[一四日目 14時37分・現実世界]

全世界が注目する中で行われた通信の日から一週間以上がたった。


その日数の経過が、「まだ」なのか「もう」なのかは人によるが、現実世界は動き続けている。


コンビニにアメリカンドッグを買いに行った帰り道。自分たちの分室を置いた雑居ビルのエントランスで、藤川議員は男に呼び止められた。


自分を守り、そして監視していた男は、借りていた部屋の鍵を返した。


「清掃ですが……」


「軽く片付けておいてくれているでしょ。いいよ。あとはこっちでやっておく。引き上げるんだね。ごくろうさん」


引き上げる理由も、相手の正体も聞かずに藤川は握手をもとめた。手が握られる。大きな、強い手だな、と思う。


「また新しい仕事かい?」


「はい。また明日から」


働きすぎは良くないよ、という言葉に、男は笑みのようなものを浮かべた。


「働きすぎなければ、こなすことができない。そんな仕事も世の中にはありますので」


「すまないね。政治家としては『それはいかん。そんな世の中は私が変える』とでもいうべきなんだろうが……」


肩をすくめた藤川にもう一度笑みのようなものを向けると、男は立ち去った。エントランスを出ようとするところで振り返る。


「藤川先生は、いずれはどこかの大臣になられるおつもりですか?」


「いいや。俺が議員になったのは、親父の地盤を従兄弟が受け継ぐための橋渡しのためさ。悪名高い世襲政治家としての務めは果たした。次の選挙で引退するよ」


「そうですか。気が変わることを祈っています。あなたの下で一度は働いてみたいと思っていますので」


「最高の誉め言葉だね」


藤川は笑った。


「元気で」


「はい、先生も」


男を見送る。エレベーターのボタンを押そうとして、藤川はコンビニに入っているアメリカンドッグを見た。次いで階段に目をやる。


「あまり意味はないだろうけれどもなぁ」


最後は少し息を乱しながらも階段を上り切り、部屋に入る。幼馴染の官僚がネクタイを締め直していた。藤川議員はアメリカンドッグの入った袋をテーブルの上に置き、向きあうかたちで立った。


「まだ曲がっているぞ」


ネクタイの角度を直す。


銀縁の眼鏡に、隙のないスーツ姿。どこから見ても完璧な官僚の姿となった梶原の肩を叩く。


「おつかれさん。どうする? ビルの入り口まで見送ってやろうか?」


藤川の冗談に、官僚は少し考えるようなそぶりを見せた。


「峰岸くん。君の先生を少し借りるぞ」


「はい、どうぞ」


片付けのためにエプロン姿になっている峰岸秘書が出てきた。


「延滞にはご注意くださいね」


ああ、とうなずくと、官僚は秘書に手を差し出した。峰岸が握り返す。藤川は幼馴染に続いて再びビル一階のエントランスにもどった。


「竹内本部長からお前宛に連絡があった。看板は下ろさないが、組織は格段に小さくなるそうだ」


「あの後、『運営』もなにも言ってこないしね。結局、いまの状態がこの事件の結末ということか」


そうだな、と官僚はうなずいた。


「俺は別件に回されるだろう」


「ロウちゃんみたいな優秀な人間を、よく中央省は貸し続けてくれたよね。評価書の依頼がきたら最高点をつけておくよ」


「期待しているぞ」


梶原は、幼馴染の政治家を見た。


「お前は大臣を目指さないのか」


その言葉を聞くのは、今日で二回目だな、と藤川は頭をかいた。


「どこかの組織を率いるなんて俺には向かないよ」


「そうか。お前が大臣で、俺が事務次官。そういうのも悪くないと思ったのだがな」


「言うね。ま、俺はさておき、ロウちゃんならきっとそこまでいけるさ」


「もちろんだ」


二人は、子供の頃と同じように手を打ち合った。官僚を見送ると、藤川はエレベーター前に戻った。再び階段を見る。


「うん、一日二度も上ることはないよね」


エレベーターで戻ると、秘書がお茶を出してきた。礼を言って受け取る。


「先生は、このあとどうなされるおつもりですか?」


「とりあえず本部と合流だね。大先生からの命令はまだ続いているからね。とはいえ、国会が開いた後はどうなるかな……委員会の方あるしね」


まずは本部ですか、と秘書はディスプレイを見た。


あいも変わらず「ザ・ゲーム・ショー」に関連した情報は更新し続けている。だが、その内容は大きく変わっていた。


意識不明となった――ゲーム内に意識を閉じ込められた高橋圭太郎の帰還。


それは既に過去の話となった。いまは、肉体的は死にながらも、ゲームの中で生き続けていることへ、そしてそれを可能としている『運営』の技術へと人々の興味は向いている。


「竹内先生は、官房副長官の座を返してでも、本部長を続投する意向のようですね」


「あの人、責任感が強いからね。一名未帰還。それは決して竹内先生の責任ではないけれども……本人はそう考えていないみたいだね」


「先生の責任でもありませんよ」


「うん、ありがとう」


お茶を飲み干すと、藤川は大きく伸びをした。そこで自分がアメリカンドッグを放置していたことに気付く。中を見る。既に蒸気で皮はへにゃへにゃになっていた。


眉を寄せる藤川議員に、峰岸秘書はたずねた。


「先生はまだ、高橋圭太郎君の帰還をあきらめていないのですか」


「まあね」


「もはや『運営』は去りました。これ以上の手掛かりもありませんよ」


「そうだね。とはいえ、今回の件で、『運営』についてわかったことがあるよ」


藤川は目を上げた。


「あちらさんは圧倒的に進んだ技術を持っている。知識も桁違いのものだろう。それは俺たちにとって神の御業とか、魔法としか呼ぶしかないものだろうね」


だが、と藤川はアメリカンドッグにかぶりついた。


「精神性というか、思考においてはさして隔たりがない。最後にまとめた報告書に書いただろ。最後の質問は『高橋圭太郎を殺すことで、命というものの定義に関する新たな情報を開示する』というものだった。あの配信を見ていたほとんどは、おそらくこう思ったはずだ。『知識は欲しい。だが、人を殺してまでそれを得ることは倫理的に問題がある。しかし、得られる対価を考えれば、一人の命など軽いものなのではないか』と」


「そして、『運営』はそれに対して、高橋圭太郎の肉体を殺し、同時に、ゲームの中で、意識が……精神が生きているという状況を、我々に見せました」


ああ、と藤川はうなずいた。


「利益を追求する心と、社会の維持のためにそれを制する倫理という矛盾した二つを抱え、折り合いをつけながら俺たちは生きている。そしてその在り方に対して、『運営』は『同じ未来を共有する日を楽しみにする』と返した」


藤川は脚を組んだ。


「利益のために全てを無視するのではない。理想のために実利を全て投げ捨てることもしない。この不完全としか言いようのない知的生命体であるからこそ、『運営』はヒトをいつか共に歩ける存在として――友人となる可能性を見出したのではないか……と俺は思うよ」


まあ、必ずしも仲良くなれるかどうかはわからないがね、と藤川はわらった。


「証拠はなにもありませんね」


「ああ、証拠はなにもない。俺のただの憶測だ。希望的観測がたっぷりとつまった、なんの意味もない戯言だよ」


秘書しばらく黙ると、話を別のものへと変えた。


「ところで、先生は大臣を目指さないのですか」


「またそれか」


藤川議員は渋い顔をすると、窓の外に目をやった。空が青い。


いま気づいた。

どうやら、今日は晴れらしい。

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