[四日目 12時42分・現実世界]

意識不明者の家族の世話役である立花からの電話を受けた藤川議員は、礼を言って通話を切った。


秘書と官僚の視線を受け、静かな声で答える。


「宮内さんのご家族は落ち着かれているとのことだ。それから、高橋くんの会ったあの少女は、本人で間違いないとのこと――あくまでも画面越しの印象ではあるが」


「本部としては、それ以上は踏み込めないだろうな」


官僚が落ち着いた声で応じる。


「『いま配信されているのは、事前に作られたグラフィックと音声を組み合わせたものである』。本部で一番有力なその仮定を、否定するものでもなければ、補強するものでもない」


こっちはどうなるかな、と官僚は情報共有用の大型ディスプレイに映し出された一つの情報を指さした。


「脳波についてですね」

峰岸秘書が続く。

「配信中の高橋君の言動と共に活動の変化があるらしいことはわかっていますが、まだ確定するには至っていません。先程登場した宮内琴音さんのものについて、有意な変化が確認できれば、何かの手掛かりになるかもしれませんね」


二人の会話に、藤川議員は天井を仰いだ。行儀悪く足を組む。


「そもそも、この配信中の行動と、意識喪失者の脳波が一致していたら、えらいことになるよな。三人は、ゲームとは隔離されている。にも関わらず連動していた場合は、我々の知りえぬ何らかの方法で接続されているということになり……」


議員は頭をかいた。


「……まあ、難しいことは、難しいことを専門とする人に任せることにしよう」


立ちあがり、いくつものメモと書きなぐった文字で埋まったホワイトボードの前に立つ。


「『人の意識をゲームの中に閉じ込めることは可能か』について、永旬大の辻本教授に聞いてきた。結論としては、いくつもの課題を解決すれば理屈としては可能らしい」


部屋の隅にある、空いているホワイトボードをもってきて、簡単な図を書き込む。


「俺たちの意識は、脳が生み出している。この脳の仕組みをすべて解析した上で、同様のものを仮想空間上に作り、ある時点での脳の状態を全てコピーすれば――まあ、これが現在の技術では不可能だっていうのは言わなくてもいいよな」


官僚の梶浦が口を開いた。


「だが、それ以上に有力な仮説がないのも事実だ」


まあね、と藤川議員は肩をすくめた。それを見ながら官僚は話を続ける。


「とはいえ、この仮説に基づいて話を進めると、『元』がどうなるか、という問題が出てくるな。コピーであるならば、同じものが二つできあがる。高橋くんの肉体は、意識以外は正常であり、脳波も覚醒状態を示している――」


すまん、と一言おき、官僚は端末に目をやった。新規情報の表示がある。中身を開く。


「脳波の件、ゲーム内の行動と連動している可能性が高まったとのことだ」


官僚の視線が議員秘書に流れた。端正な顔立ちの青年が整った唇を開く。


「『運営』の言う通りならば、意識はゲーム内にある。これが事実ならば、肉体の方がそれに連動しているにすぎない、ということになりますね」


秘書は自分の言葉に顔をしかめた。


「正直、自分でもどうかと思います。この考えは」


いや、良い考え方だよ、と藤川議員は優しい声を掛けた。


「言った通り、真面目で常識的な考察は本部にまかせておけばいい。俺たちの役割は、いまみたいな非真面目で非常識な方向で考えることだからね」


「我々の考察が外れていて欲しいですね。この方向の推論が当たっていた場合、人類は向き合っていることになりますよ。圧倒的な知識と技術を有する相手と」


秘書は立ち上がると、自分を落ち着かせるようにお茶を淹れた。議員と官僚の前に置く。最後に自分の机にある複数のディスプレイに目をやる。


「ゲームを取り巻く状況ですが、現在はイルヴァという、高橋くんに同行するキャラクターの新しい服をデザインすることで盛り上がっています。また、さらにいくつかのアンケートも発表されました」


秘書は自分の端末をいじった。『運営』から出されているいくつものアンケートや、アイデアの募集を読み上げる。


「『ゲーム内に登場させる料理はどのようなものがいいか』『商品の値段を変動させるか』『さらなる手助けのNPCを登場させるか』『ネイルの変更を導入するか』などなどです」


藤川議員は肩をすくめた。


「まったく読めないね。設問のすべてに文言とは異なる思惑があるようにも思えるし、隠された意図など存在しないただの問いにも思える」


峰岸ちゃんはどう思う、と藤川は有能な秘書に目をやった。


「個人的な感想ですが――」


峰岸秘書は形だけ湯呑に唇をつけると、口を開いた。


「やはり『運営』はこの中継を見てもらうことを重視しているように感じます。たとえば、この衣装デザイン募集ですが、注目度はかなり高くなっています。その一方で、募集期間は一日だけ。簡単なラフ絵でもかまわないと明言しているため、幅広い層が積極的に参加しています」


結果からの逆算ですが、という言葉を挟み、推論を続ける。


「あのNPCの登場が『運営』の意図を反映したものであるという可能性がさらに高くなりました」


そうだな、と官僚がうなずく。


「彼女が登場し、『運営』はそれに関連した行動を見せた。そして、それに続くように、『運営』はアイデアの募集を行っている――問題はその意図だな。峰岸君のいうように、現状では、中継に注目させるという部分しか見えない」


「高橋くんの冒険を世界のみんな視聴させることだけが目的……てわけはないよな」


藤川議員がお茶を飲みながらぼやく。


「普通に考えれば、この配信の先になにかがあるということになるが……うーん、あの三人にしたように、なんらかの方法でゲーム画面を見ている人類のうち何割かの意識を取り込む、とか?」


議員の言葉に、官僚は小さく息を吐いた。


「恐ろしい仮定だが、取り込んでどうするつもりだ? それによって世の中は混乱し……その隙に世界征服でもするつもりか?」


幼馴染の言葉に、藤川議員は苦笑した。


「だよな。もしそうなら、こんな迂遠な方法は取らないだろうと思うよ。『運営』は、全通信を掌握できる上に、いまの俺たちは画面を通して情報を得ないことには何一つできなくなっている。わざわざこんな配信を行って人の目を集める必要はないよな」


議員は天井を見上げた。


「常識にとらわれずに事態を検討する、というのは面倒だよな。根拠不要。不条理歓迎。確かに思考の幅は広がるが、広がるばかりでどこにもたどり着かない」


「あるいは、既にたどり着いているのかもしれませんよ」


秘書が自分の席に戻った。


「しかし、それには気がつかない。目的地不明のまま歩き続けるようなものですからね」


落ちた沈黙を振り払うかのように、端末の一つが電話の着信を告げた。官僚である梶原が対応する。本部からだった。報告を受け終えると、梶原は難しい顔で口を開いた。


「三人を別の病院に転院させることが決まった。主な理由は、警備上の問題」


そして、と言葉をつなぐ。


「より多くの知見を得るために、各国から医師・研究者を受け入れるためだ。家族の了承も既に得ている」


「事態の動き方が急すぎるな。慎重かつ鈍重なうちの国とは思えないね」


「そうせざるを得ないだけの圧力が掛かったということだろう。だが、急すぎるのは確かだな」


官僚は首を傾げた。


「あるいは、圧力ではなく、急ぎ対応しなければならないだけのなにかが提示されたか?」


まあ、より丁寧な治療が受けられるのであれば、断ることはないだろうね、と言いながら、藤川議員は手帳を取り出した。


「ロウちゃん。参加を申し出たこれらの機関に知り合い入る?」


「名刺を交換した程度であれば、何人か。しかし、本件に関わっているかはわからないぞ」


「それで充分さ。政治家の仕事の一つは人と人のつながりに食い込むことだからね」


端末でタクシーを呼ぶ。


「この分だと、本部はさらにでかくなるな……ちょっと出かけてくる。戻るのは明日の昼以降かな――峰岸ちゃんは働きすぎなので、休息を命じるね。遊びに行ってもいいよ」


お供します、という言葉と共に立ち上がりかけた秘書は、その言葉を受けて再び座った。


「……かしこまりました。先生はどちらに行かれるのですか?」


「まずは本部長に就任した竹内先生のところに行ってくるよ」


藤川は人好きのする笑みを見せた。


「医者から高血圧の治療を受けている人を休みなく働かせるわけにもいかんからね」

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