時計の針を止めて
(あ)
第1話
予約が取りづらく人気で有名なレストラン。
周りには気品溢れるカップルがたくさんいた。
夜景が一望でき、かしこまった雰囲気が漂っていた。
昔、誰かが言っていた。
夜景って、皆の残業なんだって
それを聞いて以来、夜景を見ても素直に綺麗とは思えなくなった。
慣れないコース料理。
目の前には緊張した様子の彼。
付き合って3年が過ぎた。
30歳の私の誕生日。
「俺と結婚してください…!」
彼が私に指輪を差し出す。
私の薬指に吸い付くかのように、ぴったりとハマった。
これが、プロポーズか。
「…はい」
これでいいの。
私は間違ってなんかいない。
高校の頃に、私と彼は隣の席になった事がきっかけで良く話すようになり、遊ぶようになった。
彼は人気者で素直で、クラスのムードメーカー的存在だった。
私は、友達は少なくて、内気で暗かった。
よく、クール系と言われて、はしゃいだりすることも無かった。
私に無いものを持ってる彼が眩しくて、羨ましかったし、彼が作るこのクラスの雰囲気が好きだった。
彼は人当たりが良くて優しかった。
そんな彼に片思いしていた。
でも、彼には中学生の頃から付き合っている彼女がいた。
彼のスマホのパスコードは彼女の誕生日。
LINEのコードは付き合った日。
私が入る隙なんてなかった。
でも、割り切っていた。
彼が彼女のことを大好きなのは分かってたから。
ただ、見ているだけでいい。
ただ、そばに居られればいい。
他校の彼女には申し訳無いけど、学校にいる間は彼の隣に居させてください。
今は、意地悪な女でいるの。
ある日、願いは突然叶った。
好き
彼からの告白。
彼女の存在が気になった私は、この告白が信じられなかった。
私の気持ちはこの時言えなかった。
ありがとう、とクールに答えた。
後日、彼女とはもう別れていることを知って、私からも告白する事にした。
バレンタイン。
手作りは自信がなくて、市販のチョコに手紙を添えた。
私も好き
この短い文章を何度も何度も書き直した。
あれって本当?
彼から手紙のことを聞かれる。
本当だよ
私は、心臓のドキドキを抑えながら、平然を装い答える。
そっか、じゃあ耳貸して
彼の言うことに素直に従う私。
俺と付き合ってください
みんなが周りにいる中で、耳打ちで言われた。
掠れた声、耳にかかる吐息。
顔も体も全部熱い。
声に出したらバレちゃいそうで、頷くしか出来なかった。
彼はにこっと笑うと、そのまま部活に行ってしまった。
私たちはこんなスタートだった。
恋愛経験が無かった私は、彼色に染まった。
ファーストキスは彼だった。
愛情表現もたくさんしてくれて、こんな気持ちになったのは初めてで幸せだった。
彼が私を抱きしめる。
柔軟剤の匂いが香る。
少し力が強くて息苦しかったのも、それさえも愛おしかった。
彼の胸元に私の耳がつく。
彼の心臓の音がよく聞こえていた。
彼は恥ずかしがってドキドキしてると言った。
とても可愛らしく思えて、好きだった。
そんな彼の心音が心地よかった。
聞いていると、眠くなった。
彼の元カノはこんな風に愛されたのか、それとも愛し方を教えたのか。
幸せの片隅に過ぎる感情。
私は自分が嫌な女に思えた。
私は彼とずっと一緒にいたいと思った。
彼も私にずっと一緒にいようと言ってくれた。
彼が大好きだった。
彼に嫌われたくないと思った。
ワガママ言って嫌われたくない、重いと思われたくない。
次第に自分の気持ちを言わなくなっていった。
彼は優しかった。
何も言わなかった。
何も言わなくなった。
寂しかった。
私にはもう何も思わないのかなって苦しくなった。
それが、言えなかった。
誰にも言えなかった。
段々と話さなくなった。
連絡もしなくなった。
でも、大好きだった。
ずっと彼と話したかった。
用もないのにスマホを開く。
用もないのにLINEを開く。
来ない通知。動かないLINE。
不機嫌になる私。
自分勝手なのは分かってた。
嫌われたくなかった。
苦しくて、眠れなかった。
怖くて何も出来なかった。
街中で、柔軟剤の匂いを感じる。
彼と同じ匂い。
彼の面影を探す。
いるはずも無いのに、探してしまう。
彼が遠い。
私は彼女なのに。
付き合っている意味、あるのかな。
でも、別れたくはなかった。
別れる選択肢はかき消した。
時間が解決する、そう思った。
そう思うことにした。
次の記念日には、彼から連絡がくる。
そう信じる事にした。
次の記念日を楽しみに、私は過ごしていた。
あともうすぐで、1年記念日。
これをきっかけにやり直そう。
私ももっと勇気を出そう。
そうしたら、彼はきっと言ってくれる。
俺もだよって、抱きしめてくれる。
それを望んでた。
私のスマホが鳴る通知音。
通知欄を見て、停止する。
ずっと待ってた彼だった。
元気?
嬉しかった。
心臓が震えてた。
呼吸が荒くなった。
また、ここからやり直せる。
二人で記念日を迎えられる。
でも、すぐには返さない。
ずっと待ってたって思われたくなかった。
ずっと待ってたのに。
つまらない見栄なのは自分でも分かってた。
1時間後に返信した。
元気だよ、どうしたの?
彼からの返信はすぐに来た。
別れよう
終わった。
希望が終わった。
見たくなかった未来。
見ないようにしていた結末。
彼は私の事を好きじゃない。
私だけが好きなんだ。
片思いに戻ってしまった。
あの頃は楽しかったのに、今は辛い。
始まってすらいなかったあの頃に戻りたい。
もう一度あると思ってた、そのキスもハグも手の温もりも、とっくに化石になってたんだ。
何がダメだったのかな。
いつからダメになってたかな。
考えても分かるわけない。
だって、伝えてこなかったから。
時よ、止まれ。
彼の心が私から離れる前まで戻れ。
二人の記憶が走馬灯のように思い出す。
彼はチャンスをくれていた。
あの時も、あの時も、あの時も。
もしかしたら、私がこの結末を導いたのかもしれない。
望んでいない未来を。
勇気を出していれば、私たち今頃変わってたかな。
『自業自得』
私にぴったり。
もう私のイメージはマイナスなの。
だったら、余計に下げたくない。
私は良い子でいたいの。
私は彼の彼女なの。
そっか、別れよう
彼女だから彼の望みを叶えるの。
別れるっていうのは、付き合ってないと出来ないことなの。
私は、今まで彼に彼女らしいことはしてあげられなかった。
だから、するの。
彼女にしか出来ないことを。
今までありがとう
楽しかったよ
彼の既読無視で終わったラリー。
私が送った最後の文面。
『楽しかったよ』
いつのこと?
本当は言いたい。
苦しかったよ。
ずっと失いたくなくて我慢してた。
それなのに、我慢してたら失った。
甘えてた。
彼の優しさに、私の臆病さに。
何のために、苦しかったの。
いや、違う。
私が失いたくなかったのはプライドなの。
彼よりも優位に立ちたいという気持ちだった。
愛されてる。
追う恋愛より追われてる恋愛。
それを感じていたかったの。
満たされていると思っていたの。
失って分かることもある。
プライドの代償がどれほどのものか。
彼しかいなかった。
彼以上に好きになる人なんていなかった。
私はよりを戻したいけど、彼は私のことなんて覚えてない。
フォロー出来ないSNS。
彼のアイコン、隣は女性。
私に残ったのは、プライドと後悔。
私の目の前に彼はもう現れてくれない。
こんな奴は幸せになれない。
だから、捨てるの。
こんなプライド。
彼しかいなかった。
彼以上に好きになる人なんていなかった。
私の目の前にいるのは、彼じゃない。
彼じゃない人と結婚するの。
これでいいの。
私は間違ってなんかいない。
時計の針を止めて (あ) @ngmgv_nt_xpnbz
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