[五日目 11時09分・現実世界]

「いやぁ、悪かったね。せっかく人と車を用意してもらったのに、同行できなくて」


背の高い外国籍の男たちの肩を親し気に叩くと、衆議院議員の藤川は財布を取り出した。無造作に高額紙幣を数枚取り出し、戸惑う男たちの一人のポケットへ強引に突っ込む。


「手ぶらで帰すのもなんだし、それで何か食べていってよ。トンカツとか美味いよ。あと、日本式のカレーと合体させたカツカレー。こいつも俺のおすすめ。カツカレーはね、追加料金を払ってでもソースを大盛にするのがおすすめだね。あ、そうだ。一応、名刺を渡しておくよ。困ったことがあったら連絡してくれ」


強引に押し付けられた名刺を手に、男たちは戸惑ったまま自分たちの車に戻った。乗り込む前に拉致対象をもう一度見る。視線を受けた藤川議員は、緊張感のかけらも感じさせない顔で、愛想よく手をふってきた。


気圧される、というよりも、むしろ化かされたような気持になる。


反応に困ったまま男たちは車にのった。それが去るのを見送ると、藤川は振り返った。


そこには三人の男女がいた。


「守ってくれてありがとう」


頭を下げる。


「ところで、公安の人かな? それとも陸軍?」


「さきほどお渡ししていた紙幣についてはどのような意図が?」


答えの代わりに質問が返ってきた。ああ、あれね、と笑う。


「いやがらせだよ。知り合いに堅物の官僚がいてね。仕事をしていて一番困るのが、付け届け――ワイロなんだって。受け取るわけにはいかず、断るにも気を使い、間違って手元に届いてしまうと返すために面倒な手続きが必要となる。かといって手元にしまうと、あとあと発覚した時にえらいことになる――儲けがないくせに、とにかく手間だけが掛かるってね」


そうだ君たちもどうだい、とスーツの内側に突っ込んだ手を一人が押しとどめた。いらないのかい、というとぼけた問いに、苦笑が返ってくる。


なら代わりにこれを、と議員は複数の鍵が束ねられたキーホルダーを差し出した。


「これは?」


「いま俺たちがいるビルの予備キー。こいつが通用口ので、これが俺たちのいるフロアのやつ」


んで、と残る一つを指さす。


「これが一つ下の階のやつ。中には机と椅子と八人分の寝具が用意してあるよ。電気、ガス、水道、通信などなどは好きに使って。表で見張るのも大変でしょ」


一瞬の躊躇の後、代表らしき男が無言でそれを受け取った。それじゃあまたね、と手を振ると、藤川は男たちの視線を受けながら雑居ビルに入った。


そして、誰の目からも見えないところで、壁にもたれかかる。


「……怖かったぁ」


情報を引き出すための要人誘拐というものを、知識としては持っていたが、心構えはまったくなかった。虚勢を張る相手がいなくなったので、遠慮なく足が震える。


太ももを数度叩き、強引に足を日常のものに戻す。一つ息を吐くと、藤川はエントランスに置かれた自動販売機まで移動した。甘すぎる缶コーヒーを買う。


「どこもかしこも、手詰まりってことか……皆が腹の内をさらし合って、協力して知恵を集めれば……」


頭をかく。そんなことができるのなら、この世に政治家などいらない。


携帯端末を取り出す。


この件について、表面上、世の中は平和に盛り上がっている。高橋圭太郎の映像にずっと張り付いているのは極少数派だが、彼にまつわる情報は、ほとんどの人間が一日に一回は接している。


無数の感想に、無数の考察。それがいくつもの言語で行われている。これだけの意見が出ているのだから、どれか一つくらいは真実と重なっているものもあるのだろう。


いまの段階で見分けることはできないが。


『運営』の公式情報を見る。複数のアンケートが行われていた。残る一人のプレイヤーへの合流時間を短くするアイテムを与えるか否か、というものだが、圧倒的多数で「与える」に票が入っている。


このままだと――


「明日には、合流か」


早いな、と思う。


「あの狼のNPC。それから彼女との戦闘訓練。いかにも、最後の一人と合流する前に立ちふさがる難関に備えてのものという感じだったが、あの港町に入る前の戦闘以降、それらのものは発生していない」


それが予定通りなのか、それとも展開を急ぐが故に、当初あったシナリオを放棄したのか。


缶コーヒーを開けながら、壁に背を預ける。


あの案内役だというNPCの少女の説明が正しければ、合流をすれば、あとは高橋圭太郎に与えられた特別なスキルを使い、三人は帰還する――はずである。


「『運営』はそこを見せたいのか? だから観客数が減らないうちに一気に展開を加速させている――」


藤川は頭をふった。


缶コーヒーに口をつける。


結局のところ、自分たちがしていることは無駄であり、超常的な力を持つ何者かが見せるものをただ傍観することしかできないのではないか。


端末を手にする。


公式サイトを開く。トップに表示されるのは、相変わらずゲームの中止と配信のメッセージのみ。適当にページを切り替える。サポートページにあたった。問い合わせ先として示されている運営のアドレスには既にいくつものメッセージを送っている。無駄を前提にした作業だが、現在のところ予想通りに無駄となって――


「……ん?」


端末が震えた。新着メッセージが届いた旨の表示が出る。画面をメッセージに移動。差出人を見る。


「――あの人たち、手ぶらで帰して悪いことをしたな」


申し訳なさそうに藤川は頭をかくと、『運営』からの返信を開いた。

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