私の決断が、かりに人として正しいとしても、私の心には優しくなかったのではないだろうか


 この間、私が褒められるということが苦手どころではなく

、恐怖心を持っているという話を、カクヨムに載せた。

 私はこの話をあまりというかほとんど周囲に話してはなかった。

 ただ数少なく喋っている理解者にも読んでもらったのだが、その人曰く。


「文章にすると、壮絶さがまた強く伝わる」


と、言っていた。


 私は正直言うと、その言葉に驚いていた。


 確かにあまり聞かない事例かもしれないが、壮絶、だったんだ……というところがあった。

 もちろん私にとって辛い記憶ではあるし、心に大きな傷も出来ていると思う。しかし傷つくというのには個体差があり、私はどうしてこんなに傷つくのかと、自己嫌悪に近いところがあったのだ。つまりそれだけ私は自分を客観視してなかった……ということなのかもしれない……。


 私はあまり自分のことを話さないほうだと思う、好きなことはよく喋るし、嗜好に関しても正直に出る。だが本心というと、少し自信がない。感情がゆらぎやすいので、出ることはあるのだが、どうしてそういう感情になるかというと、ろくに話さない傾向らしい。


 少なくとも前よく遊んでいるところで、よく褒められていたが、褒められるたびに苦しい思いをしていたことは、そこの人たちに話したことがなかった。

 理解できないと思うし、ソレを話しても現実が変わらない。


 過去は覆られないのだ。

 

 私は思うに、この世で一番耐えられないのは、現実が変わらないということではないだろうか。言って、現実がどうにかなるなら、いくらでも言うと思う。


 でも変わらないことに抗って何になるのか。

それなら、見せなくていいものを見せなくていい、と思う。

前を向いて、未来を変えていったほうが堅実な気もする。


 人魚姫は魚の尾から足を得た時、歩くたびにガラスで切りつけられるような痛みを感じたと言うが、わりとソレに近いところはある。それでも結末はどうであれ、人魚姫は人間の世界と暮らす、未来を選んだのだから。


 ただ、そう生きてきて、問題がないかといえば、心底問題になることはあった。心に毒が回るのだ。

 過去が何度も蘇り、吐き出さないようにしているがゆえに、ぐるぐると心を汚染する。昔も同じことはあったのだが、その当時は、小説の形で発散していたのだ(なので非常に暗い小説を書いていた)


 でも、小説で少しでも売れるためにと無理やり、方向転換した。それはけして間違いだった! と声高に言わないし、良いことも多かったが……私は自分の心をないがしろにしてきたのではないだろうか。


 私の決断が、かりに人として正しいとしても、私の心には優しくなかったのではないだろうか。現に苦しさのあまり……ということは何度もあった。


 私の書く、この文章はけして明るくもない。

 ただ個人的に明るい話しのほうが好きだ、キレイなものに憧れる、けれど私が闇から顔を上げられないのなら、その素敵なものの輝きに、ちゃんと触れられない気もする。


 ここまで、読んだあなたに言えることがある。

あなたにはこの文章を読まない権利がある。誰にも迷惑かけないようにしたいが、所詮自語りだ。あまり、楽しませることが出来ない。

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