[六日目 06時07分・現実世界]
いろいろと感情のこもった琴音ちゃんの吐息であるが、その部屋にいる三人には気づかれなかった。
では、その部屋にいない人にはどうなのかというと、うん、全世界に配信中であるということで、いろいろと察していただきたいです、はい。
ともあれ、これまでと同様に琴音ちゃんの様子はさまざまな人に見られることになり、両親は微妙な顔になり、友人たちは沸き立ち、見知らぬ人に話のネタを提供し、そして各国の分析機関に精密かつ詳細に分析されることになった。
そしてその情報は対策本部の分室である、藤川議員たちのところにも届けられた。
「峰岸ちゃん、これなに?」
「本部が更新した情報です。本件に関係する各人のおよびその関係図ですね」
秘書の返事に、議員は頭をかいた。
新しい情報はいいのだけれども、そこに描かれているのは宮内姉妹と高橋圭太郎くんの関係を三角形で表示して、そこに矢印でそれぞれの情報が引っ張られているものであった。
わかりやすくいうと、ラブコメマンガの単行本巻頭で表示されるあの関係図である。
本部の様子を思い浮かべると、藤川議員は小さく笑った。あそこに席を持つ人たちがまじめな顔でこれを作ったと思うとなんだかおかしな気持ちになる。
いや、おかしがっていられる立場と状況でないことはわかっているが。
「だめだな。打つ手がなかなか見つからん」
気分転換に風呂に浴びてきた官僚が髪を拭きながら部屋に入ってきた。大型ディスプレイ前で、恋愛情報を眺めている幼馴染の横に立つ。
「なんだこれは」
「これはね――」
藤川の説明に、梶原は苦笑した。
「本部も大変だな」
「だよね。ご丁寧に色使いまで華やかにして。あちらさんもいろいろとたまっているんだろうね。どうする? 気分転換にこの三角関係の分析でもしてみるかい」
そうだな、と言いながら中央省の官僚は三人とそれに付随した関係図を眺めた。
目的すらわからないままにひたすら稼働を強いられていた頭が、別の刺激を受けてほぐれていくのがわかる。
官僚はディスプレイに指をすべらせた。
宮内琴音からは、「恋心?」と書かれた文字と共に、黄色い線が圭太郎へと引かれている。
高橋圭太郎からは「恋心」と書かれた文字と共に青い線が宮内詩乃へと引かれている。
そして、宮内詩乃からは別の少年に向けて「恋心」と書かれた文字と共に青い線が引かれ、その少年からはまた別の女性に同様のものが……
「ん?」
梶原は眉を寄せた。
なにかが引っ掛かる。その引っ掛かりを探すために、図の上で指をなんども往復させる。注釈を確認する。そしてまた指を動かす。
「どうしたの、ロウちゃん」
「なにか違和感が……」
藤川は秘書を呼んだ。自分に代わって官僚の横に立ってもらう。
「峰岸君。この関係図の色の違いだが……」
「注釈にあるとおりですね。本表は運営の発表または配信、および関係者への聞き取り調査に基づき作成されたものです。青は確定情報。黄色は類推または未確定を指します」
官僚は眉を寄せた。
記憶の引き出しを開けていく。
「……高橋圭太郎くんから宮内琴音さんへの想いは、配信の中で本人が語っている。宮内琴音さんからこちらの少年への想いは――」
資料を呼び出す。
「周囲の人たちからの聞き取りで判明している。そしてその少年に恋人がいることもまた、本人への調査で確定……確定?」
梶原は手元の端末を操作した。
本部の資料に接続し、求めている情報を探す。
「なにか見つけたのかい? ロウちゃん」
「まだわからん」
見つかった。
再生された動画ファイルは、高橋圭太郎君の個人情報流出の際、運営から配信されたものであった。
『高橋圭太郎くんに関し流布された情報につき、確定的な事項とそうではないものが混在しています。混乱を避けるため、我々は、以下の情報を開示します。高橋圭太郎くんが好きな相手が同級生の宮内詩乃という少女であるか否かは、配信の内容を見てご判断ください。ただし、彼女はこの世界に閉じ込められたプレイヤーの一人であるという情報は正しいです』
いまひとつ緊張感に欠ける内容ではあるが、官僚はまじめな顔でそれに聞き入る。
いったいなにを、と首を傾げる議員の前で、彼の秘書もまた同様の顔で配信を見つめだした。
『また、彼女には別に想いを寄せる相手がいることは不明です。ただし、その相手には別の女性に対する恋心があり、それに基づき交際をしている女性がいることは真実です』
「確認したい。峰岸君。『運営』は高橋圭太郎くんおよび宮内詩乃さんの恋愛感情について、なんら確定的な情報を出していないね」
「はい。その後の配信内容で、確定とはなりましたが、それは、あくまで本人の発言によるものです」
「しかし――」
官僚は一つの矢印を指さした。
高橋圭太郎から宮内詩乃への矢印――ではない。その先にあるものを、同級生から別の異性への矢印に指を止める。
「なぜ『運営』は、この同級生の恋心などというものについて、確定情報として出すことができたんだ? いつ? どうやって運営はそれを知ったんだ?」
秘書は自分の机に戻ると、検索を行った。
「いま現在、こちらで確認できる根拠は、その同級生自身によるものだけです」
「これはSNSへの書き込みに関連して発信されたものだ。そしてその内容のうち『真実である』として発表したのは、この同級生のものだけ――つまり、『運営』はこの内容を裏付けるに足るなにかを持っているということになる」
官僚は眼鏡の位置をなおした。
「この宮内詩乃さんから想いを寄せられている人物の情報は?」
「ディスプレイに出します」
秘書がキーボードを操作すると、官僚の前に一人の少年のデータが表示された。住所や氏名などの一般的なデータのほかに、この事態に巻き込まれているということで、警備のための人が派遣されているということも記載されている。
それから。
「『丙級機密』か」
なにそれ、と議員が尋ねる。
「緊急性はないが、秘匿性を要する情報だよ。まあこの場合だと、彼の恋愛関係に関するものだろうな」
梶原は本部に連絡を入れた。自分の身分を伝え、機密の解除を要請する。すぐに手続きがなされた。情報が開示される。
官僚がまた眉を寄せた。
横から覗き込んだ藤川が頭をかく。
彼の恋人に関する情報がそこにはあった。
情報の入手は、聴取によるものと記録されている。
相手は教師。
彼が通う学校の教員である。同時に幼馴染という関係でもあるらしい。もちろん内密であり、自分に恋人がいることを話したことはあるが、相手につながる情報については誰にも喋っていない。
そして端末を使っての連絡は一切してない。
「会う場所は、週末に彼女さんのマンションのみ。緊急を除き、用件がある場合は秘密の場所に手紙をおいてやりとりしている――か」
藤川議員が頭をかいた。
「映画の題材にでもなりそうな関係だね」
「ああ。問題は、この状態でどのように『運営』が二人の関係を知ったかだ。ネットを介しての情報収集が可能だとしても、二人は端末をつかった連絡をおこなっていない。過去の行動を分析した……いや、推測は可能かもしれないが、それだけでは確定するに足るものであるとは言い難い――なにより『恋心』などという内心の部分をどうやって確定情報として……」
「防犯カメラの映像などに記録された行動を分析して……というのはどうでしょうか?」
峰岸秘書が応じるものの、その口調はいまひとつ冴えない。
その横で官僚の瞳が不意に大きく開いた。自身の脳裏に浮かんだものを再確認するように指が宙をなぞる。
「ロウちゃん、これ気になる?」
「ああ。俺の仮説に沿う情報が出れば、これは重要な――いや」
官僚はしばらく宙に目をやった。そして首を横に振る。
「調べる必要はない」
「どうして?」
「これを調べて新事実を得たところで、いま思いついた仮説のみが補強されるわけではない。いくつもの推論に適用できる材料が増えるだけだ――さしたる価値はないな」
「なるほどね。うん、わかった。ちょっと調べてくるよ」
藤川議員がネクタイを締めた。いまからそっちに行くよー、と天井裏に――そこに設置されているであろう盗聴器に向かって話しかけると、同行しようとする秘書を手で制して、廊下に通じる扉を開く。
「おい。言っただろう、さして価値はないと……」
幼馴染の言葉に、藤川はいたずらがみつかった子供のような笑みを浮かべた。
「いま俺たちがするべきことは行動だよ。なにかを得ることができれば、それは一つの成果となる」
「成果と呼ぶことのできるものではない可能性が非常に高いぞ」
「たとえそうであったとしても、別の誰かには貴重な情報となるかもしれないだろ。塵も積もれば山となる、というやつさ」
それにね、と言葉を続ける。
「最近知り合いになった人と、一緒に仕事をしてみたかったんだ。こういうのを調べるのも得意そうな人だし、ちょうどいま下の階に居るから、頼んでみるよ」
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