[六日目 07時22分・現実世界]

官僚の梶原と、議員秘書の峰岸は向かい合ったまま座っていた。


残る一人の藤川は、というと一度は戻ってきたものの「ちょっと行ってくるよ。心配しないで。特に知りたい事項があったらメッセージを入れておいて」というどう考えても心配するしかない言葉を残してどこかへと行ってしまった。


残された方としては、こまごまとした雑用を片付けていたのだが、残念ながら才能というものに恵まれた二人である。雑用はあっという間に片付いてしまった。


というわけで、手持ち無沙汰な状態で向かい合っているわけだが、眼鏡の似合う怜悧な官僚と、美貌の青年秘書というのは、絵になる組み合わせではあるものの、会話というものがいまいちはずまない。


幾度目かの緊張の波が襲い、幾度目かの居心地の悪さが訪れたときだった。


二人をからかうように、藤川から連絡が入った。秘書が受ける。


『わるかったね、峰岸ちゃん。ロウちゃんの相手、大変だっただろ』


「いいえ。とても盛り上がっていました」


それはよかった、という笑い声に、車の走行音が聞こえた。どうやら移動中らしい。峰岸は、端末を向かいに座る梶原へと渡した。


「それで、どうなった?国会議員のバッジを使った分の情報はとれたんだろうな」


『議員バッジは偉大だね。こんな朝早くから仕掛けた無茶がとおったよ――本人からも直接話を聞くことができた。結論だけ伝えるね。まず、恋人さんとの連絡の件。端末やネットを通してのやりとりは、この半年間一回もしていない。お手紙をやりとりしているところは、監視カメラの範囲外。その筋の専門家に……』


専門家でいいんだよね、と同乗する誰かに話しかける声が聞こえる。


『専門家に分析してもらったが、周囲の監視カメラから、その場所に向かうのが愛し合う二人のみであると判断することはできないだろう、とのこと。恋人さんのマンションも同じ。高校生男子が、恋人さんの部屋に向かうことを断言するに至る情報はどこにもない』


「そうか」


通信越しに沈黙が落ちる。


『やっぱりなんの役にも立たない情報だった?』


「まあな。俺の仮説に沿う事実ではあったが、それ以上のものはない。だがまあ、ワイシャツの袖口についた染みがとれた程度には、すっきりしたよ」


『そりゃよかった。あれは気になると、他のことが手につかなくなるからね……で、なんだったの、ロウちゃんの仮説って。いま隣に人はいるけれども、問題がなければ聞かせて欲しいな』


「そこに一緒にいるのは……」


『正体不明の味方だね』


明るい声で藤川議員が答える。


官僚は唇の端をわずかに上げた。やはりお前は政治家に向いているよ、という言葉は心の中だけにとどめる。それを言うのは気恥ずかしいし、なによりも――いまさらそんなことを言わなくても通じるだろう、という思いがある。


「たいした話じゃないさ。どうやって『運営』がその少年の隠していた恋愛事情を知ったのかが気になっただけだ」


一つ呼吸をはさむ。


「『運営』は、人の心を読み取ることができる――そんな冗談のような仮説に沿う事実が一つ出てきただけだ」


『すごい発見じゃないか』


「でもないさ。根拠といえそうなものは、その同級生の『誰にも言っていない恋愛事情を「運営」が知っていた』という事実だけだ。反論はいくらでもできる。現に俺自身でさえ、いくらでも思いつくからな――否定も、同程度の信憑性しかない他の仮説もな」


『否定も、別の仮説も他の人に任せようよ。その仮説を進めて、うまくまとまるようなら「本部」と……そうだね、「運営」に送り付けて。俺のサインは省略していいからさ』


それじゃあまた後でね、と藤川議員は通信を切った。


横に座る男が――どこぞの国の諜報員から守ってくれた謎の男が、感情のない声で尋ねてきた。


「この件、相手が人間ではないという噂は本当ですか」


「証拠はなにもないよ」


藤川は窓の外に視線を移した。


「肯定するものも、否定するものもね」


窓の外にはいつもの日常がある。


藤川は再び視線を車内へと戻した。横に座る男、助手席に座る女、そして運転する男のいずれの肩にも言いようのない緊張感が乗っている。


「そんなに硬くなることはないって」


その中で、いつもと同じ口調で藤川は口を開いた。


「お互い、やるべき仕事に変わりはないでしょ。相手が何であろうともね」

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