[六日目 09時56分・ゲーム内]

二人きりになり、なんとも言えない沈黙が続いたところで、詩乃が「座ろうか」と声を掛けた。壁に背を預ける形で二人が座る。


そして。


不意に詩乃がうつむいた。顔をおおう。嗚咽がこぼれる。肩がふるえる。


俺がいるから安心しろよ、とささやきながら肩に手を回して抱き寄せる――ということができていれば、こんな苦労などしない。


圭太郎くんは困りながら自分の膝においた手をにぎにぎした。


現実世界では「なんだその意味のない行動は」「手を握ることもできないのか」「声ぐらいかけろよ」「これだから、へたれは」などというまことに的確な叱咤が飛びまくっているのだが、それらが一切届かない世界で、圭太郎くんは意を決したように顔を上げた。


正面の壁を見ながら、唇を開く。


「……怖かった?」


うん、と詩乃はうなずいた。


「いきなり襲われて……真っ暗になって……気づいたら洞窟の中にいて……よく見たらゲームのコスプレみたいな恰好をしているし……またモンスターが襲ってきて……真っ暗になって……そんなことを何度も繰り返して、繰り返して、ようやく勝って、前に進めるようになったのに、歩いても歩いても、上っても上っても出口は見えなくて……」


圭太郎は、ただ「うん」とだけ相槌を打つ。それに促されるように、詩乃は溜まっていたものを全部吐き出していった。


少年はただ相槌を打ち続ける。


「……ありがとう、高橋。こんなどうでもいい話をいつも聞いてくれて」


「気にしないでよ。友達……」


でしょ、という言葉で結ぼうとして、圭太郎は横の少女に視線を向けた。


向けてしまった。


濡れた瞳が目に入る。かわいい、と思ってしまった。好きだ、という思いが全てを飲み込む。


そんなことを思っている場合じゃないだろう、ということは自分でもわかっているのだが、止まらない。見つめ合う形になる。詩乃がとまどったような顔をした。それですら愛おしい。


この人と一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。叶うことであれば、守り続けたい。この人が笑顔であり続ける毎日を――。


口が開いた。


だめだ、というのはわかっている。受け入れてなどもらえないし、彼女を困らせるだけだし、なによりここは告白などするような場ではない。


ない、けれども。


「好き、です」


言葉がこぼれた。


「え……あ、そ、それは……」


えー、なに言っているの、というか、なにが好きなの? あ、もしかして、あれかな? あそこのケーキ、美味しいよね――というごまかしかたも、詩乃にはあったはずである。


だが、少女は、同級生の言葉をちゃんと受け止めた。受け止めて、そして。


「ありがとう……」


でも、という言葉が続く。


「……ごめんなさい」


うん、と圭太郎はうなずいた。失恋の痛みが全てを包む前に口を開く。


「ありがとう。あと、ごめん。こんなときに言うべきことじゃないのはわかっていたんだけれども。なんだか止まらなくて」


「う、うん。そうだよね。わかる。なんか止まらないことってあるよね」


あははは、と互いに取り繕ったようなわらいが二人の間に交わされた。


そして、なんとも言えない沈黙が落ちる。


二人を救うように、イルヴァとリズの足音が近づいてきた。


「スキル使用が可能な時間となりました」


リズから告げられ、システムを確認する。ログアウトが可能となっていた。圭太郎が立ち上がり、詩乃もそれに続く。


「それじゃあ、送るね」


「うん」


圭太郎はスキルを使用した。大好きな、そして同時に、想いが届かなった同級生が光に包まれていく。


「あ、そうだ。向こうに戻ったら、うちの親に伝えて。『帰るの、少し遅れる』って」


「え?」


詩乃のそれ以上の言葉はシステムが許さなかった。宮内詩乃は、完全にこの世界から消えた。


「泣きそうな顔をしているね、ケー君。どうする? なぐさめてあげようか?」


「いま優しくされると、絶対に泣きじゃくるのでやめてください。というか……」


圭太郎は二人を見た。


「もしかして見ていた?」


いやいやまさか、とイルヴァは首を横に振った。


「あたしは聞いていただけだよ。狼は耳がいいからね」


「そんなどうでもよさそうな設定が、おいまさら開示されるとは……」


念のためもう一人のNPCへと目を向ける。

リズが感情を伴わない声で答える。


「わかりました、おまかせください。高性能プレイヤーサポートキャラとして、一言一句、片言隻句に至るまで完璧に繰り返してみせましょう」


おおぉぉぉ、と圭太郎君は頭を抱えた。まさかこの二人に知られていたとは。


目の前に片想いの相手がいたからこそ、かろうじて踏ん張ることができていたもろもろの感情が一気に襲い掛かってきた。身もだえする。


まあ実際は、二人どころか現実世界で億を超える人たちに目撃されたわけだけれども。


「さて、と。これでケー君が自分にスキルを使うことができれば、それで終わりだね」


イルヴァがやさしく頭をなでてきた。


こういうときにそういうことをされると、あやうく恋に落ちそうになるので、あわててあとずさる。


そうですね、リズがうなずいた。


「またお会いする機会があるかどうかはわかりませんが、これでわたしの役割も終了です。現実世界にもどったら、存分に失恋をかみしめる日々をすごしてください。なにはともあれ、お気を……」


彼女の別れの言葉を圭太郎が遮った。


「あー、そのことなんだけれどもね」


圭太郎くんは表情を改めると、二人に向かい合った。


本人にしてみれば、そんなに重い決断ではなかった。ここに至るまでの諸々のことと、さきほどの告白から続く感情がたまたま組み合っただけのことである。


だが。


それは結果として、人類史における転換期を生み出す言葉になった。


「もうちょっと付き合ってくれないかな。『破竜グリド』と戦いたいんだ」


二人の表情を見て、静かに口を開く。


「惚れた相手を泣かされたんだ。とりあえず、一発ぶん殴りにいくよ」

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