【018】誰が為の悪

 竹刀を構えながら朝桐と向かい合うが、腕にはしびれるような違和感が残っていた。だが、麻痺した左腕を庇っている余裕は今はない。冷酷な気迫は怪物のそれとは比べ物にならなかった。竹刀を強く握りしめなければ震えが止まらない。

「葉凪、どけよ」

 朝桐は先ほどの出来事を認識していないような素振りを見せる。では、こちらから一方的に干渉しただけなのか、そんな疑問が一瞬頭を過ぎったが、それは後々考えることにして、まずは眼前の朝桐を見据える。

「どいたら何をするつもりだ?」

「お前には関係ねえよ」

「なら、どけねえ。俺はお前を止めるためにここにいるんだからな」

 朝桐の眼光が鋭くなる。

「邪魔するなら仕方ねえな」

 花弁から黒く淀んだ靄が溢れ出す。それは朝桐の身体を包み込むや否や、甲冑の様相へと変貌へんぼうを遂げた。それは禍々しく、そこに存在しているだけで萎縮してしまうような威圧感を放っていた。

 今退いたら何になる。そう思い、己の震える身体を必死になだめる。そんなことを意に介せず朝桐は一歩踏み込む。攻撃が来る方向を予測し、なんとかそれに合わせる。が、重たい一撃は竹刀では受けきれず、身体がよろける。

 まずい、そう思った時にはもう遅かった。二手目の竹刀は防具がない脇腹に命中し、一瞬呼吸が止まる。激痛で身体がうずくまる。

「退いてろ」

 うずくまった自分の肩を目がけて朝桐は蹴り飛ばす。抵抗力を持たない肉体は簡単に転がった。

「くそっ待て、朝桐……!」

 彼を止めようと必死に虚空に手を伸ばす。しかし、先ほどの激痛に加え、朝桐の記憶に干渉してから身体が思うように動かない。このまま瞳を閉じれば楽になれるだろうか。そんな甘言に飲み込まれそうになった瞬間、辷部長や天鈴に囲まれて嬉しそうに笑う朝桐を思い出す。

 いや、まだだ。まだ、なにかしら手段はあるはずだ。

「なあ、今のお前を見たら部長たちはどう思うんだろうな」

 振り絞った言葉に朝桐は僅かだが反応を示す。

『私たちがしているのは夢を叶える慈善事業じゃない。言うなれば人の願いを打ち砕く"悪"そのものよ。そのことをゆめゆめ忘れないことね』

 未守の言葉がふと頭に過ぎる。ああ、そういうことか。視界は揺らぎ、足元はおぼつかない。それでも自分には立つ理由がある、予感がある。まだ、彼を引き戻すことができるはずだ。

「はは、わかったよ。なればいいんだろ? その"悪"とやらに」

 愚痴のように言葉を吐き捨て、竹刀で自重を支えながら、なんとか立ち上がる。

「なあ、朝桐。お前、居場所が欲しかったんだろ?」

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