[四日目 16時22分・ゲーム内]

「街からは出られない。リズに先行してもらおうとおもったら、わたしたちと一定距離異常は離れることができないように設定が変更されている。宿にもどってみたら、部屋は四人部屋しか空いていない」


ベッドに腰かけると、宮内琴音は脚を投げ出した。


「どう思いますか? 先輩は」


「門番の人が言っていたじゃない。街の外に出るための跳ね橋が整備中だって。そのために、街を出る人が足止めを食って、宿が混んでいる。別に不思議なことはないと……」


二歳年下の女の子の冷たい視線を受けて、結論を変える。いかん、いま求められているのは共感であったか。


「いや、確かに不思議だね。どういうことなのだろうね」


「なにが不思議なんですか?」


恐ろしいことに二撃目がきた。いや、そんな、なにが不思議なのかと訊かれても、こっちは場の空気を読んで発言しただけであり、そんな問い詰められても。ねえ。


「……なにか強制イベントのようなことが起きているとか?」


「かもしれませんね。リズたちが帰ってきたら聞いてみましょう」


中学生の少女は、自分のこめかみに指を当てた。


「または、システムの障害……それとも運営がなんらかの意図をもって……」


そこまで呟いてから、目の前でのんきな顔をしている少年の顔を見つめる。


「もしくは、お互いのことを知り合え、ということでしょうかね」


「僕と君の?」


圭太郎の目が丸くなった。


「なんで?」


「お姉ちゃんのところまで行くのに、トラブルがまったく起きないと思いますか?」


行儀が悪いと自覚しつつも脚をばたつかせる。どうもこの人が相手だと、要領の悪い弟に接するような気持になってしまう。


「互いのことを知り合えば、不測の事態に対応できる可能性が高くなります。少なくとも、そうでない状態よりは」


なるほど確かに、と圭太郎はうなずいた。


「とりあえず、重複してしまうところもあるとは思いますが、わたしから自己紹介をしますね。宮内琴音。東景中学の三年です。先輩の同級生である、宮内詩乃の妹。ゲーム内での――」


以降、細かい数字を挙げて、この世界における自分のスペックを説明する。接近戦主体かぁ、と圭太郎が困った顔をした。


「なにか不都合でも?」


「……かなり怖いんだよね、モンスターと近づくのは」


「先輩が怖がりやさんなだけでは?」


「うん、それは否定しない。でも実際に経験してみたら、思っていたのと違った……というのは世の中けっこうあるからね。一応、中距離戦の武器とスキルも用意しておいた方もいいかも」


「持ってはいますが……」


不満そうに琴音は自分のアイテムボックスと開いた。


「当てにくいし、威力も低いから嫌いなんですよね。追尾系のスキルも持っていないし」


どれどれ、と圭太郎は腰を上げ、琴音の隣に座った。横にいる少女の肩に緊張が走った。それには気づかず画面をのぞき込む。


「いまから初級の追尾系スキルを獲得するには……アイテムを掛け合わせば取れるか」


近い、近い、近い、肩がぶつかっている、息が耳にかかっている、というか、いくらヴァーチャル空間とはいえ距離を一気に縮めすぎでしょ、この人。


などと思春期の少女らしく身体をこわばらせる中学生の反応に対して、その辺りの意識が全くない少年は、自分のシステム画面を開いた。


「アイテムの受け取りボックスを開いてくれる?」


「あの、先輩」


「なに?」


「近い、です」


あ、ごめん、と圭太郎は少しだけ身体をずらした。まったく、ちゃんと気を使ってくださいよね、という琴音の抗議に対して、ごめんごめん、と笑う。


二歳違い。高校生と中学生。だから自分が子供扱いされるのは当たり前だというのはわかる。わかるのだが、できの悪いの弟的な雰囲気を漂わせている圭太郎から、そう扱われるのは、なんというか、非常にアレである。


うん、ほら、アレ。


「まったくもう」


誰に向けた怒りかわからない一言をこぼすと、琴音は言われたとおりに画面を開いた。一通りの説明を受けて、アイテムを消費していく。あっさりとスキルが取得できた。


「意外と頼りになるんですね、先輩」


「誰かがネットに上げてくれた知識を使っただけだよ」


さて、次は僕の番だね、と自己紹介を始める。


「高橋圭太郎。光が原高校の二年生。君のお姉さんと同級生。ゲーム内だと――」


「その前に、一つ」


琴音が唇を尖らして目を上げた。


「先輩、会った時からわたしのことを『きみ』と呼んでいますよね?」


「いや、なんと呼べばいいのかわからなくて……ほら、『宮内』だと宮内とかぶるし、『宮内妹』だとなんか失礼な気がするし……」


困ったように鼻の頭をかくのを見て、思わず笑う。なんだ、それなりに気を使っていてくれていたんだ、この人は。


「『琴音』でいいですよ」


それから、と足を組み直す。


「『ちゃん』とかはつけないでください」


「どうして?」


「先輩にはそう呼ばれたくないからです」


話を打ち切るような口調で、そう答えると琴音は一つ息を吐いた。次いで、意地の悪い笑みを浮かべる。いやな予感に、圭太郎は身体をわずかに引いた。その空間に、今度は自分から押し入る。


「ところで、先輩はお姉ちゃんのことが好きなんですよね。一方的に」



現実世界で子供たちの様子を見守っていた高橋家と宮内家の家族は互いの顔を見合わせた。なんとも言えない表情を浮かべ合う。


世話役の立花秘書は、引いた場所で小さく息をこぼした。自分の端末をそっと見る。


他人様の片思いほど面白いものはないらしい。本来ならどうでもいい少年の片想いについての話が全世界を走り回っている。



同時に。


各国にある情報担当機関においては、難しい顔をした大人たちが難しい顔でこの情報を分析していた。いや、高校二年生の片想い情報など分析してどうするのかと思う人もいるかもしれないが、仕事とはそういうものなのである。



この後、各国で高橋圭太郎君の片想いは分析され、報告書が作成され、なかなかの立場の方々の承認を受け、そして公的な記録として残るという栄誉を賜るのだが、自分の言葉がそんな事態を引き起こしていることなど知る由もない中学生女子はぐいぐいと攻めていく。


「告白しないの?」


「あ、い、いや、その、ぼ、僕はなんというか、ね、ほら宮内とは友達であって、こう、なんというか、告白をするとか、しないとか、ね、そういうのはないわけで」


声は上ずり、目はあちこちへと泳ぐ。専門家のプロファイリングを待たずして、あ、こいつは本当に宮内詩乃のことが好きなんだな、というどうでもいい情報が全世界で共有される。その中で、中学生は追及の手を緩めず、横に座る男子高校生を追い込む。


「お姉ちゃん、家でよく話していますよ。『高橋って、すごく親切なんだよ。良い人なんだよ。いつも助けてくれるし、応援してくれるの』」


ため息をつく。


「聞いている方はたまらないですよ。明らかに先輩はお姉ちゃんのことが好きです、て感じなのに、お姉ちゃんはそれに全く気づいていないし――それを毎日のように聞かされて、うわぁー、となるわたしの気持ちがわかりますか」


「……わからないけれども、ごめんなさい」


そう言いながらも、圭太郎の頬に赤みが宿る。


「なんで、少し喜んでいるんですか」


「いや、宮内が家で僕の話をしてくれているかと思ったら、その……うれしくて」


「あくまでも友達として、ですけれどもね」


二歳年上の少年の浮ついた気持ちを容赦なく潰しにかかる。


「お姉ちゃんが他に好きな人がいるのを知っているでしょ。さっさと諦めるなり、告白してふられるなりしてした方がいいんじゃないですか。なんで、つらいのに、良い友達ポジションを維持し続けるんですか」


まことにもって正論としか言いようのない言葉に、圭太郎は顔を覆った。「だって好きなんだもの……」という言葉がこぼれる。


その横で、琴音は困ったように髪をいじった。踏み込みすぎたことに反省しているのか、というと、その気持ちは確かにあったのだが、いまは別の気持ちが支配している。


どうしよう。もっと追い打ちを掛けたい。


「友達の先にあるのは、友達ですよ」


あれ、わたしってこんなに意地悪だったっけ、と戸惑うものの、この二つ年上の少年を困らせるのがやめられない。というか、なんでさらに困らせたくなるような顔を向けてくるのか、この年上の高校生男子は。


「それとも、あれですか。いまの位置を維持し続ければ、いずれは……とか思っているんですか?」


「……少しだけそう思っているとは思うけれども、それよりも……どんな形でもいいから、宮内の近くに居たいというか……」


やや涙目になった瞳を向けてくる。残念なことに、琴音の加虐心がさらに加速する。


「居たところで、なんの発展もないじゃないですか。不毛な人生を歩むのが好みなんですか、先輩」


横目で見ると、いい感じに泣き出しそうな顔になってきている。配信先の現実では、自分の両親が顔を覆っているのだが、それに気づく術などない少女は先を続ける。


「それとも、告白する勇気がないのをそうやってごまかしているだけではないですか?」


「……そうかもしれない」


そっと琴音は隣にいる少年の手を取った。先程からずんどこ攻めまくっていたせいか、自分がお姉さん的な気持ちになってしまっている。


ヴァーチャル空間であることも相まって、男の子の手を握っているという事実が全く気にならない。むしろあれだ。もっとすごいことをしても超平気な気持。


後ほど、冷静になり、自分のしたことについて悶絶することになる少女は、自分の指を少年のそれに絡めながら、話を続けた。


「元の世界に戻ったら、お姉ちゃんに告白しましょう」


余裕のある年上的な気持ちになっているため、無意味に優しく微笑む。


「先に進むためです。だいじょうぶですよ。ふられた後は、わたしが慰めてあげますから」


「あ。うん」


人間、自分よりも酔った人間がいると、正気に戻るもの。なんとなく流れでお説教を受けたものの、よくよく考えればこの子にあれこれ言われる筋合いはないのではないか、というところにようやく思い至った圭太郎くんに、琴音ちゃんは笑みを向けた。


「失恋には新しい恋ですよ、先輩」


「いや、なんかもう失恋したことになっているけれども、まだだからね。まだふられていないからね、僕」


「いずれふられるのだから、いいじゃないですか。今か未来かの違いだけですよ」

かなり大きな違いを乱暴な言葉で切り捨てる。

「失恋には新しい恋ですよ、先輩」


「うん、それはもう聞いた」


「なので、ふられた後も、ちゃんと応援しますよ。アフターケアも万全です。あ、そうだ、わたしの友達を紹介しましょうか。とりあえず年上と付き合ってみたい、という子が二人ぐらいいますから」


ふふん、と胸を張る琴音に対し、めずらしく圭太郎はまじめな顔をつくった。

雰囲気が静かに、だが確実に変わる。


「ありがとう」


高校生の少年は、二つ年下の中学生にやさしく語りかけた。


「でもね、僕が好きなのは、宮内なんだ。宮内が好きだから、宮内と付き合いたい。宮内の恋人になりたいんだ、僕は」


沈黙が落ちた。二人が手を重ねたまま、見つめ合う形になる。


少女マンガで言えば、真っ白な背景に、「トクン」という効果音が描かれそうなその時間は、感情のこもらぬ拍手で中断された。


「いやいや、感動しました」


まったく感動していない声と共に、いつの間にか開けられていた扉から、案内役のリズが入ってくる。


「まさか、お二人がそんな関係になっていたとは。これはまさに全宇宙が泣いたというやつですね」


それで、とリズは静かな瞳を少女に向けた。


「圭太郎の熱烈なプロポーズに対して、琴音さんはどう答えるのですか?」


なんでわたしが、という抗議めいた声にリズは首をかしげた。


「圭太郎は『宮内』を連呼していましたし、なによりお二人は手をつないでいらっしゃいますので」


リズの言葉に、琴音は視線を自分の手に落とした。

そうですね。たしかに握っていますね。


「ちゃうねん!」


なぜかエセ関西弁で否定をすると、慌てて手を離した。ついでにベッドに並んで座っていたことにも気づき、バネでも仕込んでいるかのような動きで立ち上がる。


「『ちゃうねん』?」


「あ、あのね。さっき先輩が言っていた宮内は、わたしじゃないの」


「はい、お姉さんである宮内詩乃さんのことですよね」


なるほど、なるほど、とリズは抑揚のない声とともにうなずいた。


「いまのわたしの発言が冗談であることが伝わらなかったようですね。失礼、あれはブルキナファソ・ジョークです」


「ぶるきなふぁそ?」


西アフリカにある内陸国です、と答えるとリズは首を傾げた。


「それで、どうでしたか。琴音さん」


「ど、どうってなにが……」


「なにがと言われても、圭太郎の手を握った感想ですよ」


ほぁ、となぞの声を上げる琴音の反応に、リズはまた首を傾げた。


「言っていたではないですか。このゲーム世界内における知覚のずれについて、圭太郎と話し合いたい、と。いま手を握っていたのは、そういう理由ではないのですか?」


「う、うんうん。そうそう」


慌ててうなずき、圭太郎に顔を向ける。


「本当に、その理由で握っただけですから。本当に本当ですから。ええ、本当に」


嘘をついている人でもないかぎり、繰り返すことのない言葉を連呼すると、琴音はこほんと、咳ばらいをした。そのあとで大きく深呼吸をする。


「先輩」


まだぎこちなさが残ってはいるものの、冷静さを七割ほど取り戻した中学生は、圭太郎に質問を投げかけた。


「先輩は、この世界で戦闘を経験済みなんですよね。その時の感触はどうでしたか――現実に即したものでしたか」


少し考えた後、圭太郎は首を横に振った。


「感覚が弱められていた……というよりは、なんていうんだろう、適度に調整された感じだったよ」


やっぱり、と琴音は宿屋の窓枠に腰かけた。部屋は二階。地面までの高さを見ながら口を開く。


「わたし、この高さから落ちたんです。不注意で。程度はどうであれ、現実世界だったら確実に怪我をしていたと思います。でも、実際は体操選手みたいに余裕のある――わたし本来の身体能力では絶対にできないような着地でした」


この世界は快適すぎるんですよ、と窓枠に腰を預けたまま、琴音は足を遊ばせた。


「明らかに重いものでも、簡単に持ち上がる。それなのに、普通に持ち上げられるもの……例えば、スプーンやフォークは普通の重さを感じられる。空腹についてもそうです。わたし、リズと出会って、この都市に入るまで一日かかりましたが、その間は飢えも渇きも感じませんでした。街に入って食料と水が自由に手に入る状況になってから、初めて、喉が渇き、空腹を覚えました」


先輩はどうでしたか、と視線を向ける。


「そういえば……僕もそうかも」


言われてみれば、と圭太郎は自分のお腹を触った。なんとなく「ゲームの中だから」で済ませてはいたが、確かに快適すぎる。


「死んでも、復活するしね」


「……死んだのですか?」


「うん。不意打ちをくらってね」


ゲームと同じで、拠点からのやり直しだったよ、と補足すると、圭太郎は足を放り出し、天井を見上げた。


「僕たちはいまゲームの中にいる。いま僕たちが感じていることは現実ではない。だから、どんなものも適切なレベルに調整して感じている」


うーん、とうなる。


「ユーザーフレンドリー過ぎない?」


「ですね。まあ、文句をつけるわけではないですけれども」


琴音は片頬をふくらました。


「このまま居続けたら、現実に戻りたくなくなるかもしれませんね」


「そうは言っても、僕たちの身体は向こうにあるからね」


圭太郎は視線を天井から戻した。


「たぶん、病院だろうね。親に、じいちゃんばあちゃんに、みんなに心配をかけて、病院の先生たちや看護師さんとか、あと見えないたくさんの人たちに面倒をかけているんじゃないかな」


だからさ、と少年は窓に腰かける少女に瞳を向けた。


「帰ろう」


「……はい」


琴音は強くうなずいた。


「では、帰るという方向性が改めて確認されたわけですが」


傍観に徹していたリズが口を開いた。


「残念ながら、状況は変わりません。明日の昼まではこの都市で足止めです。それを相殺するだけの移動アイテムが供与されるそうですが」


「どういう理由なんだろうね」


「さあ。そのようにデータが更新されたということしかわかりません。もう一つ。鎧狼のイルヴァの故郷である『夜と雪の国』への航路が設置されたことが確認できました」


リズの前に画面が浮かんだ。海を行く船が映し出される。


「宮内が飛ばされた先が、未知のエリアであって、僕がそのエリア出身のイルヴァに会って、二人と合流すると情報がアップデートされて、『夜と雪の国』に宮内がいることがわかって、足止めされているうちに、そこへの航路が明らかになって……」


「……明らかに、誘導されていますよね、わたしたち」


中学生の声に不安そうな響きが混じった。それに対して、圭太郎が意図的に明るい声を重ねる。


「早く見せたいものがあるんだろうね」


それ以外の可能性を意図的に無視しながら、やわらかい笑みを浮かべる。


「大丈夫。ちゃんと琴音ちゃんのことは守るから」


ちゃん付けはいらないと言いましたよね、と片頬をふくらましながら琴音は横を向いた。そして、ついでのように小さな声で付け加える。


「……ありがとうございます」


やさしく落ちかけた沈黙を、扉を開く音が遮った。


「ただいまぁ」


狼系女子のイルヴァが入ってきた。


「ケー君。これ、払ってもらっていいかな?」


請求書がいくつも手渡された。金額的には余裕のため、とりあえず払ってから内容を尋ねる。


「ああ、これ? 闘技場の使用料だよ。さ、みんなで行こうか」


「わたしもですか?」


琴音が自分を指さす。


「うん、そうよ、琴音ちゃん。というか、メインは琴音ちゃんかな。そこであたしと戦ってみようね。この世界での戦闘は未経験なんでしょ。だったら、この街にいる間に経験をしておこうよ」

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