておこう。

 ティニーは青筋を浮かべながらふっと笑い、親指で自身の背後を示した。


「後で講堂裏な」

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