[六日目 09時07分・現実世界]

「おかえりなさい、先生!」


出迎えてくれたのは秘書の峰岸だった。めずらしく声が弾んでいる。


「なにかいいことあった?」


「『運営』から返信がきました」


藤川議員はディスプレイ前に足をすすめた。電話で話した件を基にした仮説は、既にまとめて本部と運営に提出したという。それに対して、本部からは受け取りの返事があり、そして、運営からは――


「『同じ未来を共有することができれば、これ以上の喜びはない』か」


おめでとう、ロウちゃん、と藤川は振り返った。ソファーの上で身体を行儀悪く崩している官僚が右手を上げて答える。


「正体不明、理解不能の相手だが、それでも影を踏むことはできたみたいだね。これはロウちゃんの手柄だよ」


「俺たち三人の、だろ」


梶原は身体を起こした。


「この返事についても、本部に報告済みだ。本部長から直接連絡があった。お前が帰ったら連絡が欲しいということだ」


「了解。でもその前に、峰岸ちゃんの入れてくれた美味しいお茶が飲みたいな」


少々お待ちください、と秘書がお茶を入れはじめた。柔らかい香りが部屋にただよう。


「正体不明の味方はどうした?」


「下の階にいるよ」


ああ、それから、と藤川は礼と共にお茶を受け取りながら話を続けた。


「大切な証言をしてくれた、宮内詩乃さんの想い人である彼と、その恋人さんとのことだけれど、双方のご家族さん相手になんとか常識の範囲内で話を収めてきたよ。ま、親御さんたちは勘づいていたみたいだけれどもね」


「政治家のする仕事でもないだろ、それは」


「まあね。でも、お話を聞いた。あとはご自由に、というのも気が引けるだろ。話しにくいことについて高校生が勇気をもって口を開いてくれたんだ。それに対しては、大人としてそれなりのものを返すべきだと思ってさ」


官僚は肩をすくめると、再びソファーにだらしなく座った。


着信があった。峰岸秘書が受ける。


「先生。立花さんからです」


「文ちゃんおばさんか」


端末を受け取る。この件に自分たちをまきこんだ大政治家の腹心の秘書の声が聞こえてきた。


『先生からの伝言です。「よくやった。引き続き対応につとめよ」とのことです』


「かしこまりました、とお伝えください。文ちゃんおばさんの方はだいじょうぶ? 宮内家と高橋家のお世話係なんていう、地味で、報われなくて、ひたすら面倒な仕事を一人で……」


『秘書の仕事というのは、地味で、報われなくて、ひたすら面倒なものですよ』


初老の女性は笑いを含んだ声で答えた。


『とはいえ、気遣ってくれたことについては、うれしく思いますよ。宮内、高橋両家のご家族ですが病院に向かいました……ああ、いま連絡が入りました。到着したそうです』


「そうですか」


そっと息を吐く。結局、自分たちは三人の意識回復に――帰還に、なんら寄与することはできなかったな、という思いがある。


ちくりとする胸の痛みは自分の奥にしまい込むと、藤川は明るい口調で話をつづけた。


「文ちゃんおばさんも、少し休んだ方がいいんじゃない? 湯治なんてどうかな? 大先生ともども、うちの地元の温泉にご招待しますよ」


『考えておきますね。そうそう。招待だけでいいですよ。あなたの接待は不要です』


「えー」


『そんな時間があったら、仕事をしなさい。国会議員でしょう、あなたは』


「国会議員にだって休みの日くらいはありますよ」


『ありませんよ。あなたがそのバッジをつけている限り、あなたは国会議員です。仕事以外に使うことのできる時間なんて一秒もありません』


いかん、お説教モードに入った。あわてて話をそらし、強引に切り上げる。


横で、官僚と秘書が笑っていた。当初に比べれば、確かに仲は良くなったらしい。                                                                                                                                                                                                              


藤川は本部に連絡を入れた。本部長につながる。挨拶とねぎらいの言葉に続き、竹内本部長は重いため息をついた。


『なにもできなかったな、我々は』


「はい」


ともに仕事をしてきた間柄のみが共有できる沈黙が落ちる。


『まだ終わっていない。おそらくこれはなにかの始まりなのだろう。だが、まずは三人が無事に目を覚ますことを祈ろう。その結果を得ることができれば、我々がなにもなしえなかったことなど些細なことだよ』


「そうですね」


藤川は手近な椅子に腰を下ろした。足を遊ばせる。


「ですが、本部の人間は最善を尽くしました。私と共に仕事をした優秀な官僚も、優秀な秘書も同様です。自らにできる最高の仕事を世界中の人たちがしました。及ばなかったのは、相手が巨大すぎただけです。我々は、我々がなしうる最高の仕事をしました。結果は誇れるものではありませんが、その事実は揺らぐものではありません」


『良い言葉だ。本部の皆にもそう言っておこう』


「本部の方はどんな雰囲気ですか?」


『まだ、誰もが忙しく働いているよ。君のところから送られてきた報告書については、こちらでも共有させてもらった。各国も同じ意見だ――もっとも、相手の正体がいま現在も不明のため、どの国も「運営」は高度な技術を持った集団であり、配信されている映像は作られたものである、という建前を崩していないがね』


「その可能性もまだ残っていますからね」


そうだな、と竹内は応じた。


『いずれにせよ、まだなにも終わっていない。引き続き対応にあたってくれ』


「かしこまりました」


通信を終了した。


時計を見る。まもなくエレベーターが、目的の階につく時間だ。


大型ディスプレイには『運営』からの配信が映されている。中にいる少年と少女、そして二人のNPCはただ静かに到着のときを待っている。


藤川はディスプレイ前のソファーに腰を下ろした。その両脇に、優秀な官僚と、有能な秘書が座る。


三人が見つめるその先でエレベーターが地下迷宮八十四階に到着した。


史上最高の視聴者数を誇り、そして人類史に記録される配信が始まった。

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